土用のうなぎと万葉集(1)
- 2015/08/01
- 00:00
関西では関東ほどうなぎを食べないような気がする。
なにか特別のイベントがないとうなぎは食べない。
少なくとも僕はそうだ。
以前東京から出張で社内の同じ部門の人が来た。
昼からの打ち合わせのために大阪に来たのだが、昼前にオフィスに入られた。
昼食を食べようということになり、いつもは社内の食堂に行くことが多いのだが、年上の彼に、お昼はどうしますかと聞いてしまった。
僕としては、地下の食堂でいいですよ、という返事を期待していたのだ。
時は7月で外にいくのも暑い。
ところが彼からは、「うなぎにしましょう。店も調べてきたから」という返事。
わざわざ大阪のオフィスの近くのうなぎ屋を調べてくるくらいなので、相当のうなぎ好きか、あるいは関東では、この時期、うなぎを食べるのが当たり前なのかもしれない。
いずれにしても、彼は一生で何回食事ができるかを計算し、そのなかの貴重な1回の食事なので、いい加減にはすませないというタイプなのだ。
彼と昼休みにオフィスの近くのうなぎ屋に行ったのは、もう20年くらい前のことだ。
その後は、そのようなことを経験したことはない。
それからだいぶ時が経て、こういう話を聞いた。
実はうなぎの旬は、冬である。
夏はもともとうなぎを食べる習慣がなく、うなぎ屋が売れ行きが悪くて困っていた。
そのうなぎ屋を助けるために、尽力した人がいる。
貝原益軒だという。
あの“接して漏らさず”の益軒さんだ。
“接して漏らさず“は、どうも一人歩きしているようだが、ここではこれ以上触れない。
貝原益軒は、”土用のうなぎ“という日本で初めての宣伝のためのキャッチコピーを作り、それから日本人は夏の暑い時期に、旬ではないが、精をつけるためにうなぎを食べるようになったという。
いまでは、うなぎと言えば、夏に食べるものというのが相場になっている。
このようなうんちくを、僕自身が周りの人に、ことあるごとに話し始めていた。
ところが、たまたまテレビを見ていたら、どうもおかしな話になってきた。
テレビでは、お店でうなぎを食べている人にインタビューをしていたのだ。
その中の一人が日本文学を研究している大学の先生だった。
先生の専門は万葉集の時代である。
先生曰く、万葉集にもうなぎを食べていたという歌があるという。
しかも時は夏である。
大伴家持の歌だ。
「石麻呂にわれもの申す 夏痩せに良しというものぞ 鰻捕り食せ」
夏痩せしている吉田石麻呂に、うなぎを食べろと歌っているのだ。
これが万葉集に歌われているということは、8世紀の頃の歌。
大伴家持は、785年に亡くなっている。
貝原益軒は江戸時代なので、それから800年以上後になる。
どうも話の整合性がとれない。
もともと鰻は冬に食べていた。
それを夏にも食べるようにしかけた人がいる。
今では日本全国、土用の丑の日と言って、夏にうなぎを食べる。
ところが、万葉集の時代にすでに、栄養をつけるために夏に、うなぎを食べなさいと言う歌がある。
これはもうすこし調べないといけないね。
(続く)

なにか特別のイベントがないとうなぎは食べない。
少なくとも僕はそうだ。
以前東京から出張で社内の同じ部門の人が来た。
昼からの打ち合わせのために大阪に来たのだが、昼前にオフィスに入られた。
昼食を食べようということになり、いつもは社内の食堂に行くことが多いのだが、年上の彼に、お昼はどうしますかと聞いてしまった。
僕としては、地下の食堂でいいですよ、という返事を期待していたのだ。
時は7月で外にいくのも暑い。
ところが彼からは、「うなぎにしましょう。店も調べてきたから」という返事。
わざわざ大阪のオフィスの近くのうなぎ屋を調べてくるくらいなので、相当のうなぎ好きか、あるいは関東では、この時期、うなぎを食べるのが当たり前なのかもしれない。
いずれにしても、彼は一生で何回食事ができるかを計算し、そのなかの貴重な1回の食事なので、いい加減にはすませないというタイプなのだ。
彼と昼休みにオフィスの近くのうなぎ屋に行ったのは、もう20年くらい前のことだ。
その後は、そのようなことを経験したことはない。
それからだいぶ時が経て、こういう話を聞いた。
実はうなぎの旬は、冬である。
夏はもともとうなぎを食べる習慣がなく、うなぎ屋が売れ行きが悪くて困っていた。
そのうなぎ屋を助けるために、尽力した人がいる。
貝原益軒だという。
あの“接して漏らさず”の益軒さんだ。
“接して漏らさず“は、どうも一人歩きしているようだが、ここではこれ以上触れない。
貝原益軒は、”土用のうなぎ“という日本で初めての宣伝のためのキャッチコピーを作り、それから日本人は夏の暑い時期に、旬ではないが、精をつけるためにうなぎを食べるようになったという。
いまでは、うなぎと言えば、夏に食べるものというのが相場になっている。
このようなうんちくを、僕自身が周りの人に、ことあるごとに話し始めていた。
ところが、たまたまテレビを見ていたら、どうもおかしな話になってきた。
テレビでは、お店でうなぎを食べている人にインタビューをしていたのだ。
その中の一人が日本文学を研究している大学の先生だった。
先生の専門は万葉集の時代である。
先生曰く、万葉集にもうなぎを食べていたという歌があるという。
しかも時は夏である。
大伴家持の歌だ。
「石麻呂にわれもの申す 夏痩せに良しというものぞ 鰻捕り食せ」
夏痩せしている吉田石麻呂に、うなぎを食べろと歌っているのだ。
これが万葉集に歌われているということは、8世紀の頃の歌。
大伴家持は、785年に亡くなっている。
貝原益軒は江戸時代なので、それから800年以上後になる。
どうも話の整合性がとれない。
もともと鰻は冬に食べていた。
それを夏にも食べるようにしかけた人がいる。
今では日本全国、土用の丑の日と言って、夏にうなぎを食べる。
ところが、万葉集の時代にすでに、栄養をつけるために夏に、うなぎを食べなさいと言う歌がある。
これはもうすこし調べないといけないね。
(続く)
