葉室頼昭さん
- 2015/05/15
- 00:00
葉室頼昭さんは、春日神社の宮司をされていた方だ。
葉室というお名前から分かるように、藤原氏の系統の貴族の血筋である。
僕が初めて、葉室頼昭さんのお名前を聞いたのは、先輩のTさんからである。
Tさんのことは、このブログでも何回か話したことがある。
年齢は僕より上で、しかも現役時代にやってきたことは、その道でも先進的な取組をされ、会社の中でも、高く評価をされていた。
在籍中から、僕は、親しくさせていただいていた。
でも、Tさんから葉室頼昭さんのことを聞いたのは、初めてTさんに会ってから、5年以上経っていたと思う。
それは、ある会合が終わった後の、飲み会の席だった。
なぜか、葉室頼昭さんのことがTさんから話をされた。
人との出会いというのは、いろいろな形がある。
葉室頼昭さんの場合は、このように僕の近くにいる人から聞いて初めて知ったのである。
例えば、東北に行くことがある。
そこでその土地の歴史上の人物に巡り会う。
名前だけを知っていた人であっても、記念館とか、そういう場所でその人の歴史を見て、それから調べ始めて、深く知ることになる。
そのような出会いもある。
葉室頼昭さんは、はじめは医者である。
東京出身でありながら、大阪大学の医学部に入る。
阪大入学後、肺結核になり、瀕死の状態で、東京へ戻ることになる。
その汽車のなかで、一冊の本を読む。
その本で、人は、神さまの力によって生かされているということを教えられる。
大阪を出る時には、危篤状態とも言える病状だったのが、東京へ着いたころには、ひとりで立ち上がれるまでに快復している。
まるで奇跡のような復活である。
その後、医者として病院を開業するのだが、50歳を過ぎてから、神職の勉強を始める。
それも通信教育である。
医者の仕事を続けながら、勉強を続け、神職の階位の最高位である、明階を取る。
それから、医者を辞め、牧岡神社の宮司を拝命し、その後、春日大社の宮司となるわけだ。
葉室頼昭さんは、6年前に82歳で亡くなられている。
Tさんは葉室頼昭さんのお話を春日大社で直接聞かれたという。
僕は、葉室頼昭さんの書かれた“神道”の本を何冊か読んだ。
それは、Tさんから葉室頼昭さんの話を聞いた夜、家に戻ってすぐに本を注文した。
葉室頼昭さんは、10数年の間に、16冊の本を書かれている。
これだけの本を宮司の職にありながら、書かれるというのは、なかなかできることではない。
Tさんは、それは、きっと神さまが葉室頼昭さんに書かせているのだろうと言われた。
まさに、そのような感じがする。
葉室頼昭さんの本を読むと、こころが洗われる気持ちになる。
話しの内容は、決して難しいものではない。
自然と言葉が目から、頭の中に入っていく。
こころのなかにしみ込んでいく。
お経巻ではないが、なにかそれに近いところがある。
久しぶりに、読み直してみよう。

葉室というお名前から分かるように、藤原氏の系統の貴族の血筋である。
僕が初めて、葉室頼昭さんのお名前を聞いたのは、先輩のTさんからである。
Tさんのことは、このブログでも何回か話したことがある。
年齢は僕より上で、しかも現役時代にやってきたことは、その道でも先進的な取組をされ、会社の中でも、高く評価をされていた。
在籍中から、僕は、親しくさせていただいていた。
でも、Tさんから葉室頼昭さんのことを聞いたのは、初めてTさんに会ってから、5年以上経っていたと思う。
それは、ある会合が終わった後の、飲み会の席だった。
なぜか、葉室頼昭さんのことがTさんから話をされた。
人との出会いというのは、いろいろな形がある。
葉室頼昭さんの場合は、このように僕の近くにいる人から聞いて初めて知ったのである。
例えば、東北に行くことがある。
そこでその土地の歴史上の人物に巡り会う。
名前だけを知っていた人であっても、記念館とか、そういう場所でその人の歴史を見て、それから調べ始めて、深く知ることになる。
そのような出会いもある。
葉室頼昭さんは、はじめは医者である。
東京出身でありながら、大阪大学の医学部に入る。
阪大入学後、肺結核になり、瀕死の状態で、東京へ戻ることになる。
その汽車のなかで、一冊の本を読む。
その本で、人は、神さまの力によって生かされているということを教えられる。
大阪を出る時には、危篤状態とも言える病状だったのが、東京へ着いたころには、ひとりで立ち上がれるまでに快復している。
まるで奇跡のような復活である。
その後、医者として病院を開業するのだが、50歳を過ぎてから、神職の勉強を始める。
それも通信教育である。
医者の仕事を続けながら、勉強を続け、神職の階位の最高位である、明階を取る。
それから、医者を辞め、牧岡神社の宮司を拝命し、その後、春日大社の宮司となるわけだ。
葉室頼昭さんは、6年前に82歳で亡くなられている。
Tさんは葉室頼昭さんのお話を春日大社で直接聞かれたという。
僕は、葉室頼昭さんの書かれた“神道”の本を何冊か読んだ。
それは、Tさんから葉室頼昭さんの話を聞いた夜、家に戻ってすぐに本を注文した。
葉室頼昭さんは、10数年の間に、16冊の本を書かれている。
これだけの本を宮司の職にありながら、書かれるというのは、なかなかできることではない。
Tさんは、それは、きっと神さまが葉室頼昭さんに書かせているのだろうと言われた。
まさに、そのような感じがする。
葉室頼昭さんの本を読むと、こころが洗われる気持ちになる。
話しの内容は、決して難しいものではない。
自然と言葉が目から、頭の中に入っていく。
こころのなかにしみ込んでいく。
お経巻ではないが、なにかそれに近いところがある。
久しぶりに、読み直してみよう。
