長谷川 義史さん
- 2015/05/16
- 00:00
長谷川 義史さんは絵本作家である。
はじめて知ったのは、昼間にテレビをたまたま見ることがあり、そこに出ておられた。
見るつもりはなかったのだけど、なかなかスイッチを切ることができず、結局最後まで見てしまった。
昼のテレビ番組では、准レギュラー的な位置におられるようだ。
僕の見た番組では、富士山の見える、富士宮市に行って、1泊2日であちこちを歩きながら、スケッチを描く。
いろいろなところから富士山を入れた絵を描くのである。
富士宮市では、生活のなかに富士山が入っている。
富士山を書いた絵というのは、世の中にたくさんあるが、それらとは違う富士山である。
そこに住んでいる人の家の軒先の向こうに、遠慮がちに富士山が顔を覗かせる。
そして、その絵のなかに、長谷川義史さんが一言書きいれる。
その絵の優しさと、一言書いた文章が、妙にマッチしている。
歩きながら、絵を描きながら、自分でひとりごとのようにしゃべる。
そのしゃべった言葉が、絵のなかに書き込まれる。
しゃべった言葉がテレビのなかから聞こえてくるので、いっそう印象強く残る。
また、それが関西弁なのがいい。
優しい関西弁だ。
1泊2日の旅のなかで、小学校に行ったり、お好み焼きを焼いているお店に入ったり、街を歩いている人たちに会ったりして、出会った人たちの絵を描いてゆく。
今時は、デジカメを取り出して写真に撮るのが、簡便なやりかただけど、やはり時間をかけても、絵を描くのはいいなぁと思う。
僕も今はいつもデジカメを持っていて、シャッターを押す。
メモ代わりの写真だ。
でもこうやって、さらさらっと絵が描けたらと思う。
僕自身は、絵を描かなくなって、何十年も経っている。
最後に書いたのは、小学校か、中学校か。
長谷川義史さんの絵で思い出した。
安来の足立美術館は、横山大観の絵が世界中で最も多く集められていることで有名だ。
その中の一つのコーナーに、長谷川義史さんと同じような雰囲気の絵を描く人の作品がある。
とても優しい。
作者の名前は、林義雄さん。
林義雄さんは、今はすでに亡くなられている。
名前と絵がつながらない人でも、きっと林義雄さんの絵を見たことがあるはずだ。
林義雄さんは、105歳まで生きた方だ。
しかも、100歳を越えても、作品を発表していたとのこと。
年を重ねても、自分の道で生き続ける。
素晴らしいと思う。
僕も見習いたい。

はじめて知ったのは、昼間にテレビをたまたま見ることがあり、そこに出ておられた。
見るつもりはなかったのだけど、なかなかスイッチを切ることができず、結局最後まで見てしまった。
昼のテレビ番組では、准レギュラー的な位置におられるようだ。
僕の見た番組では、富士山の見える、富士宮市に行って、1泊2日であちこちを歩きながら、スケッチを描く。
いろいろなところから富士山を入れた絵を描くのである。
富士宮市では、生活のなかに富士山が入っている。
富士山を書いた絵というのは、世の中にたくさんあるが、それらとは違う富士山である。
そこに住んでいる人の家の軒先の向こうに、遠慮がちに富士山が顔を覗かせる。
そして、その絵のなかに、長谷川義史さんが一言書きいれる。
その絵の優しさと、一言書いた文章が、妙にマッチしている。
歩きながら、絵を描きながら、自分でひとりごとのようにしゃべる。
そのしゃべった言葉が、絵のなかに書き込まれる。
しゃべった言葉がテレビのなかから聞こえてくるので、いっそう印象強く残る。
また、それが関西弁なのがいい。
優しい関西弁だ。
1泊2日の旅のなかで、小学校に行ったり、お好み焼きを焼いているお店に入ったり、街を歩いている人たちに会ったりして、出会った人たちの絵を描いてゆく。
今時は、デジカメを取り出して写真に撮るのが、簡便なやりかただけど、やはり時間をかけても、絵を描くのはいいなぁと思う。
僕も今はいつもデジカメを持っていて、シャッターを押す。
メモ代わりの写真だ。
でもこうやって、さらさらっと絵が描けたらと思う。
僕自身は、絵を描かなくなって、何十年も経っている。
最後に書いたのは、小学校か、中学校か。
長谷川義史さんの絵で思い出した。
安来の足立美術館は、横山大観の絵が世界中で最も多く集められていることで有名だ。
その中の一つのコーナーに、長谷川義史さんと同じような雰囲気の絵を描く人の作品がある。
とても優しい。
作者の名前は、林義雄さん。
林義雄さんは、今はすでに亡くなられている。
名前と絵がつながらない人でも、きっと林義雄さんの絵を見たことがあるはずだ。
林義雄さんは、105歳まで生きた方だ。
しかも、100歳を越えても、作品を発表していたとのこと。
年を重ねても、自分の道で生き続ける。
素晴らしいと思う。
僕も見習いたい。
