羽後亀田(3)
- 2015/06/06
- 00:00
結局、羽後亀田駅では降りずに、終点の羽後本荘まで来てしまった。
来てしまったと言っても、羽後亀田から羽後本荘までは、わずか10分だ。
2輌連結の列車から降りるときは、先頭車両の一番前の扉から降りることになる。
もともとワンマンカーであるので、運転手がそのときは,車掌さんになるわけだ。
羽後本荘駅は、改札があるので、切符は改札で渡すことになるが、途中の無人駅では、降りるときに、車掌さんに切符を渡したり、精算したりする。
ちょうど、僕の乗った電車は、もうひとり車掌さんが乗車していたので、二人勤務の列車だった。
途中駅で降りる人がいて、もうひとりの車掌さんと会話していたが、車掌さんの声が、随分はっきりとしていたのが印象に残っている。
話し方も丁寧で、滑舌もいい。
東北の人の話し方が滑舌が悪いということは決してないのだけど、関西人でも、滑舌の悪い人はいくらでもいる。
ただ、そのもうひとりの車掌さんの話す言葉が随分はっきりと聞こえたので、不思議な気がした。
学生の頃に、富山出身で同じクラブの同級生がいた。
彼と二人で話しているときは、普通に理解できる言葉を話している。
ところが、彼が公衆電話で実家の父親と話をしているときに、横で聞いていたときには、びっくりした。
なにを話しているか、全く理解できないのだ。
日本語で話をしているのに、全然分からない。
これが方言なのかと、関心したことがある。
方言を話す人のことを馬鹿にしているわけではない。
日本語でも全く理解できない言葉を聞いたことが強烈な印象として残っているのだ。
僕自身、こてこての関西人であるので、方言を話しているわけで、えらそうなことは言えない。
羽後本荘へ行く列車のなかで聞いた、車掌さんの言葉は、標準語に近かった。
そういえば、秋田に来てから、東北弁らしい言葉を聞いたことがないことに気がついた。
今回は、地元の人と話をする機会が少なかったせいかもしれないが、横で話をしている会話でも、東北弁を聞かなかった。
羽後本荘駅の改札を出ると、駅前はロータリーになっている。
タクシー乗り場に数台の車がある。
日本の田舎に行くと、いずこも同じ景色だ。
多少駅前の車の数の違いがあったり、店舗の数に違いがあるが、同じ雰囲気だ。
まず、歩いている人が少ない。
駅前から5分も行くと、人はぱらぱらである。
地方創生に、予算をつけたり、地方の活性化のための政策がいろいろ出てくるのだが、この問題を解決するのは簡単なことではない。
ネットワークがどこまでも広がれば、ネットを使うビジネスは、地方でも可能なわけだが、やはり東京への一極集中は、簡単には、その傾向が弱くなる気配がない。
駅前からすこし歩いてみる。
昼飯を食べるところを捜してみる。
食堂は、確かにいくつかある。
だけど、入りたいと思う店はなかった。
お腹もあまりすいていない。
もう少し歩いて、駅前に戻ってくる。
結局駅についている小さなコンビニで、おにぎりとサンドイッチを買って食べることにした。
駅の待合室の中だ。
秋田のお酒が置いてある。
“雪の茅舎(ゆきのぼうしゃ)”だ。
初めて秋田に来たときに、雪の茅舎の製造元に行って、酒作りの現場を見せてもらった。
杜氏の方から、説明を聞いた。
僕にとっては、初めての経験だった。
日本酒は、ほとんど飲んだことがない僕にも、試飲した”雪の茅舎“の美味しかったこと。
注文して発送してもらったものだ。
待合室のポスターには、日本海がすぐそばにあり、それは太平洋とは違い、過去に拉致等の問題が身近に起こったことを想像させる事が書かれている。
決して広い国ではない日本だが、それぞれ地域ごとにいろいろな問題に対応しながら、生活していることが分かる。
さて、そろそろ列車に乗り込もう。
プラットフォームに降りていくと、おじいさんと小さな女の子、きっとお孫さんなのだろう。
二人組が扉を開けるボタンを押している。
僕もその後に続いて乗り込んだ。
今回は、列車での往復の旅だけだった。
次に来るときは、初めて来たときに行った、白瀬中尉記念館にもう一度行って見よう。
羽後本荘駅前。

駅から見える道路標識。

本庄追分の像。

駅の待合室にある”雪の茅舎”。

みんなで守ろう、郷土の海。


羽後本荘駅の跨線橋からの景色。

帰りの列車。
来たときに乗った列車です。

おじいさんとお孫さん。
お孫さんは、後ろに隠れて見えません。

来てしまったと言っても、羽後亀田から羽後本荘までは、わずか10分だ。
2輌連結の列車から降りるときは、先頭車両の一番前の扉から降りることになる。
もともとワンマンカーであるので、運転手がそのときは,車掌さんになるわけだ。
羽後本荘駅は、改札があるので、切符は改札で渡すことになるが、途中の無人駅では、降りるときに、車掌さんに切符を渡したり、精算したりする。
ちょうど、僕の乗った電車は、もうひとり車掌さんが乗車していたので、二人勤務の列車だった。
途中駅で降りる人がいて、もうひとりの車掌さんと会話していたが、車掌さんの声が、随分はっきりとしていたのが印象に残っている。
話し方も丁寧で、滑舌もいい。
東北の人の話し方が滑舌が悪いということは決してないのだけど、関西人でも、滑舌の悪い人はいくらでもいる。
ただ、そのもうひとりの車掌さんの話す言葉が随分はっきりと聞こえたので、不思議な気がした。
学生の頃に、富山出身で同じクラブの同級生がいた。
彼と二人で話しているときは、普通に理解できる言葉を話している。
ところが、彼が公衆電話で実家の父親と話をしているときに、横で聞いていたときには、びっくりした。
なにを話しているか、全く理解できないのだ。
日本語で話をしているのに、全然分からない。
これが方言なのかと、関心したことがある。
方言を話す人のことを馬鹿にしているわけではない。
日本語でも全く理解できない言葉を聞いたことが強烈な印象として残っているのだ。
僕自身、こてこての関西人であるので、方言を話しているわけで、えらそうなことは言えない。
羽後本荘へ行く列車のなかで聞いた、車掌さんの言葉は、標準語に近かった。
そういえば、秋田に来てから、東北弁らしい言葉を聞いたことがないことに気がついた。
今回は、地元の人と話をする機会が少なかったせいかもしれないが、横で話をしている会話でも、東北弁を聞かなかった。
羽後本荘駅の改札を出ると、駅前はロータリーになっている。
タクシー乗り場に数台の車がある。
日本の田舎に行くと、いずこも同じ景色だ。
多少駅前の車の数の違いがあったり、店舗の数に違いがあるが、同じ雰囲気だ。
まず、歩いている人が少ない。
駅前から5分も行くと、人はぱらぱらである。
地方創生に、予算をつけたり、地方の活性化のための政策がいろいろ出てくるのだが、この問題を解決するのは簡単なことではない。
ネットワークがどこまでも広がれば、ネットを使うビジネスは、地方でも可能なわけだが、やはり東京への一極集中は、簡単には、その傾向が弱くなる気配がない。
駅前からすこし歩いてみる。
昼飯を食べるところを捜してみる。
食堂は、確かにいくつかある。
だけど、入りたいと思う店はなかった。
お腹もあまりすいていない。
もう少し歩いて、駅前に戻ってくる。
結局駅についている小さなコンビニで、おにぎりとサンドイッチを買って食べることにした。
駅の待合室の中だ。
秋田のお酒が置いてある。
“雪の茅舎(ゆきのぼうしゃ)”だ。
初めて秋田に来たときに、雪の茅舎の製造元に行って、酒作りの現場を見せてもらった。
杜氏の方から、説明を聞いた。
僕にとっては、初めての経験だった。
日本酒は、ほとんど飲んだことがない僕にも、試飲した”雪の茅舎“の美味しかったこと。
注文して発送してもらったものだ。
待合室のポスターには、日本海がすぐそばにあり、それは太平洋とは違い、過去に拉致等の問題が身近に起こったことを想像させる事が書かれている。
決して広い国ではない日本だが、それぞれ地域ごとにいろいろな問題に対応しながら、生活していることが分かる。
さて、そろそろ列車に乗り込もう。
プラットフォームに降りていくと、おじいさんと小さな女の子、きっとお孫さんなのだろう。
二人組が扉を開けるボタンを押している。
僕もその後に続いて乗り込んだ。
今回は、列車での往復の旅だけだった。
次に来るときは、初めて来たときに行った、白瀬中尉記念館にもう一度行って見よう。
羽後本荘駅前。

駅から見える道路標識。

本庄追分の像。

駅の待合室にある”雪の茅舎”。

みんなで守ろう、郷土の海。


羽後本荘駅の跨線橋からの景色。

帰りの列車。
来たときに乗った列車です。

おじいさんとお孫さん。
お孫さんは、後ろに隠れて見えません。
