弘前にて(2)
- 2015/01/09
- 08:00
翌日は、それぞれ行き先がばらばらである。
出かける前に旅館の朝の定食をとる。
いわゆる旅館の朝食の定番。和定食である。
ご飯がまたまたおいしい。
普段、朝飯はパンなので、あまりご飯は食べないのだが、珍しくお替わりをしてしまう。
ご飯のおいしい理由を、昨日から考えているが、味のよいお米、釜で炊くこともあるが、一番効いているのは水だ。
水がおいしいのだ。
関西とはそこが全く違う。
昨日の夜、行き先を決めていた。
東北の各県を年に2回、仕事でまわるようになってから、仕事は金曜日なので、翌日の土曜日は、帰りの便の出発時間に間に合うように、どこか適当なところを見つけて、行くようにしている。
おおむねその県の出身の歴史上の人物、名前が残っている人に関係した場所にいくことにしている。
青森では、太宰治を選んだ。
津軽の人だ。
斜陽館がある。
泊まった旅館からは、弘前駅へ出て、弘前からはJRで五所川原へ、そこで津軽鉄道に乗り換えて、金木まで行くことになる。
斜陽館に行く前に、弘前城に立ち寄ることにした。
弘前城は、昨日の会場であった弘前文化センターのすぐ近くである。
城の中を散策する。
紅葉が一番よい時期だったようだ。
見事な紅葉だった。
弘前城の紅葉

弘前城

城内の北門(亀甲門)。重要文化財である。

弘前城の外の町。

弘前城内を散策する。

その後は、いよいよ津軽へ向けて出発である。
太宰治を読んだのは、学生の頃だったか、高校生のころだったか、いずれにしてもかなり昔の話しだ。
ほとんど記憶がないが、さらさらとした読みやすい軽快なイメージが残っている。
斜陽館に向かって歩いて行く。
あまり人はいない。
太宰治ファンの人たちが行列を作るという時代でもないのだろう。
斜陽館に到着。

それでも斜陽館に入ると、案内をしてくれる人がいて、木造2階建ての建物のなかを案内してくれる。
太宰の家は,津軽では名家である。
お兄さんは県知事でもある。
斜陽館の中。

立派なご仏壇。名家である。

このような記念館のような施設にはいると、その人の歴史を語るような年表が入り口近くにあるものだが、それがない。
1階から2階とひととおりめぐったが、やはりない。
建屋のとなりに、大きな蔵がある。
その中に入る。
本が展示されていたり、太宰治ゆかりのものがある。
そこでようやく年表を見つける。
なぜか津軽の地では、太宰治は恥ずかしそうに展示されている気がした。
心中を何回も繰り返し、作家としての才能は素晴らしいものがあったのだろうが、その芸術性のゆえか、女性については、独特の生き方をしたのだろう。
地元では、名家の金持ちのぼっちゃんとして、いつも女性で問題を起こす青年として、正しく評価されていなかったのかもしれない。
という気がした。
女性から見ると、こういう男性は嫌われるのではと思うが、太宰治ファンには女性が多いのではないだろうか。
それは作家として、芸術家としての評価については、女性からは高く見られているということかもしれない。
暖かい日差しのなか、斜陽館を後にする。
青森には,もう一度行ってみたいと思う。
どこからでも見える岩木山。
東北には、こういう雄大な山が人々を見守っている気がする。
岩木山

金木駅。

走れメロス号。

出かける前に旅館の朝の定食をとる。
いわゆる旅館の朝食の定番。和定食である。
ご飯がまたまたおいしい。
普段、朝飯はパンなので、あまりご飯は食べないのだが、珍しくお替わりをしてしまう。
ご飯のおいしい理由を、昨日から考えているが、味のよいお米、釜で炊くこともあるが、一番効いているのは水だ。
水がおいしいのだ。
関西とはそこが全く違う。
昨日の夜、行き先を決めていた。
東北の各県を年に2回、仕事でまわるようになってから、仕事は金曜日なので、翌日の土曜日は、帰りの便の出発時間に間に合うように、どこか適当なところを見つけて、行くようにしている。
おおむねその県の出身の歴史上の人物、名前が残っている人に関係した場所にいくことにしている。
青森では、太宰治を選んだ。
津軽の人だ。
斜陽館がある。
泊まった旅館からは、弘前駅へ出て、弘前からはJRで五所川原へ、そこで津軽鉄道に乗り換えて、金木まで行くことになる。
斜陽館に行く前に、弘前城に立ち寄ることにした。
弘前城は、昨日の会場であった弘前文化センターのすぐ近くである。
城の中を散策する。
紅葉が一番よい時期だったようだ。
見事な紅葉だった。
弘前城の紅葉

弘前城

城内の北門(亀甲門)。重要文化財である。

弘前城の外の町。

弘前城内を散策する。

その後は、いよいよ津軽へ向けて出発である。
太宰治を読んだのは、学生の頃だったか、高校生のころだったか、いずれにしてもかなり昔の話しだ。
ほとんど記憶がないが、さらさらとした読みやすい軽快なイメージが残っている。
斜陽館に向かって歩いて行く。
あまり人はいない。
太宰治ファンの人たちが行列を作るという時代でもないのだろう。
斜陽館に到着。

それでも斜陽館に入ると、案内をしてくれる人がいて、木造2階建ての建物のなかを案内してくれる。
太宰の家は,津軽では名家である。
お兄さんは県知事でもある。
斜陽館の中。

立派なご仏壇。名家である。

このような記念館のような施設にはいると、その人の歴史を語るような年表が入り口近くにあるものだが、それがない。
1階から2階とひととおりめぐったが、やはりない。
建屋のとなりに、大きな蔵がある。
その中に入る。
本が展示されていたり、太宰治ゆかりのものがある。
そこでようやく年表を見つける。
なぜか津軽の地では、太宰治は恥ずかしそうに展示されている気がした。
心中を何回も繰り返し、作家としての才能は素晴らしいものがあったのだろうが、その芸術性のゆえか、女性については、独特の生き方をしたのだろう。
地元では、名家の金持ちのぼっちゃんとして、いつも女性で問題を起こす青年として、正しく評価されていなかったのかもしれない。
という気がした。
女性から見ると、こういう男性は嫌われるのではと思うが、太宰治ファンには女性が多いのではないだろうか。
それは作家として、芸術家としての評価については、女性からは高く見られているということかもしれない。
暖かい日差しのなか、斜陽館を後にする。
青森には,もう一度行ってみたいと思う。
どこからでも見える岩木山。
東北には、こういう雄大な山が人々を見守っている気がする。
岩木山

金木駅。

走れメロス号。
