評価をする
- 2015/06/27
- 00:00
この話も,僕が社内の講演会で社外ゲストのかたから聞いた話しだ。
これはかなりの場合に、当てはまるので、僕は、いいことを教えてもらったと思っている。
なにかを評価するときの話しだ。
人は一般に、自分の知らないものに出会ったときに、それをどう考えるか。
2つのパターンに分かれるという。
ひとつは、自分の知らないものについては、それを過大評価するというものだ。
実際以上にすごいものだと考えるのだ。
もうひとつは、その反対である。
すなわち、過小評価である。
中身もしっかりと考えずに、たいしたことではない、検討するに値しないというような評価をするのである。
確かに、自分の知らないもの、理解できないものに出会ったときは、どう考えて良いか分からないのであるから、そのような両極端な結論を下すことは、ありがちなことだ。
その話しを聞いてから、人の評価の仕方を見ていると、この2つに当てはまることが多い。
どちらを取るかは、その人の性格にもよるところが大である。
控えめな人は、過大評価の場合が多く、対抗心の強い、負けず嫌いな人は、過小評価ということになりがちだ。
ところが、このいずれにも当てはまらない人もいるのだ。
僕の上司でもあったYさん。
Yさんは僕の直接の上司ではないが、上司の上司という方になる。
随分といろいろなことを教えて頂いた先輩でもある。
Yさんは、幅広い見識を持ち、経験も多いので、全く理解できないものは少ない方だと思うが、ご自身が直ちに判断できないものについては、例えばそれが部下からの提案だったり、全く初めての人から出された品物であると、まずは、興味を示される。
そこから始めると、いきなりの過大評価や過小評価にはなりにくい。
提案であれば、やってみなはれ、ということになる。
珍しいものを見せられたときは、おもしろいやないか、ということになる。
なにごとにも関心を持つ、好奇心を持つ。
そうすることにより、物事の判断が正しい方向に向かうのだろう。
僕も見習いたいと思った。

これはかなりの場合に、当てはまるので、僕は、いいことを教えてもらったと思っている。
なにかを評価するときの話しだ。
人は一般に、自分の知らないものに出会ったときに、それをどう考えるか。
2つのパターンに分かれるという。
ひとつは、自分の知らないものについては、それを過大評価するというものだ。
実際以上にすごいものだと考えるのだ。
もうひとつは、その反対である。
すなわち、過小評価である。
中身もしっかりと考えずに、たいしたことではない、検討するに値しないというような評価をするのである。
確かに、自分の知らないもの、理解できないものに出会ったときは、どう考えて良いか分からないのであるから、そのような両極端な結論を下すことは、ありがちなことだ。
その話しを聞いてから、人の評価の仕方を見ていると、この2つに当てはまることが多い。
どちらを取るかは、その人の性格にもよるところが大である。
控えめな人は、過大評価の場合が多く、対抗心の強い、負けず嫌いな人は、過小評価ということになりがちだ。
ところが、このいずれにも当てはまらない人もいるのだ。
僕の上司でもあったYさん。
Yさんは僕の直接の上司ではないが、上司の上司という方になる。
随分といろいろなことを教えて頂いた先輩でもある。
Yさんは、幅広い見識を持ち、経験も多いので、全く理解できないものは少ない方だと思うが、ご自身が直ちに判断できないものについては、例えばそれが部下からの提案だったり、全く初めての人から出された品物であると、まずは、興味を示される。
そこから始めると、いきなりの過大評価や過小評価にはなりにくい。
提案であれば、やってみなはれ、ということになる。
珍しいものを見せられたときは、おもしろいやないか、ということになる。
なにごとにも関心を持つ、好奇心を持つ。
そうすることにより、物事の判断が正しい方向に向かうのだろう。
僕も見習いたいと思った。
