津嘉山正種さんのこと
- 2015/07/22
- 00:00
津嘉山正種さんという俳優さんがいる。
つかやままさねと読む。
きっと名前を聞いても、名前と顔が一致する人は少ないだろう。
洋画の声の吹き替えで、ケビン・コスナーの声というと、ああ、あの人ね、と言う人は多いかもしれない。
もちろん声優をやるくらいなので、印象に残る渋い声である。
でも、声優だけではない。
俳優としても活躍されている。
最近では、NHKの連続テレビ小説の「梅ちゃん先生」にも出ていた。
余命が短い老人を演じておられた。
僕の中の津嘉山正種さんは、ケビン・コスナーの声でもなければ、「梅ちゃん先生」の老人でもない。
僕の中では、寅さんのなかで、声のない役者としての津嘉山正種さんの印象が強烈だ。
寅さんシリーズの後半では、それなりの役で何度も登場している。
沖縄での病院の先生だったり、著名な陶芸家の弟子だったり、一流企業の部長役だったり、後藤久美子の母親である夏木マリの再婚相手だったりと、幅広い役柄を演じている。
そのような役での存在感のある演技をしている津嘉山正種さんも好きだけど、意外なところでの津嘉山さんにも驚く。
それは、もっと若い時代の寅さんの映画のオープニングシーンに出てくる津嘉山さんだ。
映画の初めに、出演者の名前が順番に出てくる。
寅さんが葛飾柴又に帰る途中で、江戸川の川岸を歩いている。
そこは、野球ができる程の広さだ。
カップルがデートをしていたり、楽器の練習をしている人もいる。
モデルを使った写真の撮影をしいているプロの人たちもいる。
寅さんがいつもの鞄を持って、ぶらぶらと周りの人たちを見ながら歩いている。
撮影現場の横を通る。
足元にカメラがある。
当時はフィルムを使う写真機だ。
寅さんは、思わずカメラを手にとって、端から出ているフィルムを引っ張ってしまう。
抜き取ったフィルムを見ても何も見えない。
それを撮影助手に見せて、これは何だと言う。
もちろんここでは話している台詞は聞こえない。
聞こえるのは、寅さんのテーマソングだけだ。
折角撮ったフィルムをだめにしまうのだが、なにをしたかという自覚は寅さんにはない。
ただ、何かまずいことをしてしまったと寅さんは、その場を逃げるように立ち去る。
そこにカメラマンが戻ってきて、助手に向かって怒鳴りつけて喧嘩になる。
そのカメラマンが津嘉山さんだ。
あるときは津嘉山さんが仲間とサックスの練習をしている。
津嘉山さんの予備のサックスが置いてある。
それを寅さんは不思議そうに手に取ってみる。
サックスを触っているうちに手に持っていた蜜柑がサックスに入ってしまう。
あわててサックスのなかに手を入れて蜜柑を取ろうとするが取り出せない。
そうこうしているうちに津嘉山さんが来て、予備のサックスと交換しようするので、寅さんはあわててその場を立ち去る。
津嘉山さんは、新しいサックスを手にとって吹こうとする。
仲間も隣で楽器を持ってスタンバイしている。
どうもおかしい。
吹けども吹けども音がでない。
それもそのはず蜜柑が入ったままだ。
サックスを逆さにすると、蜜柑がぼろりと出てくる。
寅さんは、それを遠くから見ながら、逃げ足を速める。
こんな台詞はあっても声は聞こえない。
声は出ているが、映画の音としては聞こえないシーン。
そういう場面で津嘉山さんは何度も出ている。
こういうシーンは、寅さんの映画を見るたびに目にしていたので、頭のなかに残っていた。
もちろんそれが津嘉山さんであることは、そのときは分かっていない。
いまでも登場する役者の名前のなかに津嘉山正種と言う文字を見て、出ていると思うのだが、当時は分かっていなかった。
そのシーンの役者が津嘉山さんであることが分かったのは、ずっと後になってからだ。
後の津嘉山さんを知ってから、あらためてオープニングのシーンを見ると、見方が変わるものだ。
津嘉山正種さん。
僕には、好きな役者さんの一人だ。

つかやままさねと読む。
きっと名前を聞いても、名前と顔が一致する人は少ないだろう。
洋画の声の吹き替えで、ケビン・コスナーの声というと、ああ、あの人ね、と言う人は多いかもしれない。
もちろん声優をやるくらいなので、印象に残る渋い声である。
でも、声優だけではない。
俳優としても活躍されている。
最近では、NHKの連続テレビ小説の「梅ちゃん先生」にも出ていた。
余命が短い老人を演じておられた。
僕の中の津嘉山正種さんは、ケビン・コスナーの声でもなければ、「梅ちゃん先生」の老人でもない。
僕の中では、寅さんのなかで、声のない役者としての津嘉山正種さんの印象が強烈だ。
寅さんシリーズの後半では、それなりの役で何度も登場している。
沖縄での病院の先生だったり、著名な陶芸家の弟子だったり、一流企業の部長役だったり、後藤久美子の母親である夏木マリの再婚相手だったりと、幅広い役柄を演じている。
そのような役での存在感のある演技をしている津嘉山正種さんも好きだけど、意外なところでの津嘉山さんにも驚く。
それは、もっと若い時代の寅さんの映画のオープニングシーンに出てくる津嘉山さんだ。
映画の初めに、出演者の名前が順番に出てくる。
寅さんが葛飾柴又に帰る途中で、江戸川の川岸を歩いている。
そこは、野球ができる程の広さだ。
カップルがデートをしていたり、楽器の練習をしている人もいる。
モデルを使った写真の撮影をしいているプロの人たちもいる。
寅さんがいつもの鞄を持って、ぶらぶらと周りの人たちを見ながら歩いている。
撮影現場の横を通る。
足元にカメラがある。
当時はフィルムを使う写真機だ。
寅さんは、思わずカメラを手にとって、端から出ているフィルムを引っ張ってしまう。
抜き取ったフィルムを見ても何も見えない。
それを撮影助手に見せて、これは何だと言う。
もちろんここでは話している台詞は聞こえない。
聞こえるのは、寅さんのテーマソングだけだ。
折角撮ったフィルムをだめにしまうのだが、なにをしたかという自覚は寅さんにはない。
ただ、何かまずいことをしてしまったと寅さんは、その場を逃げるように立ち去る。
そこにカメラマンが戻ってきて、助手に向かって怒鳴りつけて喧嘩になる。
そのカメラマンが津嘉山さんだ。
あるときは津嘉山さんが仲間とサックスの練習をしている。
津嘉山さんの予備のサックスが置いてある。
それを寅さんは不思議そうに手に取ってみる。
サックスを触っているうちに手に持っていた蜜柑がサックスに入ってしまう。
あわててサックスのなかに手を入れて蜜柑を取ろうとするが取り出せない。
そうこうしているうちに津嘉山さんが来て、予備のサックスと交換しようするので、寅さんはあわててその場を立ち去る。
津嘉山さんは、新しいサックスを手にとって吹こうとする。
仲間も隣で楽器を持ってスタンバイしている。
どうもおかしい。
吹けども吹けども音がでない。
それもそのはず蜜柑が入ったままだ。
サックスを逆さにすると、蜜柑がぼろりと出てくる。
寅さんは、それを遠くから見ながら、逃げ足を速める。
こんな台詞はあっても声は聞こえない。
声は出ているが、映画の音としては聞こえないシーン。
そういう場面で津嘉山さんは何度も出ている。
こういうシーンは、寅さんの映画を見るたびに目にしていたので、頭のなかに残っていた。
もちろんそれが津嘉山さんであることは、そのときは分かっていない。
いまでも登場する役者の名前のなかに津嘉山正種と言う文字を見て、出ていると思うのだが、当時は分かっていなかった。
そのシーンの役者が津嘉山さんであることが分かったのは、ずっと後になってからだ。
後の津嘉山さんを知ってから、あらためてオープニングのシーンを見ると、見方が変わるものだ。
津嘉山正種さん。
僕には、好きな役者さんの一人だ。
