今日の花たち(3)
- 2015/05/07
- 00:00
先日、いつもより早い時間に家をでた。
以前、このブログで紹介した花の世話をされている方が、手入れをされていた。
お孫さんらしいお子さんが手伝っている。
手伝うと言っても、傍にいて見ているだけであるが、それでも、その子にとっては、いい経験になるに違いない。
僕は急ぎ足で、通り過ぎる。
時間もないので、どうも声をかけづらい。
時間のあるときに、花の名前を教えてもらいながら、話ができればいいのだけど、いつになることやら。
次の日に、花の写真を撮った。
こうしてみると、随分種類があるものだ。
名前は僕にはほとんど分からない。
花の図鑑というものがあるとのことだ。
当然と言えば当然のことである。
僕にとって図鑑は、昆虫図鑑くらいだ。
中学のときに、生物の先生が、あるとき貝に随分凝っていた。
というと失礼な言い方であるが、先生としては研究テーマのひとつだったようだ。
貝も新種の貝を発見することがあって、そのときは自分の名前を貝につけることもできるらしい。
先生が貝の新種を見つけて、ご自身の名前をつけることに成功したと聞いた。
いたずら好きの生徒たちは、先生のあだ名に、“イボマイマイ”という、品格のない名前をつけた。
翌年は、その“イボマイマイ”先生は、蝶に凝っていた。
凝るというのは、どこにでもある蝶を採るわけではない。
なかなか採りにくい蝶を採るのである。
採るように生徒を、たきつける、その気にさせるというほうが正しいかもしれない。
兵庫県では、妙高山とか、神戸電鉄で田舎の方まで行って、蝶を採るのである。
日本の国蝶というのがある。
国蝶は、オオムラサキである。これは図鑑でしか見たことがない。
兵庫県の県蝶がある。
それはギフチョウという。兵庫県なのに、ギフチョウというのも不思議である。
調べてみると、岐阜で初めて採集されたことから、この名前がついたようだ。
さらに調べてみると、兵庫県の県蝶としてギフチョウという名前はでてこない。
これは、僕の長い間の勘違いなのか、あるいは絶滅種となっているギフチョウを県蝶とすることを、どこかでやめたのか。
真実は、まだ分からない。愛すべき生物の先生が、生徒を乗せるために言ったことではないとは思うのだが。
どうやら僕の勘違い、長い間の勘違いというのが正しいかもしれない。
そのギフチョウを、中学校のときに採集しに行った。
目的地は、雄岡山、雌岡山である。おっこうさん、めっこうさんと呼ぶ。
ちょうど蝶が羽化するのが5月頃だったと思う。
休みの朝早く、中学の友達と二人ででかけた。
雄岡山と雌岡山は2つ並んで立っている。
神戸電鉄の緑が丘の駅から、それほど遠くない。
当時の記憶はほとんど残っていないのだが、友達は全く採れなかったのに、僕は2匹も捕まえたことは、よく覚えている。
ギフチョウめあての人が結構来ていたように思う。
多くの人が採ることができないなかで、2匹も採れたのは幸運ではあったが、考えてみれば、研究目的でもない中学生が蝶を採っても意味がないことだと、今にして思う。
2匹採ったことで、絶滅種に近づいたわけではないだろうが、無駄な殺生である。
蝶は、本格的に研究らしいこともやったことがあった。
研究というよりも観察日記をつけようと思ったのだ。
中学校のころに、学校の近くの木の葉に卵を産み付けている蝶がいた。
いくつかをさなぎの状態で持ち帰り、家のなかに置いてみた。
毎日成長過程をみるわけでもないが、羽化までの予定日数が経ったときに、学校から帰ると、部屋のなかに数匹の蝶が舞っていた。
そのときは、全部部屋の外に逃がしてやったので、羽化するまで保護したことになるのかもしれない。
ギフチョウのときよりも、蝶の役にたったのだろう。
花の図鑑から話が蝶に行ってしまったが、今度は、花の図鑑を買って、花の名前を調べてみよう。
今日撮った花たち:
(1)ショウブかアヤメか、カキツバタ。

(2)ヒメハナビシソウ かな。

(3) これはナデシコ。

(4) ヒエンソウ かな。

(5)これはひなぎくだね。

(6)

(7)これもひなぎくの一種かな。花びらの端が、他とは違って、薄紅色だ。

(8) キンギョソウ。

(9) これもキンギョソウかな。

(10) バーべナ・テネラ らしい。

(11)

(12)これは、つつじ。

(13)これもつつじ。

以前、このブログで紹介した花の世話をされている方が、手入れをされていた。
お孫さんらしいお子さんが手伝っている。
手伝うと言っても、傍にいて見ているだけであるが、それでも、その子にとっては、いい経験になるに違いない。
僕は急ぎ足で、通り過ぎる。
時間もないので、どうも声をかけづらい。
時間のあるときに、花の名前を教えてもらいながら、話ができればいいのだけど、いつになることやら。
次の日に、花の写真を撮った。
こうしてみると、随分種類があるものだ。
名前は僕にはほとんど分からない。
花の図鑑というものがあるとのことだ。
当然と言えば当然のことである。
僕にとって図鑑は、昆虫図鑑くらいだ。
中学のときに、生物の先生が、あるとき貝に随分凝っていた。
というと失礼な言い方であるが、先生としては研究テーマのひとつだったようだ。
貝も新種の貝を発見することがあって、そのときは自分の名前を貝につけることもできるらしい。
先生が貝の新種を見つけて、ご自身の名前をつけることに成功したと聞いた。
いたずら好きの生徒たちは、先生のあだ名に、“イボマイマイ”という、品格のない名前をつけた。
翌年は、その“イボマイマイ”先生は、蝶に凝っていた。
凝るというのは、どこにでもある蝶を採るわけではない。
なかなか採りにくい蝶を採るのである。
採るように生徒を、たきつける、その気にさせるというほうが正しいかもしれない。
兵庫県では、妙高山とか、神戸電鉄で田舎の方まで行って、蝶を採るのである。
日本の国蝶というのがある。
国蝶は、オオムラサキである。これは図鑑でしか見たことがない。
兵庫県の県蝶がある。
それはギフチョウという。兵庫県なのに、ギフチョウというのも不思議である。
調べてみると、岐阜で初めて採集されたことから、この名前がついたようだ。
さらに調べてみると、兵庫県の県蝶としてギフチョウという名前はでてこない。
これは、僕の長い間の勘違いなのか、あるいは絶滅種となっているギフチョウを県蝶とすることを、どこかでやめたのか。
真実は、まだ分からない。愛すべき生物の先生が、生徒を乗せるために言ったことではないとは思うのだが。
どうやら僕の勘違い、長い間の勘違いというのが正しいかもしれない。
そのギフチョウを、中学校のときに採集しに行った。
目的地は、雄岡山、雌岡山である。おっこうさん、めっこうさんと呼ぶ。
ちょうど蝶が羽化するのが5月頃だったと思う。
休みの朝早く、中学の友達と二人ででかけた。
雄岡山と雌岡山は2つ並んで立っている。
神戸電鉄の緑が丘の駅から、それほど遠くない。
当時の記憶はほとんど残っていないのだが、友達は全く採れなかったのに、僕は2匹も捕まえたことは、よく覚えている。
ギフチョウめあての人が結構来ていたように思う。
多くの人が採ることができないなかで、2匹も採れたのは幸運ではあったが、考えてみれば、研究目的でもない中学生が蝶を採っても意味がないことだと、今にして思う。
2匹採ったことで、絶滅種に近づいたわけではないだろうが、無駄な殺生である。
蝶は、本格的に研究らしいこともやったことがあった。
研究というよりも観察日記をつけようと思ったのだ。
中学校のころに、学校の近くの木の葉に卵を産み付けている蝶がいた。
いくつかをさなぎの状態で持ち帰り、家のなかに置いてみた。
毎日成長過程をみるわけでもないが、羽化までの予定日数が経ったときに、学校から帰ると、部屋のなかに数匹の蝶が舞っていた。
そのときは、全部部屋の外に逃がしてやったので、羽化するまで保護したことになるのかもしれない。
ギフチョウのときよりも、蝶の役にたったのだろう。
花の図鑑から話が蝶に行ってしまったが、今度は、花の図鑑を買って、花の名前を調べてみよう。
今日撮った花たち:
(1)ショウブかアヤメか、カキツバタ。

(2)ヒメハナビシソウ かな。

(3) これはナデシコ。

(4) ヒエンソウ かな。

(5)これはひなぎくだね。

(6)

(7)これもひなぎくの一種かな。花びらの端が、他とは違って、薄紅色だ。

(8) キンギョソウ。

(9) これもキンギョソウかな。

(10) バーべナ・テネラ らしい。

(11)

(12)これは、つつじ。

(13)これもつつじ。
