声を聞かせてください
- 2015/06/02
- 00:00
市役所に行くと、あなたの声を聞かせてください、という箱がある。
それは市民の声を市政に反映させるためのご意見箱のようなものだ。
二人が市役所ではないが、区役所に入っていく。
東京都葛飾区だ。
建屋に入ると、ご意見箱がある。
ふと箱の前に立ち止まる二人。
普段はこういう役所には一番縁遠い二人である。
箱の意味が分からない。
首をかしげながら、箱に向かって、あーという声を出す。
もちろん、箱からはなにの反応もない。
箱をしばらく見つめて、その場を立ち去る二人。
これは、映画「男はつらいよ」の一シーンだ。
二人というのは、寅さんと源ちゃんだ。
寅さんは、全作品を見ているが、このようないわゆる小ネタ的なお笑いシーンは少ない。
確かに、このシーンがなくても、全体の流れのなかでは、話は通るわけだ。
それでも、それなりに意味があるのだと、僕は思っている。
この映画の場合は、寅さんと源ちゃんは、区役所に行くことは、まずないわけで、この二人は、区役所に行くのは、初めてで、ご意見箱の意味も分からないということを伝えているのだ。
このような笑いの取り方は、他の寅さんの映画にも出てきたことを思い出した。
その場面は、大学に用事があって、寅さんが、大学に出かけたときのものだ。
目的の建屋を確かめて、そこに入っていく。
建屋の中に、部屋はたくさんあって、どの部屋が目的の場所か、分からない。
適当に扉を開ける。
するとその部屋は、大きな階段教室だった。
寅さんが開けた扉は教壇の横の扉だった。
しかも、授業の真っ最中だ。
ちょうど、劇場のステージに間違えてあがってしまったように、突然自分の目の前に、階段教室にたくさんの学生がいて、一斉に寅さんに視線が注がれる。
えっ、こいつは誰だ、という声にならない声があがる。
教壇に立つ老教授は、突然の予想せぬ出来事に、呆然と立ち尽くす。
寅さんは、ここで焦ることもなく、しっかり勉強しろよ、と学生に向かって、大声で話かける。
マイクなしでも、教室の端まで、良く通る声だ。
そして、入ってきた扉をあけて、部屋を去って行く。
扉が締まったとたんに、今度は学生からはっきりと驚きの声が上がる。
この場面も、笑いをとるためのもので、これがなくても、全体の筋には影響がないだろう。
だが、寅さんが、大学という場所には、とても遠い存在で、場違いな場所に登場することを強調する意味がある。
きっとどちらも、山田洋次監督が脚本を書き上げるときに、念入りに構想を練って、作り上げたはずだ。

それは市民の声を市政に反映させるためのご意見箱のようなものだ。
二人が市役所ではないが、区役所に入っていく。
東京都葛飾区だ。
建屋に入ると、ご意見箱がある。
ふと箱の前に立ち止まる二人。
普段はこういう役所には一番縁遠い二人である。
箱の意味が分からない。
首をかしげながら、箱に向かって、あーという声を出す。
もちろん、箱からはなにの反応もない。
箱をしばらく見つめて、その場を立ち去る二人。
これは、映画「男はつらいよ」の一シーンだ。
二人というのは、寅さんと源ちゃんだ。
寅さんは、全作品を見ているが、このようないわゆる小ネタ的なお笑いシーンは少ない。
確かに、このシーンがなくても、全体の流れのなかでは、話は通るわけだ。
それでも、それなりに意味があるのだと、僕は思っている。
この映画の場合は、寅さんと源ちゃんは、区役所に行くことは、まずないわけで、この二人は、区役所に行くのは、初めてで、ご意見箱の意味も分からないということを伝えているのだ。
このような笑いの取り方は、他の寅さんの映画にも出てきたことを思い出した。
その場面は、大学に用事があって、寅さんが、大学に出かけたときのものだ。
目的の建屋を確かめて、そこに入っていく。
建屋の中に、部屋はたくさんあって、どの部屋が目的の場所か、分からない。
適当に扉を開ける。
するとその部屋は、大きな階段教室だった。
寅さんが開けた扉は教壇の横の扉だった。
しかも、授業の真っ最中だ。
ちょうど、劇場のステージに間違えてあがってしまったように、突然自分の目の前に、階段教室にたくさんの学生がいて、一斉に寅さんに視線が注がれる。
えっ、こいつは誰だ、という声にならない声があがる。
教壇に立つ老教授は、突然の予想せぬ出来事に、呆然と立ち尽くす。
寅さんは、ここで焦ることもなく、しっかり勉強しろよ、と学生に向かって、大声で話かける。
マイクなしでも、教室の端まで、良く通る声だ。
そして、入ってきた扉をあけて、部屋を去って行く。
扉が締まったとたんに、今度は学生からはっきりと驚きの声が上がる。
この場面も、笑いをとるためのもので、これがなくても、全体の筋には影響がないだろう。
だが、寅さんが、大学という場所には、とても遠い存在で、場違いな場所に登場することを強調する意味がある。
きっとどちらも、山田洋次監督が脚本を書き上げるときに、念入りに構想を練って、作り上げたはずだ。
