I先輩の思い出(2)
- 2015/04/07
- 00:00
日本ダービーで、盛り上がってから、大分時間が経ったころだ。
I先輩には、競馬場になんどか連れて行ってもらったが、その日は、中山競馬場に行った。
寒い冬の12月だ。
競馬場に行って、毎レース買っていると、結局は財布が空っぽになるか、最終レースに勝てば、プラスになるというパターンが多い。
ひとつのレースを勝てば、次のレースに、その分をつぎ込んでしまう、ということになるのだ。
はじめは、買うレースを決めていても、競馬場に入ってしまうと、買うまいと思っていたレースも買ってしまう。
買おうと思っていたレースは、より多くの金額を使ってしまう。
競馬場にいるときは、金銭感覚がずれている。
普段は、100円を使う感覚で1000円を使う。
日常生活で1000円札を出すときの感覚があるが、それが競馬場では、100円玉を出すような感覚で1000円を使ってしまうのだ。
競馬場が賭博場になってしまう。
賭博場では、脳細胞まで日常生活と違う動きをする。
その日は、途中までとんとんで二人ともプラスマイナスゼロの状態だった。
もちろん、二人で勝手にそれぞれの予想で買うわけで、僕がI先輩にいつも乗っていたわけではない。
メインレースの後に、I先輩よりも、もうひとつ上の先輩に偶然会ってしまった。
罰が悪いということは全くなく、3人で話していると、僕からは2つ上の先輩は、用事が合って、今から帰るという。
次のレースを買っておいてくれという。
頼まれた連勝複式の枠は、とても来ることがないような組合せだった。
上の先輩は、馬も見ずに依頼されたのである。
ただ数字の組み合わせだけだ。
1-8である。
早い話が一か八かである。
I先輩は、これは絶対に来ないという。
飲んでしまおうという。
飲んでしまうというのは、馬券を買わずに、預かった金をもらうということだ。
もしも来たらどうするのですか、と聞くと、そのときはそのときだと言う。
絶対に来ないと言い切る。
先輩にそこまで言われたら、従わざるを得ない。
そのレースの結果は、I先輩の予想通り、1-8は来なかった。
これで二人の収支は、その飲んだ分はプラスというところだ。
そして、最終レースとなった。
最終レースは、クラスの低い馬のレースで、しかも出走する頭数が多い。
いかにも走る前から荒れそうな雰囲気である。
距離が1マイルで、中山のこの距離は、スタート地点をでると、すぐに急なカーブとなるため、一般的に内枠が有利と言われていた。
人気は、真ん中から外枠の馬についている。
ここは、I先輩と一緒に馬券を買うことにしていた。
前のレースで、一応共犯となった二人であるので、最後は一緒にやろうということだ。
電光掲示板を見ると、1枠に全く人気がない。
1枠が来ると最低の組み合わせでも20倍以上だ。
最大の1-1だと桁あふれで999倍と表示されている。
二人で1から流すことにした。
1-2から1-8まで、7枚で1400円。まさか1-1のゾロ目はないだろうということで、それははずして、席に着いた。
後はレースを見るだけだ。
「1枠が来ますかね」と僕が言う。
「こういう最終レースは、荒れる」とI先輩は言い切る。
「荒れると面白いですね」
「当たれば5000円は入るな」
「そうですね。大荒れで、1-1のゾロ目まで来たりして」と冗談のつもりで、言った。
「まぁ、そこまではないだろうけど、、、」先輩がしばらく、考え込む。
「いちおう、1枚だけ押さえるか」と先輩が続ける。
「そうですね。来たら、泣くになけませんからね」
こうなれば、もう1枚だけ買おうということになった。
ひとり100円ずつの追加である。
レースが始まる。
各馬一斉に飛び出す。
予想とおり、内側が有利だ。
白い帽子が先行する。
1枠だ。
向こう正面から第3コーナーへ。
依然として白い帽子が逃げている。
そろそろ先行している馬が落ちてくる頃だ。
所詮実力馬ではない。
ところが、第4コーナーを回っても、その白い帽子が依然として先頭だ。
後300メートル、、、、200メートル、、、
そのとき、二人は、「そのまま!!」と大絶叫。
と、そこで外から突っ込んできたのが、なんともう1頭の白い帽子。
最後は、その馬が差し切った。
先行していた白い帽子もぎりぎり残った。
1-1の完成だ。
思わず、二人は震えるように、お互いの手を握っている。
まさか999倍ではないだろうが、これは万馬券は間違いない。
最終的には、3万円近い万馬券だった。
300倍である。一人3万円ずつ。
これは1ヶ月の生活費に十分な金額である。
でかい。
その日は、すぐには換金せず、馬券を大事に持ち帰った。
競馬新聞とあたり馬券のコピーを記念に取ろうとしたのである。
当時、コピー機は、どこにでもあるものではなかった。
しかも、コピー操作も依頼して取ってもらわないといけない。
大学生協に行って、コピー機の担当者に頼む。
競馬新聞とあたり馬券を渡して、コピーしてもらう。
依頼された職員は、怪訝な顔をして睨んでいる。
そのコピーした紙は、いまでもぼろぼろになって、僕の机のなかにある。
青春の思い出というには、あまり自慢できることではないが、自分のなかでは、忘れられないものだ。
I先輩とは競売場に行ったのは、このときだけではないが、いつもいつも勝っているわけではない。
負けたときのほうが多かった。
二人で負けて、帰るときの道は、寂しいものだった。
通称、オケラ街道というらしい。
財布のなかが空っぽなので、オケラということだ。
競馬は不思議なもので、大学を卒業して、就職してからしばらくはやっていたが、自然とやめてしまった。
もう長い間、競馬場にも行ったことがない。
ときどき、阪神競馬場のそばを車で通るが、昔と違う新しい建物を見て、随分変わったものだと思う。
きっと競馬場の雰囲気も、観客の雰囲気も変わってしまったのだろう。
学生時代のどこか殺伐とした雰囲気はもうないのかもしれない。
天気のいい日に、競馬場に行って、緑の芝生を走り抜ける馬を見ることは、きっと気持ちがいいに違いない。
でも、、馬券を買わずに、馬だけをゆったりと眺めることはできないだろうなぁ、と思う。
やはり、ゴール前での絶叫シーンが、競馬には合っている。

I先輩には、競馬場になんどか連れて行ってもらったが、その日は、中山競馬場に行った。
寒い冬の12月だ。
競馬場に行って、毎レース買っていると、結局は財布が空っぽになるか、最終レースに勝てば、プラスになるというパターンが多い。
ひとつのレースを勝てば、次のレースに、その分をつぎ込んでしまう、ということになるのだ。
はじめは、買うレースを決めていても、競馬場に入ってしまうと、買うまいと思っていたレースも買ってしまう。
買おうと思っていたレースは、より多くの金額を使ってしまう。
競馬場にいるときは、金銭感覚がずれている。
普段は、100円を使う感覚で1000円を使う。
日常生活で1000円札を出すときの感覚があるが、それが競馬場では、100円玉を出すような感覚で1000円を使ってしまうのだ。
競馬場が賭博場になってしまう。
賭博場では、脳細胞まで日常生活と違う動きをする。
その日は、途中までとんとんで二人ともプラスマイナスゼロの状態だった。
もちろん、二人で勝手にそれぞれの予想で買うわけで、僕がI先輩にいつも乗っていたわけではない。
メインレースの後に、I先輩よりも、もうひとつ上の先輩に偶然会ってしまった。
罰が悪いということは全くなく、3人で話していると、僕からは2つ上の先輩は、用事が合って、今から帰るという。
次のレースを買っておいてくれという。
頼まれた連勝複式の枠は、とても来ることがないような組合せだった。
上の先輩は、馬も見ずに依頼されたのである。
ただ数字の組み合わせだけだ。
1-8である。
早い話が一か八かである。
I先輩は、これは絶対に来ないという。
飲んでしまおうという。
飲んでしまうというのは、馬券を買わずに、預かった金をもらうということだ。
もしも来たらどうするのですか、と聞くと、そのときはそのときだと言う。
絶対に来ないと言い切る。
先輩にそこまで言われたら、従わざるを得ない。
そのレースの結果は、I先輩の予想通り、1-8は来なかった。
これで二人の収支は、その飲んだ分はプラスというところだ。
そして、最終レースとなった。
最終レースは、クラスの低い馬のレースで、しかも出走する頭数が多い。
いかにも走る前から荒れそうな雰囲気である。
距離が1マイルで、中山のこの距離は、スタート地点をでると、すぐに急なカーブとなるため、一般的に内枠が有利と言われていた。
人気は、真ん中から外枠の馬についている。
ここは、I先輩と一緒に馬券を買うことにしていた。
前のレースで、一応共犯となった二人であるので、最後は一緒にやろうということだ。
電光掲示板を見ると、1枠に全く人気がない。
1枠が来ると最低の組み合わせでも20倍以上だ。
最大の1-1だと桁あふれで999倍と表示されている。
二人で1から流すことにした。
1-2から1-8まで、7枚で1400円。まさか1-1のゾロ目はないだろうということで、それははずして、席に着いた。
後はレースを見るだけだ。
「1枠が来ますかね」と僕が言う。
「こういう最終レースは、荒れる」とI先輩は言い切る。
「荒れると面白いですね」
「当たれば5000円は入るな」
「そうですね。大荒れで、1-1のゾロ目まで来たりして」と冗談のつもりで、言った。
「まぁ、そこまではないだろうけど、、、」先輩がしばらく、考え込む。
「いちおう、1枚だけ押さえるか」と先輩が続ける。
「そうですね。来たら、泣くになけませんからね」
こうなれば、もう1枚だけ買おうということになった。
ひとり100円ずつの追加である。
レースが始まる。
各馬一斉に飛び出す。
予想とおり、内側が有利だ。
白い帽子が先行する。
1枠だ。
向こう正面から第3コーナーへ。
依然として白い帽子が逃げている。
そろそろ先行している馬が落ちてくる頃だ。
所詮実力馬ではない。
ところが、第4コーナーを回っても、その白い帽子が依然として先頭だ。
後300メートル、、、、200メートル、、、
そのとき、二人は、「そのまま!!」と大絶叫。
と、そこで外から突っ込んできたのが、なんともう1頭の白い帽子。
最後は、その馬が差し切った。
先行していた白い帽子もぎりぎり残った。
1-1の完成だ。
思わず、二人は震えるように、お互いの手を握っている。
まさか999倍ではないだろうが、これは万馬券は間違いない。
最終的には、3万円近い万馬券だった。
300倍である。一人3万円ずつ。
これは1ヶ月の生活費に十分な金額である。
でかい。
その日は、すぐには換金せず、馬券を大事に持ち帰った。
競馬新聞とあたり馬券のコピーを記念に取ろうとしたのである。
当時、コピー機は、どこにでもあるものではなかった。
しかも、コピー操作も依頼して取ってもらわないといけない。
大学生協に行って、コピー機の担当者に頼む。
競馬新聞とあたり馬券を渡して、コピーしてもらう。
依頼された職員は、怪訝な顔をして睨んでいる。
そのコピーした紙は、いまでもぼろぼろになって、僕の机のなかにある。
青春の思い出というには、あまり自慢できることではないが、自分のなかでは、忘れられないものだ。
I先輩とは競売場に行ったのは、このときだけではないが、いつもいつも勝っているわけではない。
負けたときのほうが多かった。
二人で負けて、帰るときの道は、寂しいものだった。
通称、オケラ街道というらしい。
財布のなかが空っぽなので、オケラということだ。
競馬は不思議なもので、大学を卒業して、就職してからしばらくはやっていたが、自然とやめてしまった。
もう長い間、競馬場にも行ったことがない。
ときどき、阪神競馬場のそばを車で通るが、昔と違う新しい建物を見て、随分変わったものだと思う。
きっと競馬場の雰囲気も、観客の雰囲気も変わってしまったのだろう。
学生時代のどこか殺伐とした雰囲気はもうないのかもしれない。
天気のいい日に、競馬場に行って、緑の芝生を走り抜ける馬を見ることは、きっと気持ちがいいに違いない。
でも、、馬券を買わずに、馬だけをゆったりと眺めることはできないだろうなぁ、と思う。
やはり、ゴール前での絶叫シーンが、競馬には合っている。
