外資系の会社と日本の会社
- 2015/05/09
- 00:00
僕は、初め日本の会社で仕事をしていた。
製造業である。
そこで10年間働いた。
その後、転職してIT系の会社に入った。
外資系の会社である。
入社当時は外資系といっても、終身雇用が不文律のように残っていた、“いい会社”だった。
だが、世の中は常に動いている。
次第に厳しさが出てくる。
業績が予定とおりに達成できないと、人員を削減する。
給与全体額がある。それを減らすことになる。
日本の会社では、少なくとも当時は、人員を削減しないで、一人あたりの給与額を減らして、総額を減らす。
外資系の会社では、一人あたりの給与額を減らさないで、人員を削減する。
極端な言い方かも知れないが、そのくらいの違いがあった。
製造業でも、IT系の会社でも、いずれでも予定とおり、計画が進まない、売上げを達成できない、利益が出ないということがあった。
その場合の対応の仕方に大きな違いがあるわけだ。
そういう経験をしたことを、IT系の会社に在籍していたときに、同僚と話したことがある。
その中のひとりが、比較的最近転職してきた女性だった。
僕よりはかなり若い女性だ。
彼女が言うには、この会社は外資系でありながら、日本の会社だという。
本当の外資系とはこういうものではないらしい。
彼女の前職は、金融系の外資系の会社だと言う。
名前を聞くと、確かにばりばりの外資系だ。
アメリカで日本の会社の系列の小さな商社の社長をやっていた人がいる。
確かに、その人が言うには、給料は週単位。不要になったら、週単位で解雇をするとのことだった。
これは、雇う側には便利なシステムである。
必要になれば募集すればいい。
不要になれば、すぐに解雇である。
従業員のほうも、条件がいいところがあれば、来週には転職しているわけだ。
アメリカに出張したときに、たまたま出張先のグループが新しい人を雇うことを計画していた。
今日はその候補の一人と面接するので、その面接の場に同席しないかと誘われたことがある。
面白そうなというと、応募者には失礼であるが、良い経験だと思って参加した。
形式は、日本の面接とはかなり異なっている。
候補者が、自分自身の経歴をプレゼンテーションする。
担当者の数名が、候補者に質問をする。
ミーティングである。
プレゼンテーション付きのインタビューだ。
候補者の専門分野は、研究所での研究員の募集だったので、まさに技術系の特殊なものである。
経歴を聞くと、NASAとか著名な研究所の名前が出てくる。
このような形で、働く人も流動的であり、より条件のよいところへ移ることも、日本に比べれば、容易である。
そういう仕組みができている。
日本でも転職する仕組みはできつつあるが、やはり基本は、ひとつのところで継続して勤務するということだろう。
日本では、会社に対するロイヤリティというものが要求されたりする。
このあたりの差が日本とアメリカにはある。
その度合いは、会社により様々であり、外資系でも差がある。
その違いを、外資系から転職してきた女性は言いたかったのだろう。
どちらを選ぶかは、本人次第でもあるが、それだけの余裕がない場合もある。
僕自身もどちらがいいですかという質問を受けた場合、簡単に答えることはできない。
初め勤めていた製造業の会社に仕事で行くことがあった。
転職してから20年以上の時間が経っている。
僕が仕事をしているときに、横に座っていた4年くらい先輩だったTさんが、その事業のトップになっていた。
その事業部門そのものが別会社になっていたので、社長ということになる。
オフィスのなかに入っていくと、懐かしい顔が多い。
もちろん顔は変わっているが、昔の面影が残っているので、ああ、あの人だと、仕事をしていた頃がよみがえる。
僕を見て、昔と同じように親しみを込めた呼び方で、話しかけてくる。
「XXちゃん、今日はTさんに会うんやろ」
「知ってたん?」
「Tさんの予定は全部、分かっているよ」
Tさんの写真が載っているWEBのページには、メッセージがある。
社長の言葉だ。
大事にするものの一番目は、お客様。
そしてその次は、社員であると。
5番目までの中には、今や多くの会社では当然となっている”株主“という言葉はなかった。
日本の会社の、昔のよいところ、社員への暖かさが残っていた。
それが昔、仕事をしていたオフィスの中を歩いていても、よく分かる。
日本の会社か、外資系か、いずれを選ぶか、もう一度同じ道を歩くとしたらどうだろう。
答えは簡単にはでないだろうけど、自分が歩いて来た道は、それなりによかったと思っている。

製造業である。
そこで10年間働いた。
その後、転職してIT系の会社に入った。
外資系の会社である。
入社当時は外資系といっても、終身雇用が不文律のように残っていた、“いい会社”だった。
だが、世の中は常に動いている。
次第に厳しさが出てくる。
業績が予定とおりに達成できないと、人員を削減する。
給与全体額がある。それを減らすことになる。
日本の会社では、少なくとも当時は、人員を削減しないで、一人あたりの給与額を減らして、総額を減らす。
外資系の会社では、一人あたりの給与額を減らさないで、人員を削減する。
極端な言い方かも知れないが、そのくらいの違いがあった。
製造業でも、IT系の会社でも、いずれでも予定とおり、計画が進まない、売上げを達成できない、利益が出ないということがあった。
その場合の対応の仕方に大きな違いがあるわけだ。
そういう経験をしたことを、IT系の会社に在籍していたときに、同僚と話したことがある。
その中のひとりが、比較的最近転職してきた女性だった。
僕よりはかなり若い女性だ。
彼女が言うには、この会社は外資系でありながら、日本の会社だという。
本当の外資系とはこういうものではないらしい。
彼女の前職は、金融系の外資系の会社だと言う。
名前を聞くと、確かにばりばりの外資系だ。
アメリカで日本の会社の系列の小さな商社の社長をやっていた人がいる。
確かに、その人が言うには、給料は週単位。不要になったら、週単位で解雇をするとのことだった。
これは、雇う側には便利なシステムである。
必要になれば募集すればいい。
不要になれば、すぐに解雇である。
従業員のほうも、条件がいいところがあれば、来週には転職しているわけだ。
アメリカに出張したときに、たまたま出張先のグループが新しい人を雇うことを計画していた。
今日はその候補の一人と面接するので、その面接の場に同席しないかと誘われたことがある。
面白そうなというと、応募者には失礼であるが、良い経験だと思って参加した。
形式は、日本の面接とはかなり異なっている。
候補者が、自分自身の経歴をプレゼンテーションする。
担当者の数名が、候補者に質問をする。
ミーティングである。
プレゼンテーション付きのインタビューだ。
候補者の専門分野は、研究所での研究員の募集だったので、まさに技術系の特殊なものである。
経歴を聞くと、NASAとか著名な研究所の名前が出てくる。
このような形で、働く人も流動的であり、より条件のよいところへ移ることも、日本に比べれば、容易である。
そういう仕組みができている。
日本でも転職する仕組みはできつつあるが、やはり基本は、ひとつのところで継続して勤務するということだろう。
日本では、会社に対するロイヤリティというものが要求されたりする。
このあたりの差が日本とアメリカにはある。
その度合いは、会社により様々であり、外資系でも差がある。
その違いを、外資系から転職してきた女性は言いたかったのだろう。
どちらを選ぶかは、本人次第でもあるが、それだけの余裕がない場合もある。
僕自身もどちらがいいですかという質問を受けた場合、簡単に答えることはできない。
初め勤めていた製造業の会社に仕事で行くことがあった。
転職してから20年以上の時間が経っている。
僕が仕事をしているときに、横に座っていた4年くらい先輩だったTさんが、その事業のトップになっていた。
その事業部門そのものが別会社になっていたので、社長ということになる。
オフィスのなかに入っていくと、懐かしい顔が多い。
もちろん顔は変わっているが、昔の面影が残っているので、ああ、あの人だと、仕事をしていた頃がよみがえる。
僕を見て、昔と同じように親しみを込めた呼び方で、話しかけてくる。
「XXちゃん、今日はTさんに会うんやろ」
「知ってたん?」
「Tさんの予定は全部、分かっているよ」
Tさんの写真が載っているWEBのページには、メッセージがある。
社長の言葉だ。
大事にするものの一番目は、お客様。
そしてその次は、社員であると。
5番目までの中には、今や多くの会社では当然となっている”株主“という言葉はなかった。
日本の会社の、昔のよいところ、社員への暖かさが残っていた。
それが昔、仕事をしていたオフィスの中を歩いていても、よく分かる。
日本の会社か、外資系か、いずれを選ぶか、もう一度同じ道を歩くとしたらどうだろう。
答えは簡単にはでないだろうけど、自分が歩いて来た道は、それなりによかったと思っている。
