松尾芭蕉のこと(2)
- 2015/09/07
- 00:00
松尾芭蕉と言えば、当然俳句なので、そらんじている句がどのくらいあるか、思いだそうとした。
例によって、聞いたことや読んだことはあっても、いくつも思い出さないはずだ。
先ず出てきたのは、松尾芭蕉以外の俳句だ。
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
これは、正岡子規の句だ。
正岡子規が日清戦争に従軍記者として行き、体をこわして帰国する。
故郷の松山で療養した後、東京へ戻る途中で、奈良に立ち寄り、詠んだ句だ。
テレビで見たような記憶がある。
それに対して、夏目漱石が、よく似ている句を詠んでいる。
鐘つけば銀杏散るなり建長寺
発表したのは、夏目漱石のほうが早いという。
でも、今は松尾芭蕉だ。
古池や蛙飛び込む水の音
五月雨を集めて早し最上川
夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡
閑(しずけ)さや岩にしみ入る蝉の声
30分くらい考えて、出てきたのが、これだけ。
思い出すと、どれも昔教科書に出てきたような俳句。
受験勉強で試験問題とかで読んだものもあるかもしれない。
今、気になるのは、なぜ滋賀県の石山に松尾芭蕉の像が建てられているかということだ。
奥の細道であちらこちらを歩き回ったという話はよく聞いていた。
江戸から東北に向かったということは覚えている。
奥の細道の最終地点は、大垣だという。
大垣は、岐阜県である。
滋賀県の隣であるので、滋賀県の近くまで来ている。
さらに調べてみよう。
石山で像の隣に解説がある。
これを読めば、なぜ石山に、滋賀県に松尾芭蕉の像が建っているかに納得がいく。
松尾芭蕉は50歳で、大阪で亡くなっているが、奥の細道は45歳のときに江戸を立っている。
奥の細道の5年前に、「野ざらし紀行」の旅に出ている。40歳の時だ。
そのときに、大津に立ち寄る。滋賀県の大津だ。
なかでも義仲寺にはたびたび滞在している。
義仲寺というのは、木曾義仲を巴御前が供養したところから始まっている。
松尾芭蕉は、無名庵というところで句会も行い、この土地を随分気に入ったようだ。
遺言には、木曽塚に埋葬するようにと言っている。
そして遺言とおりに、松尾芭蕉の遺骸は、大阪から義仲寺に運ばれ、木曾義仲の墓の隣に葬られているという。
滋賀県には、たいていJRで行くのだが、京阪電車が路面電車のように走っている。
義仲寺は京阪電車が最寄り駅だ。
そこからもう少し西に行くと、三井寺もある。そして近江神宮。
京阪電車で歩く旅も面白そうだ。

松尾芭蕉の像の後ろには、看板はできるだけないほうが、本当はいいね。

例によって、聞いたことや読んだことはあっても、いくつも思い出さないはずだ。
先ず出てきたのは、松尾芭蕉以外の俳句だ。
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
これは、正岡子規の句だ。
正岡子規が日清戦争に従軍記者として行き、体をこわして帰国する。
故郷の松山で療養した後、東京へ戻る途中で、奈良に立ち寄り、詠んだ句だ。
テレビで見たような記憶がある。
それに対して、夏目漱石が、よく似ている句を詠んでいる。
鐘つけば銀杏散るなり建長寺
発表したのは、夏目漱石のほうが早いという。
でも、今は松尾芭蕉だ。
古池や蛙飛び込む水の音
五月雨を集めて早し最上川
夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡
閑(しずけ)さや岩にしみ入る蝉の声
30分くらい考えて、出てきたのが、これだけ。
思い出すと、どれも昔教科書に出てきたような俳句。
受験勉強で試験問題とかで読んだものもあるかもしれない。
今、気になるのは、なぜ滋賀県の石山に松尾芭蕉の像が建てられているかということだ。
奥の細道であちらこちらを歩き回ったという話はよく聞いていた。
江戸から東北に向かったということは覚えている。
奥の細道の最終地点は、大垣だという。
大垣は、岐阜県である。
滋賀県の隣であるので、滋賀県の近くまで来ている。
さらに調べてみよう。
石山で像の隣に解説がある。
これを読めば、なぜ石山に、滋賀県に松尾芭蕉の像が建っているかに納得がいく。
松尾芭蕉は50歳で、大阪で亡くなっているが、奥の細道は45歳のときに江戸を立っている。
奥の細道の5年前に、「野ざらし紀行」の旅に出ている。40歳の時だ。
そのときに、大津に立ち寄る。滋賀県の大津だ。
なかでも義仲寺にはたびたび滞在している。
義仲寺というのは、木曾義仲を巴御前が供養したところから始まっている。
松尾芭蕉は、無名庵というところで句会も行い、この土地を随分気に入ったようだ。
遺言には、木曽塚に埋葬するようにと言っている。
そして遺言とおりに、松尾芭蕉の遺骸は、大阪から義仲寺に運ばれ、木曾義仲の墓の隣に葬られているという。
滋賀県には、たいていJRで行くのだが、京阪電車が路面電車のように走っている。
義仲寺は京阪電車が最寄り駅だ。
そこからもう少し西に行くと、三井寺もある。そして近江神宮。
京阪電車で歩く旅も面白そうだ。

松尾芭蕉の像の後ろには、看板はできるだけないほうが、本当はいいね。
