僕の先輩Gさん(1)
- 2015/06/08
- 00:00
僕は、いい先輩に恵まれていると思う。
僕からみて、いい先輩というのは、僕がつきあうことになる、年上の人たちのなかの一部の人だ。
もちろん、全部の人が、いい先輩ということではない。
そこには当然、僕の主観が入ってくるわけで、僕がいい先輩と思っている人が、他の人からみると、煙たい人であったり、どうも話が合わない人であることもあるだろう。
僕の場合に共通している、いい先輩とは、年齢が上であっても、また現役時代にどれだけ偉い人、役職が上であった人でも、いつも若い人を相手にしたときに、同じ視線で話ができるということだ。
僕の高校の同期の友人が、あるとき出張で関西に来た。
一緒に食事をして、久しぶりに結構飲んだことがあった。
飲み屋に行ったときのことだ。
行きつけの店だったので、気楽に話せる店の人に、僕の同窓生だというと、思わずその人は、椅子から滑り落ちる格好をした。
おいおい、それが客に対する態度か、と冗談まじりに、言ったくらいだった。
彼は、僕と同い年だったのだけど、立ち居振る舞いが、随分違っていたのだね。
歩き方も典型的なえらいさんの歩き方で、のけぞっているというところまではいかないけど、上から目線という言葉がぴったりだった。
こういうところに、戸籍上の年齢とは別の、対人年齢が出てくるのに違いない。
Gさんは、現役の仕事は卒業しているが、体は元気で、いまでもいろいろなところで活躍されている。
僕は、いつも随分助けて頂いているのだ。
若い時に、大病をされたこともあり、浴びるほど飲んだというお酒も、今は完全に断たれている。
たばこも、10年以上前に完全に止められている。
今でも、なかなかの男前で、彫りの深い顔が魅力的だ。
昔は、きっとぶいぶい言わせたのでしょう、と僕が軽口をたたくと、Gさんは、そんなことはないですよ、と笑っておられる。
長い間、東京へ単身赴任をされていた。
フェローという役職をもらっていた。
フェローというのは、日本語では、ぴんと来ないが、僕が勤めていた外資系でも、同じ役職があった。
30代のときに、初めてその役職を聴いたときは、会社のなかに詳しい人が、僕に説明してくれた。
フェローというのは、好きなことをやっていればいい、いつ会社に来てもいいし、いつ帰ってもいい、と言うのだ。
もちろん、これは言い過ぎのところがある説明だが、確かに、それに近い位置づけの役職である。
技術系の役職としては、会社では役員クラスの最上位のものと言えるだろう。
Gさんは、フェロー職で、会社生活を終えられた。
10年以上の単身生活をされていたのだが、息子さん、娘さんがそれぞれ自立された、素晴らしい生き方をされている。
日本だけにとどまらず、海外で仕事をされているお子さんも何人かおられるそうだ。
仕事のキャリアパスをお聞きすると、通常の人が選ぶようなものではないお子さんもおられる。
これは、なかなかしっかりした、芯のしっかりした考え方をして、それを実践に移されている。
そのようにお子さんを育てられたのは、きっと奥さんの功が大だと思った。
単身赴任中に、定期的に家に帰ると言っても、なかなか細かいところまでは、直接Gさんが見ることはできないだろう。
きっと奥さんが細かいところまで見られていて、大事なところでGさんに相談されていたのだと、勝手に想像している。
きっとあるところでは、奥さんがGさんを越えるところがあるのかもしれない。
それでいて、常にGさんを立てて、仕事に注力できるようにしていたのだろう。
いつかGさんの奥さんにお会いして、いろいろ教えてもらいたいと思っている。
秋の京都の大学のキャンパス。

僕からみて、いい先輩というのは、僕がつきあうことになる、年上の人たちのなかの一部の人だ。
もちろん、全部の人が、いい先輩ということではない。
そこには当然、僕の主観が入ってくるわけで、僕がいい先輩と思っている人が、他の人からみると、煙たい人であったり、どうも話が合わない人であることもあるだろう。
僕の場合に共通している、いい先輩とは、年齢が上であっても、また現役時代にどれだけ偉い人、役職が上であった人でも、いつも若い人を相手にしたときに、同じ視線で話ができるということだ。
僕の高校の同期の友人が、あるとき出張で関西に来た。
一緒に食事をして、久しぶりに結構飲んだことがあった。
飲み屋に行ったときのことだ。
行きつけの店だったので、気楽に話せる店の人に、僕の同窓生だというと、思わずその人は、椅子から滑り落ちる格好をした。
おいおい、それが客に対する態度か、と冗談まじりに、言ったくらいだった。
彼は、僕と同い年だったのだけど、立ち居振る舞いが、随分違っていたのだね。
歩き方も典型的なえらいさんの歩き方で、のけぞっているというところまではいかないけど、上から目線という言葉がぴったりだった。
こういうところに、戸籍上の年齢とは別の、対人年齢が出てくるのに違いない。
Gさんは、現役の仕事は卒業しているが、体は元気で、いまでもいろいろなところで活躍されている。
僕は、いつも随分助けて頂いているのだ。
若い時に、大病をされたこともあり、浴びるほど飲んだというお酒も、今は完全に断たれている。
たばこも、10年以上前に完全に止められている。
今でも、なかなかの男前で、彫りの深い顔が魅力的だ。
昔は、きっとぶいぶい言わせたのでしょう、と僕が軽口をたたくと、Gさんは、そんなことはないですよ、と笑っておられる。
長い間、東京へ単身赴任をされていた。
フェローという役職をもらっていた。
フェローというのは、日本語では、ぴんと来ないが、僕が勤めていた外資系でも、同じ役職があった。
30代のときに、初めてその役職を聴いたときは、会社のなかに詳しい人が、僕に説明してくれた。
フェローというのは、好きなことをやっていればいい、いつ会社に来てもいいし、いつ帰ってもいい、と言うのだ。
もちろん、これは言い過ぎのところがある説明だが、確かに、それに近い位置づけの役職である。
技術系の役職としては、会社では役員クラスの最上位のものと言えるだろう。
Gさんは、フェロー職で、会社生活を終えられた。
10年以上の単身生活をされていたのだが、息子さん、娘さんがそれぞれ自立された、素晴らしい生き方をされている。
日本だけにとどまらず、海外で仕事をされているお子さんも何人かおられるそうだ。
仕事のキャリアパスをお聞きすると、通常の人が選ぶようなものではないお子さんもおられる。
これは、なかなかしっかりした、芯のしっかりした考え方をして、それを実践に移されている。
そのようにお子さんを育てられたのは、きっと奥さんの功が大だと思った。
単身赴任中に、定期的に家に帰ると言っても、なかなか細かいところまでは、直接Gさんが見ることはできないだろう。
きっと奥さんが細かいところまで見られていて、大事なところでGさんに相談されていたのだと、勝手に想像している。
きっとあるところでは、奥さんがGさんを越えるところがあるのかもしれない。
それでいて、常にGさんを立てて、仕事に注力できるようにしていたのだろう。
いつかGさんの奥さんにお会いして、いろいろ教えてもらいたいと思っている。
秋の京都の大学のキャンパス。
