法要
- 2015/05/19
- 00:00
今朝、珍しい人から携帯にCメールが入って来た。
中学・高校の同期のT君からだ。
T君は中学のときの水泳部の同期でもある。
水泳部には同じ学年で在籍していたのは4名だった。
T君とは小学校も同窓で、実家も近かったので、同期の他の友人よりも気易く話ができる関係だった。
ただ、大学へ入ってからは、ほとんど会うこともなく、時間が経っていた。
彼からのメールには、Hさんが亡くなりました、とある。
Hさんは水泳部の先輩である。
すぐに返信してから電話をかけた。
どうも携帯メールで細かい話をするのは苦手だ。
PCメールであれば、多少ややこしい話でも慣れているが、親指だけのメールはだめだ。
彼はすぐに電話に出てきて、お通夜と葬式の日程を確認する。
お通夜は今夜の18時から、葬式は明後日の10時からということだ。
今夜のお通夜に行くことにした。
Hさんは、僕より4年上の先輩だ。
水泳部で随分お世話になった。
僕が水泳部に入ったのは、中学2年のときで、そのときにHさんは高校3年生である。
水泳部に入ると、当時はクロールをするか、平泳ぎをするかを、先ず決める。
まだまだスイミングクラブは一般的ではなく、学校の水泳部ではじめて本格的に水泳をするメンバーばかりである。
Hさんが、ある動作をさせて、それによって、どちらにに向いているかを決めるのである。
今思うと、それが合理的な方法ではないのかもしれないが、きっと伝統的にそのようなは判定方法が口伝されてきたのだろう。
平泳ぎは,脚のけりが効率よくできるかという観点で決める。
まっすぐに立って、そのまま、かかとをあげないで、膝をまげて腰を落としていく。
そのときに、脚の裏は当然地面に全て付いているわけで、そのままの姿勢で、膝が前に出るので、足首の柔らかさがないとなかなか腰を落とすことはできない。
一方クロールも脚のけりを考えて、足先がひれのように柔軟かどうかという観点で決める。
まず正座をする。そのとき足の甲を全部地面につける。
そのまま膝を上に持ち上げていき、どの程度あげられるかを見る。
足首が柔らかいと、足の甲を地面につけたまま膝を上に上げることができる。
僕の場合は、クロールに向いているということで、その先、大学2年まで続く水泳部生活をクロールを主としてやることになったわけだ。
一生の決めごとというほど、大げさでもないけど、そのときに平泳ぎを選択していれば、僕の人生も変わったかもしれない。
そのような重大な岐路を決めたのがHさんだったのだ。
その後、Hさんはときたま練習を見に来て、後輩を指導していた。
ただ、Hさんご自身は大学へ入学されてからは、水泳ではなく、柔道をされて、大学卒業後も、柔道関係の連盟の役員をされていたようだ。
一番最近お会いしたのは、4年前の夏のことだった。
水泳部の先輩後輩が5人集まったときに来られていた。
その中では最年長だった。
当時はお元気そうに見えたが、その翌年に胃がんで胃を全摘されたそうだ。
手術の後あたりから心臓が弱っておられて、体調もすぐれなかったということをお聞きした。
4年前の写真を見てみると、確かに、あまりいい顔色ではなかった。
胃の全摘前であるが、体調が良くなかったのだろう。
ひさしぶりに後輩たちに会えるということで、無理をして出てこられたのかも知れない。
お通夜の会場に僕が着いたのは20時半くらいだ。
ほとんどの方が帰られて、関係者だけ残っておられた。
僕と同期で同じく水泳部だった、M君が座っていた。
M君は、Hさんとは家も隣同士という間柄だ。
18時の開始時刻のころは、600人くらいの方が参列していて、車が駐車場に入れなかったらしい。
ほとんどが柔道関係の方だったとのこと。
Hさんはまだまだ若い。
やりたいこともあったと思う。
もっと長生きしたかったと思う。
ご冥福をお祈りする。

中学・高校の同期のT君からだ。
T君は中学のときの水泳部の同期でもある。
水泳部には同じ学年で在籍していたのは4名だった。
T君とは小学校も同窓で、実家も近かったので、同期の他の友人よりも気易く話ができる関係だった。
ただ、大学へ入ってからは、ほとんど会うこともなく、時間が経っていた。
彼からのメールには、Hさんが亡くなりました、とある。
Hさんは水泳部の先輩である。
すぐに返信してから電話をかけた。
どうも携帯メールで細かい話をするのは苦手だ。
PCメールであれば、多少ややこしい話でも慣れているが、親指だけのメールはだめだ。
彼はすぐに電話に出てきて、お通夜と葬式の日程を確認する。
お通夜は今夜の18時から、葬式は明後日の10時からということだ。
今夜のお通夜に行くことにした。
Hさんは、僕より4年上の先輩だ。
水泳部で随分お世話になった。
僕が水泳部に入ったのは、中学2年のときで、そのときにHさんは高校3年生である。
水泳部に入ると、当時はクロールをするか、平泳ぎをするかを、先ず決める。
まだまだスイミングクラブは一般的ではなく、学校の水泳部ではじめて本格的に水泳をするメンバーばかりである。
Hさんが、ある動作をさせて、それによって、どちらにに向いているかを決めるのである。
今思うと、それが合理的な方法ではないのかもしれないが、きっと伝統的にそのようなは判定方法が口伝されてきたのだろう。
平泳ぎは,脚のけりが効率よくできるかという観点で決める。
まっすぐに立って、そのまま、かかとをあげないで、膝をまげて腰を落としていく。
そのときに、脚の裏は当然地面に全て付いているわけで、そのままの姿勢で、膝が前に出るので、足首の柔らかさがないとなかなか腰を落とすことはできない。
一方クロールも脚のけりを考えて、足先がひれのように柔軟かどうかという観点で決める。
まず正座をする。そのとき足の甲を全部地面につける。
そのまま膝を上に持ち上げていき、どの程度あげられるかを見る。
足首が柔らかいと、足の甲を地面につけたまま膝を上に上げることができる。
僕の場合は、クロールに向いているということで、その先、大学2年まで続く水泳部生活をクロールを主としてやることになったわけだ。
一生の決めごとというほど、大げさでもないけど、そのときに平泳ぎを選択していれば、僕の人生も変わったかもしれない。
そのような重大な岐路を決めたのがHさんだったのだ。
その後、Hさんはときたま練習を見に来て、後輩を指導していた。
ただ、Hさんご自身は大学へ入学されてからは、水泳ではなく、柔道をされて、大学卒業後も、柔道関係の連盟の役員をされていたようだ。
一番最近お会いしたのは、4年前の夏のことだった。
水泳部の先輩後輩が5人集まったときに来られていた。
その中では最年長だった。
当時はお元気そうに見えたが、その翌年に胃がんで胃を全摘されたそうだ。
手術の後あたりから心臓が弱っておられて、体調もすぐれなかったということをお聞きした。
4年前の写真を見てみると、確かに、あまりいい顔色ではなかった。
胃の全摘前であるが、体調が良くなかったのだろう。
ひさしぶりに後輩たちに会えるということで、無理をして出てこられたのかも知れない。
お通夜の会場に僕が着いたのは20時半くらいだ。
ほとんどの方が帰られて、関係者だけ残っておられた。
僕と同期で同じく水泳部だった、M君が座っていた。
M君は、Hさんとは家も隣同士という間柄だ。
18時の開始時刻のころは、600人くらいの方が参列していて、車が駐車場に入れなかったらしい。
ほとんどが柔道関係の方だったとのこと。
Hさんはまだまだ若い。
やりたいこともあったと思う。
もっと長生きしたかったと思う。
ご冥福をお祈りする。
