見栄っ張りの日本人
- 2015/01/13
- 00:01
浮世絵に描かれる男性は、異様に大きな男性器をもっている。
浮世絵を見た西洋人が、日本人男性のものは、みんな巨大であると、誤解をしたという笑い話がある。
一方西洋では、実際よりも小さく描いている絵が多い。
ちいさな葉っぱ一枚で隠される程度の大きさというものもある。
そんな話を友人にしたところ、なにごとにもいい加減に済ますことのない彼は、真剣な顔をして、浮世絵と西洋の絵画を、比較するのはおかしいという。
もともと浮世絵が、対象物を忠実に描くのが目的ではなく、性的な刺激を与えるためのものであり、誇張して描かれているのだ。
それに対して、西洋の絵画は、芸術性を追求したものであり、もちろん芸術性の高い浮世絵もあるが、今とりあげている浮世絵は、そもそも芸術の範疇にないと言う。
そう言われてみれば、その通りであるが、日本人は見栄っ張りなところがあり、それで、あれほど巨大な男性器を描いているのだというほうが、素直に嬉しい気もする。
これと比べるのは、またまたおかしい!と言われるかもしれないが、日本の文化は”縮みの文化“であるという講演を聴いたことがある。
例として、石川啄木の「一握の砂」
東海の小島の礒の砂浜にわれ泣きぬれて蟹とたはむる、
という句をあげられていた。
英語にはこの句のように“の”をつなげることはない。
“of “ は一度しか使わない。
何度もくりかえし “の”を使うのは、日本の文化であり、このように段々小さい方向に進んでいるときには、日本は素晴らしい成果を出し、見事に文化的に認められることをする。
まさに”縮みの文化”である。
反対に拡大していく、例えば、大東亜共栄圏のようなどんどん拡大していくような考え方をとると、決していい結果が出ない、というような話しをされていた。
この論理から言うと、拡大していく男性器を描くことは、“縮みの文化”とは反対であり、決してうまくいかないということになるのだが。
まあ、男性器自身は、拡大もすれば、縮みもする、ということで、、、、この話は、これくらいにしておこう。
西洋絵画の例:



浮世絵を見た西洋人が、日本人男性のものは、みんな巨大であると、誤解をしたという笑い話がある。
一方西洋では、実際よりも小さく描いている絵が多い。
ちいさな葉っぱ一枚で隠される程度の大きさというものもある。
そんな話を友人にしたところ、なにごとにもいい加減に済ますことのない彼は、真剣な顔をして、浮世絵と西洋の絵画を、比較するのはおかしいという。
もともと浮世絵が、対象物を忠実に描くのが目的ではなく、性的な刺激を与えるためのものであり、誇張して描かれているのだ。
それに対して、西洋の絵画は、芸術性を追求したものであり、もちろん芸術性の高い浮世絵もあるが、今とりあげている浮世絵は、そもそも芸術の範疇にないと言う。
そう言われてみれば、その通りであるが、日本人は見栄っ張りなところがあり、それで、あれほど巨大な男性器を描いているのだというほうが、素直に嬉しい気もする。
これと比べるのは、またまたおかしい!と言われるかもしれないが、日本の文化は”縮みの文化“であるという講演を聴いたことがある。
例として、石川啄木の「一握の砂」
東海の小島の礒の砂浜にわれ泣きぬれて蟹とたはむる、
という句をあげられていた。
英語にはこの句のように“の”をつなげることはない。
“of “ は一度しか使わない。
何度もくりかえし “の”を使うのは、日本の文化であり、このように段々小さい方向に進んでいるときには、日本は素晴らしい成果を出し、見事に文化的に認められることをする。
まさに”縮みの文化”である。
反対に拡大していく、例えば、大東亜共栄圏のようなどんどん拡大していくような考え方をとると、決していい結果が出ない、というような話しをされていた。
この論理から言うと、拡大していく男性器を描くことは、“縮みの文化”とは反対であり、決してうまくいかないということになるのだが。
まあ、男性器自身は、拡大もすれば、縮みもする、ということで、、、、この話は、これくらいにしておこう。
西洋絵画の例:


