ゴジラプロジェクト
- 2015/01/14
- 00:01
ゴジラプロジェクトと命名したプロジェクトをやっていたことがある。
それは10名程度のメンバーでやっていたプロジェクトで、期間は、1年半。
当時の通産省の予算が付いたプロジェクトだった。予算は数億円規模。
プロジェクトに参加していたメンバーは、東京、大阪、名古屋、浜松と所在地がばらばらだった。
メンバーの職業も、大学の先生、ソフトウェア開発会社、ハードウェア会社、自動車会社、電機メーカーとまちまちで、若い方から年輩の方まで年齢層も幅が広かった。
開発会議は、真ん中に集まろうということで浜松でやっていた。
プロジェクトが始まった頃、会議が終わって、みんなで新幹線を待っていた。
浜松の駅の近くにあったSubwayという店だったと思う。
自動車会社のデザイナーの方がおられた。
一番年上の方で、デザイナーであり、画家とも言える方だった。
当時は定年まで数年だったと思う。
その方とは、定年後も年賀状のやりとりがある。
個展を開いたと書かれていたので、まさに芸術家である。
年賀状には、いつもご自身が書かれた絵があり、楽しみな賀状だ。
新幹線を待つ時間は、30分くらいだった。
デザイナーのかた、Hさんがスケッチブックを取り出して、さらさらと絵を描かれている。
のぞき込むと、ゴジラの絵であった。
ちょうどそのころ、ゴジラの映画が公開されていた。
映画は、米国製のもので、アメリカのゴジラと日本のゴジラの比較の話しとなり、そこにいた6名くらいのメンバーが、それぞれのいい点をいいあったりしていた。
Hさんが書かれていたのは、アメリカ製のゴジラではなく、日本製のゴジラである。
そのときに、だれが言い出したか、はっきりと覚えていないのだが、われわれのプロジェクト名をゴジラにしようということになった。
反対する者はいない。
全員賛成である。
プロジェクト名がつくと、それをアルファベットで書いてみて、ゴジラだったら、Godzillaなので、なにかの省略形がGodzillaになるように、フルネームを考えるのであるが、そのときは、そんなこじつけを作るようなことはなかった。
Hさんがさらさらと描かれたゴジラが、プロジェクトの雰囲気にあっていたという、その一点さえあれば、よかったのである。
そのとき、僕と同じ会社から若い営業も参加していたのであるが、その年、彼は成績が良かった。
信賞必罰の会社だったので、年末には彼は賞をもらったのであるが、関係者として僕にも、おすそ分けがあった。
また彼からは個人的にゴジラの人形をプレゼントされた。
それはいまだに僕の机の横で,毎日吠えている。
賞金をもらうのもうれしいが、お金は使ってしまえばなくなるが、心のこもった品物は、こうして残るものだと、今さらながらに思う。
当時若かった営業の彼には、その後、転勤もあり、会っていない。
懐かしい思い出である。
営業の彼にもらったゴジラ。

それは10名程度のメンバーでやっていたプロジェクトで、期間は、1年半。
当時の通産省の予算が付いたプロジェクトだった。予算は数億円規模。
プロジェクトに参加していたメンバーは、東京、大阪、名古屋、浜松と所在地がばらばらだった。
メンバーの職業も、大学の先生、ソフトウェア開発会社、ハードウェア会社、自動車会社、電機メーカーとまちまちで、若い方から年輩の方まで年齢層も幅が広かった。
開発会議は、真ん中に集まろうということで浜松でやっていた。
プロジェクトが始まった頃、会議が終わって、みんなで新幹線を待っていた。
浜松の駅の近くにあったSubwayという店だったと思う。
自動車会社のデザイナーの方がおられた。
一番年上の方で、デザイナーであり、画家とも言える方だった。
当時は定年まで数年だったと思う。
その方とは、定年後も年賀状のやりとりがある。
個展を開いたと書かれていたので、まさに芸術家である。
年賀状には、いつもご自身が書かれた絵があり、楽しみな賀状だ。
新幹線を待つ時間は、30分くらいだった。
デザイナーのかた、Hさんがスケッチブックを取り出して、さらさらと絵を描かれている。
のぞき込むと、ゴジラの絵であった。
ちょうどそのころ、ゴジラの映画が公開されていた。
映画は、米国製のもので、アメリカのゴジラと日本のゴジラの比較の話しとなり、そこにいた6名くらいのメンバーが、それぞれのいい点をいいあったりしていた。
Hさんが書かれていたのは、アメリカ製のゴジラではなく、日本製のゴジラである。
そのときに、だれが言い出したか、はっきりと覚えていないのだが、われわれのプロジェクト名をゴジラにしようということになった。
反対する者はいない。
全員賛成である。
プロジェクト名がつくと、それをアルファベットで書いてみて、ゴジラだったら、Godzillaなので、なにかの省略形がGodzillaになるように、フルネームを考えるのであるが、そのときは、そんなこじつけを作るようなことはなかった。
Hさんがさらさらと描かれたゴジラが、プロジェクトの雰囲気にあっていたという、その一点さえあれば、よかったのである。
そのとき、僕と同じ会社から若い営業も参加していたのであるが、その年、彼は成績が良かった。
信賞必罰の会社だったので、年末には彼は賞をもらったのであるが、関係者として僕にも、おすそ分けがあった。
また彼からは個人的にゴジラの人形をプレゼントされた。
それはいまだに僕の机の横で,毎日吠えている。
賞金をもらうのもうれしいが、お金は使ってしまえばなくなるが、心のこもった品物は、こうして残るものだと、今さらながらに思う。
当時若かった営業の彼には、その後、転勤もあり、会っていない。
懐かしい思い出である。
営業の彼にもらったゴジラ。
