人生に定年はない(2)
- 2015/09/05
- 00:00
道元禅師の言葉として、“人生に定年はない”ということを僕は気に入っていると言う話を周りの人にした。
僕と同世代の人の間では、僕と同じように好意的に受け止める人が多い。
ところが、好意的とか否定的とか言う前に、こういうやりとりが出てきた。
道元禅師は、歴史上の人物でしょう。
もちろん、現代の人ではないね。確か13世紀くらいかな、すると鎌倉時代?
僕は、日本史を選択していないから、よく分からないけどね。
なんて言っていると、
そうではなくて、定年という言葉がそれほど昔からあったのかな、と言われてしまった。
そう言われてみると確かにその通りだ。
まず、定年だ。
例によって、WEBを調べる。
これは曲沼美恵さんが書かれた“起源探訪”であるが、これがなかなか面白い。
こう書いてある。
定年制度が日本に生まれたのは、明治20年(1887年)に海軍の火薬製造所だと言われている。
ただ、もっと古くから、呼び方は「致仕」(ちし)というが、奈良時代から一定の年齢で職を退くという考え方があった。
道元禅師のメッセージとして「人生に定年はない」と書いてあるのは、もちろん道元禅師が「定年」という言葉を使ったわけではなく、現代語訳をすると「定年」となるのだろう。
道元禅師の言葉が書かれているのは、「正法眼蔵」である。
そこに書かれている安身立命(あんじんりゅうみょう)を「人生に定年はない」と訳しているようだ。
この部分は、僕自身の解釈で正しいかどうか、不安であるが、多分そうだろう。
現代に道元禅師の教えを、理解してもらうには、このような分かりやすい現代語訳が必要ということだ。
もう一度、”起源探訪”に戻る。
8世紀前半に書かれた養老律令には、70歳定年と書かれている。
この時代に70歳まで生きる人は、ごくごく一部の人で、70歳定年と言っても、意味がないと思うだろう。
ところが、発掘された木簡などから、70歳以上まで勤め上げた人がいたと言うことが分かっている。
これは心強いことだ。
奈良時代が70歳定年だとしたら、その後の時代、明治までの平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代はどうだったのだろう。
調べてみると面白いだろうね。
僕と同世代の人の間では、僕と同じように好意的に受け止める人が多い。
ところが、好意的とか否定的とか言う前に、こういうやりとりが出てきた。
道元禅師は、歴史上の人物でしょう。
もちろん、現代の人ではないね。確か13世紀くらいかな、すると鎌倉時代?
僕は、日本史を選択していないから、よく分からないけどね。
なんて言っていると、
そうではなくて、定年という言葉がそれほど昔からあったのかな、と言われてしまった。
そう言われてみると確かにその通りだ。
まず、定年だ。
例によって、WEBを調べる。
これは曲沼美恵さんが書かれた“起源探訪”であるが、これがなかなか面白い。
こう書いてある。
定年制度が日本に生まれたのは、明治20年(1887年)に海軍の火薬製造所だと言われている。
ただ、もっと古くから、呼び方は「致仕」(ちし)というが、奈良時代から一定の年齢で職を退くという考え方があった。
道元禅師のメッセージとして「人生に定年はない」と書いてあるのは、もちろん道元禅師が「定年」という言葉を使ったわけではなく、現代語訳をすると「定年」となるのだろう。
道元禅師の言葉が書かれているのは、「正法眼蔵」である。
そこに書かれている安身立命(あんじんりゅうみょう)を「人生に定年はない」と訳しているようだ。
この部分は、僕自身の解釈で正しいかどうか、不安であるが、多分そうだろう。
現代に道元禅師の教えを、理解してもらうには、このような分かりやすい現代語訳が必要ということだ。
もう一度、”起源探訪”に戻る。
8世紀前半に書かれた養老律令には、70歳定年と書かれている。
この時代に70歳まで生きる人は、ごくごく一部の人で、70歳定年と言っても、意味がないと思うだろう。
ところが、発掘された木簡などから、70歳以上まで勤め上げた人がいたと言うことが分かっている。
これは心強いことだ。
奈良時代が70歳定年だとしたら、その後の時代、明治までの平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代はどうだったのだろう。
調べてみると面白いだろうね。
