伝説のBar
- 2015/04/19
- 00:00
伝説と呼ぶのはまだ早いと思うが、伝説と呼ぶのにふさわしいBarがある。
はじめて行ったときは、仕事で一緒になることがあった、酒には相当強い若い人に連れて行ってもらった。
もう5年以上前の話だ。
場所は梅田の兎我野町(とがのちょう)という、大阪の北にしては、すこし雰囲気が怪しげな街だ。
あるビルの2階にあり、狭い階段を上っていく。2階に上がってそのまま廊下をまっすぐに行くと、反対側にも同じような階段があり、向こう側の道に降りてしまう。
Barの扉をあけると、ところ狭しと並んでいるボトルの数に驚く。
しかもそのボトルのラベルを見ても、お酒には、詳しくない僕には、はじめて見る名前ばかりである。
マスターのCさんは、バーテンダー道、60年以上と言う。
僕がはじめて行ったときは、東京からお客さんが来ていた。
その方は、東京は中野でBarをやっている若い方で、お店を見に来たという。
まさに先輩のBarを勉強するために来たのである。
Cさんは、その世界では、知る人ぞ知る、名前の知れたマスターである。
バーテンダーを始めたころの一番弟子という方の年齢が70歳を越えているという。
そのお弟子さんの年齢を聞いて、ご自身が驚いた。
Cさんの話し方は穏やかで、話を聞いていても、飽きることはない。
その話が、BGMと一緒にお店のなかに溶け込んでいく。
その年齢になると、ややもすると若い人には、上から目線になったりすることもありがちだが、そのようなことはない。
女性がひとりでも入って行ける、ふところの深さがある。
カウンターで10席くらいのBarなので、多くても3人くらいで行くのがちょうどよい。
いつも行くときは、お任せで、珍しいリキュールを飲ませてもらうことにしている。
他では飲めないリキュールを飲むことができる。
昔は、マスターが直接ヨーロッパに行って仕入れてきたそうだ。
以前このブログで書いた、心斎橋のJAZZ BAR “C”もそうだったが、やはりマスターの持っている雰囲気、作る世界があって、それがお店全体を作り出す。
それが心地よいから、その時間に満足できるということだろう。
それほど通っているわけではないが、久しぶりにカウンターに座ると、ここち良い気分に癒やされるのである。
カウンターの後ろを見ると、古い写真がある。
マスターの若いときの写真である。
ちょうど進駐軍の車が横を走っているような雰囲気だ。
マスターは、当時の映画俳優と言っても、通るようないい男である。
もちろん、今は年を重ねられて、若いときの雰囲気ではない。
その顔の表情のなかに、積み重ねた歴史がある。
生きてきた足跡を感じるのだ。
お店の上の階には、倉庫代わりの部屋があって、そこにも何千本のボトルがあるそうだ。
後継者はどうするのですか、とお聞きすると、近くにお弟子さんとも言える、マスターからするとかなり若い女性がやっているBarがあるという。
今度は、そちらのお店にも行って見よう。








はじめて行ったときは、仕事で一緒になることがあった、酒には相当強い若い人に連れて行ってもらった。
もう5年以上前の話だ。
場所は梅田の兎我野町(とがのちょう)という、大阪の北にしては、すこし雰囲気が怪しげな街だ。
あるビルの2階にあり、狭い階段を上っていく。2階に上がってそのまま廊下をまっすぐに行くと、反対側にも同じような階段があり、向こう側の道に降りてしまう。
Barの扉をあけると、ところ狭しと並んでいるボトルの数に驚く。
しかもそのボトルのラベルを見ても、お酒には、詳しくない僕には、はじめて見る名前ばかりである。
マスターのCさんは、バーテンダー道、60年以上と言う。
僕がはじめて行ったときは、東京からお客さんが来ていた。
その方は、東京は中野でBarをやっている若い方で、お店を見に来たという。
まさに先輩のBarを勉強するために来たのである。
Cさんは、その世界では、知る人ぞ知る、名前の知れたマスターである。
バーテンダーを始めたころの一番弟子という方の年齢が70歳を越えているという。
そのお弟子さんの年齢を聞いて、ご自身が驚いた。
Cさんの話し方は穏やかで、話を聞いていても、飽きることはない。
その話が、BGMと一緒にお店のなかに溶け込んでいく。
その年齢になると、ややもすると若い人には、上から目線になったりすることもありがちだが、そのようなことはない。
女性がひとりでも入って行ける、ふところの深さがある。
カウンターで10席くらいのBarなので、多くても3人くらいで行くのがちょうどよい。
いつも行くときは、お任せで、珍しいリキュールを飲ませてもらうことにしている。
他では飲めないリキュールを飲むことができる。
昔は、マスターが直接ヨーロッパに行って仕入れてきたそうだ。
以前このブログで書いた、心斎橋のJAZZ BAR “C”もそうだったが、やはりマスターの持っている雰囲気、作る世界があって、それがお店全体を作り出す。
それが心地よいから、その時間に満足できるということだろう。
それほど通っているわけではないが、久しぶりにカウンターに座ると、ここち良い気分に癒やされるのである。
カウンターの後ろを見ると、古い写真がある。
マスターの若いときの写真である。
ちょうど進駐軍の車が横を走っているような雰囲気だ。
マスターは、当時の映画俳優と言っても、通るようないい男である。
もちろん、今は年を重ねられて、若いときの雰囲気ではない。
その顔の表情のなかに、積み重ねた歴史がある。
生きてきた足跡を感じるのだ。
お店の上の階には、倉庫代わりの部屋があって、そこにも何千本のボトルがあるそうだ。
後継者はどうするのですか、とお聞きすると、近くにお弟子さんとも言える、マスターからするとかなり若い女性がやっているBarがあるという。
今度は、そちらのお店にも行って見よう。







