ちゃう、ちゃう
- 2015/04/10
- 00:00
これもI君の保険会社での話だ。
ある年の4月に人事異動で、東京から若手営業が大阪支社に来た。
大阪初出勤日に、ひととおり挨拶が終わったあと、若手営業君は、部門のベテランの女性に話しかけられた。
「大阪は初めて」
「はい、初めてです」
お局さんらしき女性である。最初が肝心だ。
対応を間違えて、いじめられてはいけない。
若手営業君は、慎重に答える。
「大阪では、言葉が大事なんよ」
「。。。。」
「ちゃう、ちゃうと。ちゃうんとちゃうは、意味が全然違うから、間違えないようにしいや」
それだけ言って、シニアな女性先輩は行ってしまった。
若手営業君は、しばらくぽかんとして、その場に立ち尽くしている。
まず、なにを言われたのかが、分からない。
日本語のようであるが、どこか別の国の言葉に聞こえる。
同じ課の先輩の男性が傍に来た。
「どないしてん。ぽかんとして」
と心配そうに話しかける。
「はぁ、あの大先輩に言われたことが分からなくて」
と女性から言われたことを説明する。
と言っても、正確に伝えることができない。
「ああ、彼女ね。なにも心配せんでもええ。いつものことや。毎年、若い子が他から転勤してくると、はじめにかますんや」
「そうだったのですか。でも、なにを言っているかが分からなくて。。。。どういう意味なのですか、、、ちゃう、ちゃうとか、、、」
「それは関西弁やから、東京から来て、すぐには分からへんでもしゃあない」
と言って、先輩は説明してくれた。
先輩の話では、ちゃう、ちゃうは、違うを繰り返していて、それは違いますということを強調して言っている。
ちゃうんとちゃうは、違うのではありませんか、と疑問文になるということだ。
「まぁ、初めは無理に関西弁は使わんほうがええ。心配せんでも段々耳が慣れてくるわ」
先輩の優しい言葉に、若手営業君は、少し安心したのである。
日本の中でも、言葉はそれぞれの場所で、独特のものがある。
それはその地方の歴史の積み重ねであるが、ややもすると、自分の出身地の言葉を、都会に出ると恥ずかしく思ったり、無理に使わないようにしたり、することがある。
保険会社の若手営業君と反対のケースを、聞いたことがある。
僕が仕事をしていたIT系の会社での話だ。
その人は、大阪の南のほうの出身だった。
大阪の南というと、秋祭りが大いに盛り上がる、個性の強い地域である。
関西でも独特の雰囲気を持っている。
関西弁も強烈である。
その人は大学を卒業して、入社したのであるが、初めの勤務地が東京になった。
4月の出社日を東京で迎えたのであるが、大阪から東京へ向かう新幹線の中で決めたそうだ。
これから10年は関西弁を封印することを。
実際に、10年間関西弁を封印して、東京では標準語を話したという。
なにか思うところがあったのだろう。
初めて東京で会った人には、その方が関西出身であることが分からなかったという。
僕がその人に会ったのは、その10年間の封印期間を過ぎた後だった。
そのときには、すっかり関西弁に戻っておられたので、過去に東京で関西弁を使わなかったということが、信じられなかった。
これだけ強い関西弁を隠すことができたのか、という不思議な感覚があった。
僕自身は、関西弁が体に染みついている。
初めて会った人には、標準後に近い言葉を話すことはできるが、こころに素直になれるのは、話し言葉では、やはり関西弁になってしまう。

ある年の4月に人事異動で、東京から若手営業が大阪支社に来た。
大阪初出勤日に、ひととおり挨拶が終わったあと、若手営業君は、部門のベテランの女性に話しかけられた。
「大阪は初めて」
「はい、初めてです」
お局さんらしき女性である。最初が肝心だ。
対応を間違えて、いじめられてはいけない。
若手営業君は、慎重に答える。
「大阪では、言葉が大事なんよ」
「。。。。」
「ちゃう、ちゃうと。ちゃうんとちゃうは、意味が全然違うから、間違えないようにしいや」
それだけ言って、シニアな女性先輩は行ってしまった。
若手営業君は、しばらくぽかんとして、その場に立ち尽くしている。
まず、なにを言われたのかが、分からない。
日本語のようであるが、どこか別の国の言葉に聞こえる。
同じ課の先輩の男性が傍に来た。
「どないしてん。ぽかんとして」
と心配そうに話しかける。
「はぁ、あの大先輩に言われたことが分からなくて」
と女性から言われたことを説明する。
と言っても、正確に伝えることができない。
「ああ、彼女ね。なにも心配せんでもええ。いつものことや。毎年、若い子が他から転勤してくると、はじめにかますんや」
「そうだったのですか。でも、なにを言っているかが分からなくて。。。。どういう意味なのですか、、、ちゃう、ちゃうとか、、、」
「それは関西弁やから、東京から来て、すぐには分からへんでもしゃあない」
と言って、先輩は説明してくれた。
先輩の話では、ちゃう、ちゃうは、違うを繰り返していて、それは違いますということを強調して言っている。
ちゃうんとちゃうは、違うのではありませんか、と疑問文になるということだ。
「まぁ、初めは無理に関西弁は使わんほうがええ。心配せんでも段々耳が慣れてくるわ」
先輩の優しい言葉に、若手営業君は、少し安心したのである。
日本の中でも、言葉はそれぞれの場所で、独特のものがある。
それはその地方の歴史の積み重ねであるが、ややもすると、自分の出身地の言葉を、都会に出ると恥ずかしく思ったり、無理に使わないようにしたり、することがある。
保険会社の若手営業君と反対のケースを、聞いたことがある。
僕が仕事をしていたIT系の会社での話だ。
その人は、大阪の南のほうの出身だった。
大阪の南というと、秋祭りが大いに盛り上がる、個性の強い地域である。
関西でも独特の雰囲気を持っている。
関西弁も強烈である。
その人は大学を卒業して、入社したのであるが、初めの勤務地が東京になった。
4月の出社日を東京で迎えたのであるが、大阪から東京へ向かう新幹線の中で決めたそうだ。
これから10年は関西弁を封印することを。
実際に、10年間関西弁を封印して、東京では標準語を話したという。
なにか思うところがあったのだろう。
初めて東京で会った人には、その方が関西出身であることが分からなかったという。
僕がその人に会ったのは、その10年間の封印期間を過ぎた後だった。
そのときには、すっかり関西弁に戻っておられたので、過去に東京で関西弁を使わなかったということが、信じられなかった。
これだけ強い関西弁を隠すことができたのか、という不思議な感覚があった。
僕自身は、関西弁が体に染みついている。
初めて会った人には、標準後に近い言葉を話すことはできるが、こころに素直になれるのは、話し言葉では、やはり関西弁になってしまう。
