I先輩の思い出(1)
- 2015/04/06
- 00:00
I先輩は、僕の1年上の水泳部の先輩である。
学生時代には、いろいろ教えて頂いた。
それは、水泳そのものよりも、それ以外のことのほうが多かった。
当時、同じクラスに数名くらい、豪傑のような連中がいた。彼らは、たいていが年齢は、現役入学の者よりも年上である。
浪人生活の後、入学している。
さらに入学した後にも余分に学生生活を楽しんでいる。
留年というものだ。
おそらく、今と比べると、そういう余分な時間を過ごすことが許されていたようなところがあったのだと思う。
ただ就職する場合には、余分な年齢というのは最大2年までという不文律があった。
その点は、今のほうが緩いのかもしれない。
そういう豪傑は、どこかバンカラ風で、大学へ行っても、教室は素通りして、あるいは教室にたどり着く前に、まず雀荘に行く。あるいはパチンコ屋に行くということが多い。
ところがI先輩は、勝負事には強かったが、そういうバンカラ的なところはなく、もっとスマートであった。
I先輩は、競馬の予想がよくあたるといわれていた。
もちろん、学生は20歳を越えていても、馬券を買うのは禁じられているので、大きな声で話すことではない。
I先輩は、親戚に農水省から中央競馬会に出向している人がいると言われていた。
当時は、農水省(農林水産省)ではなく、農林省と言っていた。
それだからといって情報が入るわけではないが、そのことが、I先輩の予想はあたるということに信憑性をもたせていた。
ちょうど日本ダービーの日だった。
たまたま部室に、10人くらいの部員が集まっていた。なにかのイベントがあった後だったのだろう。休みの日には珍しいことだ。
I先輩の予想では、勝つ馬は、すでに決まっていた。
今年は、その馬が群を抜いているというのがI先輩の評価だ。
当時は、勝ち馬をあてる単勝式、1着と2着に入る2頭の枠番をあてる連勝複式、それと3着までに入る馬をあてる複勝式の3つだけで、あまり大きな倍率がでることはなかった。
現在は、いろいろな種類の馬券があり、なかには当たれば必ず100倍以上の万馬券という馬券もあるようだ。
当時は、万馬券がでることが珍しいのである。
I先輩は、この年の日本ダービーには自信があった。
勝つと予想している馬の単勝をまず買う。
当時の馬券は、200円券と1000円券だったと思うが、学生が使う金額は知れている。
I先輩の単勝も200円だ。
これは取ったということに意味があるので、買う。
自分は1着馬をあてましたという証のようなものだ。
それから最も人気があった連勝複式であるが、I先輩がもう一頭、目をつけていた馬がいた。
この馬は前走がよかったのである。結果だけではなく、レースぷりがよかったという。
レースをきちんと見ていると、確率があがるというのがI先輩の持論だ。
その持論から、この馬が2着に入るという予想である。
その2頭の馬は、同じ枠にいる。5枠であるので、連勝複式は5-5となる。
ゾロ目だ。
ソロ目は確率的にも当たれば倍率が大きくなる。
その分、なかなか当たるものではない。
I先輩は、限られた持ち金のなかから1000円券を2枚買った。
これはI先輩のそのときの財布の状況からは、相当のばくちである。
当時は、1ヶ月を1万円とか2万円くらいで暮らしている学生が多かった時代だ。
しかも自宅通学ではなく、下宿とか寮生活での話だ。
今と比べると随分質素である。
馬券を買うときに、これぞという馬を一頭決めて、そこから全部の枠番を買うという方法もよくやる方法だ。
これだと一番人気のない枠番と絡めば、大もうけ、低い倍率の枠番がきても、元は取れるということになる。
ところが、I先輩は、ゾロ目の一点買い。
一発勝負である。
部室では、I先輩に黙って乗る部員が多く、まとめて場外馬券売り場に買いに行く。
I先輩に賭けているのだ。
いよいよ、テレビの放送が始まり、全員でテレビを見る。
初めは、みんな黙って見ている。
声をだすより、テレビのアナウンサーの実況を聞いている。
ところが、向こう正面から第3コーナー、そして、最後のコーナーを回るころには、全員、怒鳴り始めている。
。。。。。。。。。
そして、なんと、レースは、I先輩の予想とおりになった。
I先輩の勝つと予想した馬が1着。2着には、目をつけていた馬が入った。
ドンぴしゃである。
ここまで当たるのも珍しい。
倍率は5000円以上だった。50倍以上である。
10万円以上の払戻金となったのである。
部室の中は大騒ぎだったに違いない。
僕は、その場に、残念ながらいなかった。
翌日、その話を聞いて、さすがI先輩という思いを強くした。
勝負運の強さを持っていると今更ながらに、思った。

(続く)
学生時代には、いろいろ教えて頂いた。
それは、水泳そのものよりも、それ以外のことのほうが多かった。
当時、同じクラスに数名くらい、豪傑のような連中がいた。彼らは、たいていが年齢は、現役入学の者よりも年上である。
浪人生活の後、入学している。
さらに入学した後にも余分に学生生活を楽しんでいる。
留年というものだ。
おそらく、今と比べると、そういう余分な時間を過ごすことが許されていたようなところがあったのだと思う。
ただ就職する場合には、余分な年齢というのは最大2年までという不文律があった。
その点は、今のほうが緩いのかもしれない。
そういう豪傑は、どこかバンカラ風で、大学へ行っても、教室は素通りして、あるいは教室にたどり着く前に、まず雀荘に行く。あるいはパチンコ屋に行くということが多い。
ところがI先輩は、勝負事には強かったが、そういうバンカラ的なところはなく、もっとスマートであった。
I先輩は、競馬の予想がよくあたるといわれていた。
もちろん、学生は20歳を越えていても、馬券を買うのは禁じられているので、大きな声で話すことではない。
I先輩は、親戚に農水省から中央競馬会に出向している人がいると言われていた。
当時は、農水省(農林水産省)ではなく、農林省と言っていた。
それだからといって情報が入るわけではないが、そのことが、I先輩の予想はあたるということに信憑性をもたせていた。
ちょうど日本ダービーの日だった。
たまたま部室に、10人くらいの部員が集まっていた。なにかのイベントがあった後だったのだろう。休みの日には珍しいことだ。
I先輩の予想では、勝つ馬は、すでに決まっていた。
今年は、その馬が群を抜いているというのがI先輩の評価だ。
当時は、勝ち馬をあてる単勝式、1着と2着に入る2頭の枠番をあてる連勝複式、それと3着までに入る馬をあてる複勝式の3つだけで、あまり大きな倍率がでることはなかった。
現在は、いろいろな種類の馬券があり、なかには当たれば必ず100倍以上の万馬券という馬券もあるようだ。
当時は、万馬券がでることが珍しいのである。
I先輩は、この年の日本ダービーには自信があった。
勝つと予想している馬の単勝をまず買う。
当時の馬券は、200円券と1000円券だったと思うが、学生が使う金額は知れている。
I先輩の単勝も200円だ。
これは取ったということに意味があるので、買う。
自分は1着馬をあてましたという証のようなものだ。
それから最も人気があった連勝複式であるが、I先輩がもう一頭、目をつけていた馬がいた。
この馬は前走がよかったのである。結果だけではなく、レースぷりがよかったという。
レースをきちんと見ていると、確率があがるというのがI先輩の持論だ。
その持論から、この馬が2着に入るという予想である。
その2頭の馬は、同じ枠にいる。5枠であるので、連勝複式は5-5となる。
ゾロ目だ。
ソロ目は確率的にも当たれば倍率が大きくなる。
その分、なかなか当たるものではない。
I先輩は、限られた持ち金のなかから1000円券を2枚買った。
これはI先輩のそのときの財布の状況からは、相当のばくちである。
当時は、1ヶ月を1万円とか2万円くらいで暮らしている学生が多かった時代だ。
しかも自宅通学ではなく、下宿とか寮生活での話だ。
今と比べると随分質素である。
馬券を買うときに、これぞという馬を一頭決めて、そこから全部の枠番を買うという方法もよくやる方法だ。
これだと一番人気のない枠番と絡めば、大もうけ、低い倍率の枠番がきても、元は取れるということになる。
ところが、I先輩は、ゾロ目の一点買い。
一発勝負である。
部室では、I先輩に黙って乗る部員が多く、まとめて場外馬券売り場に買いに行く。
I先輩に賭けているのだ。
いよいよ、テレビの放送が始まり、全員でテレビを見る。
初めは、みんな黙って見ている。
声をだすより、テレビのアナウンサーの実況を聞いている。
ところが、向こう正面から第3コーナー、そして、最後のコーナーを回るころには、全員、怒鳴り始めている。
。。。。。。。。。
そして、なんと、レースは、I先輩の予想とおりになった。
I先輩の勝つと予想した馬が1着。2着には、目をつけていた馬が入った。
ドンぴしゃである。
ここまで当たるのも珍しい。
倍率は5000円以上だった。50倍以上である。
10万円以上の払戻金となったのである。
部室の中は大騒ぎだったに違いない。
僕は、その場に、残念ながらいなかった。
翌日、その話を聞いて、さすがI先輩という思いを強くした。
勝負運の強さを持っていると今更ながらに、思った。

(続く)