新入社員への訓話
- 2015/06/11
- 00:00
新入社員の訓話というのは、新人が毎年受ける、大抵は退屈な話というのが定番である。
4月1日の入社式の後、会社によってさまざまだろうが、僕の場合は、初めての入社式は、景気のよい年で、数百人が揃ったものだった。
きっと入れ替わり立ち替わり、いろいろな偉いさんがでてきて話をしたのに違いない。
その話はほとんど忘れてしまっている。
ただ、ひとつだけ覚えていることがある。
それは僕の配属された造船部門のトップのかたの話しだ。
Mさんだったと思う。
当時の造船部門は、会社全体を支えているという自負があったのだろう。
Mさんの話も生き生きとしていたものだった。
Mさんは、敗戦後の日本の焼け野原から立ち上がった世代である。
戦争が終わり、なにもない現場に戻ってきた。
それでも、Mさんは強く思った。
たとえ一人でも、船を造ってやろうと。
もちろん、そんなことはできるわけがなく、設計だけならまだしも、現場で船を造るとなると、多くの人が集まらないと、できない話だ。
ある意味、破天荒な話であるが、僕はMさんの強い意志と、仕事に対する思い入れ、造船に対する思い入れを感じていた。
そのようなMさんのこころのこもった話だった。
今でも僕が覚えている話しだ。

4月1日の入社式の後、会社によってさまざまだろうが、僕の場合は、初めての入社式は、景気のよい年で、数百人が揃ったものだった。
きっと入れ替わり立ち替わり、いろいろな偉いさんがでてきて話をしたのに違いない。
その話はほとんど忘れてしまっている。
ただ、ひとつだけ覚えていることがある。
それは僕の配属された造船部門のトップのかたの話しだ。
Mさんだったと思う。
当時の造船部門は、会社全体を支えているという自負があったのだろう。
Mさんの話も生き生きとしていたものだった。
Mさんは、敗戦後の日本の焼け野原から立ち上がった世代である。
戦争が終わり、なにもない現場に戻ってきた。
それでも、Mさんは強く思った。
たとえ一人でも、船を造ってやろうと。
もちろん、そんなことはできるわけがなく、設計だけならまだしも、現場で船を造るとなると、多くの人が集まらないと、できない話だ。
ある意味、破天荒な話であるが、僕はMさんの強い意志と、仕事に対する思い入れ、造船に対する思い入れを感じていた。
そのようなMさんのこころのこもった話だった。
今でも僕が覚えている話しだ。
