血糖値があがる(1)
- 2015/04/15
- 00:00
2年以上前のことだ。
年に1回受診している健康診断の結果が悪かった。
健康診断の結果をもらうと、それぞれの数値について、適正ゾーンが表示され、自分の結果は、どこに位置しているかを教えてくれる。
昨年までは、その結果を受け取ると、いくつかの数値は、適正ゾーンから少しはずれていたり、境界線上にあったりしていた。
そのくらいであれば、すこし頑張れば、また適正値に戻るのだと、思っていた。
なにを頑張るかは、分からないのだが、要するに甘く見ていたのだ。
健康診断を受診したのが、11月の終わりだった。
ちょうどその年は9月から仕事がいくつも重なり、何事にも、とことんやる主義であったが、さすがにワークロードが極限を超えていたのかもしれない。
自分の限界を超えるようなときは、自然とストッパーが働いて、そこでやめるだろうと安易に考えていたのだ。
さすがに、これではまずいのではないかと思い始めた。
健康診断の少し前から、健康にいいことをしなければと、それまで絶対に行かなかった散歩を始めたりしていた。
健康診断の日は、前日の夜からは絶食して、飲み物も摂ってはいけないということになるのだが、異常にのどの渇きを覚えていた。
水を飲んでもいけないので、つらかった記憶がある。
まさに糖尿病の症状である。
12月に入って、結果が郵送されてきた。
案の定、要注意のマークがいくつもついている。
特に、血糖値とHbA1C(ヘモグロビンA1C)は、異常な数値を示していた。
健康診断の後の医師とのインタビューに出かける。
いつもなら、メタボに気をつけて、運動を適度にして、食事にも注意するように、と言われて帰るのであるが、その日はすぐに糖尿病の指導医のところへ行けという。
その日は、糖尿病の指導医がちょうど診察している日だった。
運がよかったというか、すぐに診てもらえたわけだ。
その先生は、僕よりもやや年輩の先生である。
診断結果を見て、すぐに入院しなさいと言う。
12月のこの時期にすぐに入院ですか、と営業の前線にいる僕は言ってしまう。
はい、1ヶ月入院しなさい、と重ねて言う。
今から1ヶ月というと正月を越えますね。
正月でも病院はやっています。
そんなことは、分かっている、とは言わなかったが、糖尿病指導医は、
外出も外泊も許可されていますが、とにかく入院しなさい、と言う。
仕事がありますので、急には入院できません。来週の月曜日まで待ってください、と言うのが精一杯だった。
それだけ言うと、先生というのは、警察ではないので、絶対に入院しなさいと強制することはできず、僕の入院可能日まで待ってくれた。
急に目の前が暗くなってくる。
糖尿病というのは、不治の病ではないか、ということが頭をよぎる。
親戚にも糖尿病を患って、亡くなった人もいる。
糖尿病で死ぬことはないが、合併症がでてくると命にかかわる。
いままでと同じようなことができないのではないか、どうすればいいのだろう、と考え始める。
入院までの数日間で、とにかくいろいろ調べた。
糖尿病というのは、治療をして治すものではない。
入院して治るものでもない。
それなのに、なぜ入院なのだろう。
調べてみると、どうやら入院というのは、教育入院らしいということが分かる。
糖尿病はどういう病気で、これからどのように生活をするかを指導、教育するための入院である。
入院中にうける診察、検査の内容や期間は、人によって様々であるが、長い人は1ヶ月くらい入院している。
今は便利なもので、ネットを検索すれば、いくらでも情報はある。
もちろんネットの情報を100%鵜呑みにしてはいけない場合もあるが、参考にはなる。
ネットの中には、非常にまめな人がいて、糖尿病の入院記録を、数値を含めて細かく記録している。
その報告期間は、数週間の短いものから数年間にわたる長い記録の人もある。
中には、一度入院して完全に回復しながら、数年後に再び入院し、重い合併症を患って、大変な手術を受けた人もある。こういう話を読むと気が滅入るのは、いたしかたないが、ここまで来たからには、完全に回復してやろうという強い気持ちが湧いてきたのも事実だ。
ネット以外にも、本もいろいろ読んだ。
いくつか読んだ本のなかで、一番よかったのは、医者でありながら、糖尿病になり、そこから復活した人の書いた本だ。
「薬なし食事と運動で糖尿病を治す」(渡邊昌著、講談社)
「糖尿病は薬なしで治せる」(渡邊昌著、角川書店)
渡邊先生は、医者の不養生ではないが、立派な医者でありながら、糖尿病を宣告される。
ところが、いろいろ努力をされて、糖尿病を克服してしまう。
同じ事をすれば、僕も快復できるのではないかと、自信がつく。
これはある種の戦いである、と考えることにした。
病気に勝つためになにをするか、それは分かっているはずなので、それをひとつひとつやっていけばいい、ということだ。
翌週から、入院生活が始まった。

年に1回受診している健康診断の結果が悪かった。
健康診断の結果をもらうと、それぞれの数値について、適正ゾーンが表示され、自分の結果は、どこに位置しているかを教えてくれる。
昨年までは、その結果を受け取ると、いくつかの数値は、適正ゾーンから少しはずれていたり、境界線上にあったりしていた。
そのくらいであれば、すこし頑張れば、また適正値に戻るのだと、思っていた。
なにを頑張るかは、分からないのだが、要するに甘く見ていたのだ。
健康診断を受診したのが、11月の終わりだった。
ちょうどその年は9月から仕事がいくつも重なり、何事にも、とことんやる主義であったが、さすがにワークロードが極限を超えていたのかもしれない。
自分の限界を超えるようなときは、自然とストッパーが働いて、そこでやめるだろうと安易に考えていたのだ。
さすがに、これではまずいのではないかと思い始めた。
健康診断の少し前から、健康にいいことをしなければと、それまで絶対に行かなかった散歩を始めたりしていた。
健康診断の日は、前日の夜からは絶食して、飲み物も摂ってはいけないということになるのだが、異常にのどの渇きを覚えていた。
水を飲んでもいけないので、つらかった記憶がある。
まさに糖尿病の症状である。
12月に入って、結果が郵送されてきた。
案の定、要注意のマークがいくつもついている。
特に、血糖値とHbA1C(ヘモグロビンA1C)は、異常な数値を示していた。
健康診断の後の医師とのインタビューに出かける。
いつもなら、メタボに気をつけて、運動を適度にして、食事にも注意するように、と言われて帰るのであるが、その日はすぐに糖尿病の指導医のところへ行けという。
その日は、糖尿病の指導医がちょうど診察している日だった。
運がよかったというか、すぐに診てもらえたわけだ。
その先生は、僕よりもやや年輩の先生である。
診断結果を見て、すぐに入院しなさいと言う。
12月のこの時期にすぐに入院ですか、と営業の前線にいる僕は言ってしまう。
はい、1ヶ月入院しなさい、と重ねて言う。
今から1ヶ月というと正月を越えますね。
正月でも病院はやっています。
そんなことは、分かっている、とは言わなかったが、糖尿病指導医は、
外出も外泊も許可されていますが、とにかく入院しなさい、と言う。
仕事がありますので、急には入院できません。来週の月曜日まで待ってください、と言うのが精一杯だった。
それだけ言うと、先生というのは、警察ではないので、絶対に入院しなさいと強制することはできず、僕の入院可能日まで待ってくれた。
急に目の前が暗くなってくる。
糖尿病というのは、不治の病ではないか、ということが頭をよぎる。
親戚にも糖尿病を患って、亡くなった人もいる。
糖尿病で死ぬことはないが、合併症がでてくると命にかかわる。
いままでと同じようなことができないのではないか、どうすればいいのだろう、と考え始める。
入院までの数日間で、とにかくいろいろ調べた。
糖尿病というのは、治療をして治すものではない。
入院して治るものでもない。
それなのに、なぜ入院なのだろう。
調べてみると、どうやら入院というのは、教育入院らしいということが分かる。
糖尿病はどういう病気で、これからどのように生活をするかを指導、教育するための入院である。
入院中にうける診察、検査の内容や期間は、人によって様々であるが、長い人は1ヶ月くらい入院している。
今は便利なもので、ネットを検索すれば、いくらでも情報はある。
もちろんネットの情報を100%鵜呑みにしてはいけない場合もあるが、参考にはなる。
ネットの中には、非常にまめな人がいて、糖尿病の入院記録を、数値を含めて細かく記録している。
その報告期間は、数週間の短いものから数年間にわたる長い記録の人もある。
中には、一度入院して完全に回復しながら、数年後に再び入院し、重い合併症を患って、大変な手術を受けた人もある。こういう話を読むと気が滅入るのは、いたしかたないが、ここまで来たからには、完全に回復してやろうという強い気持ちが湧いてきたのも事実だ。
ネット以外にも、本もいろいろ読んだ。
いくつか読んだ本のなかで、一番よかったのは、医者でありながら、糖尿病になり、そこから復活した人の書いた本だ。
「薬なし食事と運動で糖尿病を治す」(渡邊昌著、講談社)
「糖尿病は薬なしで治せる」(渡邊昌著、角川書店)
渡邊先生は、医者の不養生ではないが、立派な医者でありながら、糖尿病を宣告される。
ところが、いろいろ努力をされて、糖尿病を克服してしまう。
同じ事をすれば、僕も快復できるのではないかと、自信がつく。
これはある種の戦いである、と考えることにした。
病気に勝つためになにをするか、それは分かっているはずなので、それをひとつひとつやっていけばいい、ということだ。
翌週から、入院生活が始まった。
