アテルイのこと
- 2015/08/22
- 00:00
アテルイのことをはじめて聞いたのは、東北へ行き始めてから7年目のときである。
その年の10月の下旬に岩手県奥州市の水沢地区で講演会を開催し、翌日は土曜日だったので、いつものごとく、その土地にゆかりのある歴史上の人を知ることができる場所を訪ねようと思っていた。
そのときに、聞いたのがアテルイである。
アテルイは、平安時代初期の蝦夷のリーダーだ。
蝦夷というと、イメージがよくないが、それは中央から見た呼び方だ。
中央に従わないので、朝廷から見れば、賊軍ということになるのだろう。
だが、その地方では、それなりの普通の生活があり、普通の人たちであった。
朝廷からは、なんども中央に従わせるために、軍が送られる。
アテルイは、何年もの間、いくつもの戦いに善戦をする。
だが、朝廷軍を率いた坂上田村麻呂に敗れて、捕らえられる。
坂上田村麻呂に従って、平安京に連れて行かれる。
坂上田村麻呂は、除名を嘆願したが、朝廷に受けいれられず, 現在の枚方のあたりで処刑された。
地元の岩手県奥州市水沢地区で、アテルイの慰霊と顕彰のための委員会ができ、慰霊碑が2005年に建てられている。
歴史が勝者が書いたものであるとすると、アテルイは、敗者になるので、アテルイについて書かれているのは、朝廷側の書いた書物だけだという。
当時の東北の人たち、蝦夷と呼ばれていたというが、アテルイは、彼らをまとめた優秀なリーダーであったのだろう。
出羽神社に、一緒に講演会へ行った人と車で立ち寄った。
出羽神社には、人影が見えない。
大きな木立があり、深閑としている。
古い歴史の向こうから、そこに住んでいた人たちの息づかいが聞こえる。
樹齢700年という杉の木が、天に向かって伸びている。
まだまだ現役である。
そのなかにアテルイやモレを顕彰する碑がある。
モレもアテルイとともに戦ったリーダーの一人だ。
歴史の長さを考えると、ごくごく最近になって作られたものだ。
でも、こうやって、地元の歴史上の人物の功績を忘れずに、残していくような活動は素晴らしいと思う。
地元の人たちの、その土地とそこに生活していた祖先の人たちに対する思い、敬意が感じられる。
顕彰碑には、こう記されている。
”「阿弖流爲(アテルイ)と母禮(モレ)をはじめとする先人たちの自主独立の気概、郷土愛、友情は私たちの誇りです。”
岩手県だけではなく、東北の地を回ってみると、そこは、日本の歴史の中心ではないのだが、随分と力をもった人たちが、生きていたことの片鱗が見えることがある。
歴史書に残っていない場合も多いが、日本のそれぞれの土地では、高い文化圏を作っていたところが、いくつもあったのではないかと、思いをめぐらせる。
僕自身もこのとき、はじめてアテルイを知る。
新しいものに出会える楽しみは、年齢をどれだけ重ねても嬉しいものだ。










その年の10月の下旬に岩手県奥州市の水沢地区で講演会を開催し、翌日は土曜日だったので、いつものごとく、その土地にゆかりのある歴史上の人を知ることができる場所を訪ねようと思っていた。
そのときに、聞いたのがアテルイである。
アテルイは、平安時代初期の蝦夷のリーダーだ。
蝦夷というと、イメージがよくないが、それは中央から見た呼び方だ。
中央に従わないので、朝廷から見れば、賊軍ということになるのだろう。
だが、その地方では、それなりの普通の生活があり、普通の人たちであった。
朝廷からは、なんども中央に従わせるために、軍が送られる。
アテルイは、何年もの間、いくつもの戦いに善戦をする。
だが、朝廷軍を率いた坂上田村麻呂に敗れて、捕らえられる。
坂上田村麻呂に従って、平安京に連れて行かれる。
坂上田村麻呂は、除名を嘆願したが、朝廷に受けいれられず, 現在の枚方のあたりで処刑された。
地元の岩手県奥州市水沢地区で、アテルイの慰霊と顕彰のための委員会ができ、慰霊碑が2005年に建てられている。
歴史が勝者が書いたものであるとすると、アテルイは、敗者になるので、アテルイについて書かれているのは、朝廷側の書いた書物だけだという。
当時の東北の人たち、蝦夷と呼ばれていたというが、アテルイは、彼らをまとめた優秀なリーダーであったのだろう。
出羽神社に、一緒に講演会へ行った人と車で立ち寄った。
出羽神社には、人影が見えない。
大きな木立があり、深閑としている。
古い歴史の向こうから、そこに住んでいた人たちの息づかいが聞こえる。
樹齢700年という杉の木が、天に向かって伸びている。
まだまだ現役である。
そのなかにアテルイやモレを顕彰する碑がある。
モレもアテルイとともに戦ったリーダーの一人だ。
歴史の長さを考えると、ごくごく最近になって作られたものだ。
でも、こうやって、地元の歴史上の人物の功績を忘れずに、残していくような活動は素晴らしいと思う。
地元の人たちの、その土地とそこに生活していた祖先の人たちに対する思い、敬意が感じられる。
顕彰碑には、こう記されている。
”「阿弖流爲(アテルイ)と母禮(モレ)をはじめとする先人たちの自主独立の気概、郷土愛、友情は私たちの誇りです。”
岩手県だけではなく、東北の地を回ってみると、そこは、日本の歴史の中心ではないのだが、随分と力をもった人たちが、生きていたことの片鱗が見えることがある。
歴史書に残っていない場合も多いが、日本のそれぞれの土地では、高い文化圏を作っていたところが、いくつもあったのではないかと、思いをめぐらせる。
僕自身もこのとき、はじめてアテルイを知る。
新しいものに出会える楽しみは、年齢をどれだけ重ねても嬉しいものだ。









