札幌ころころ(1)
- 2015/09/18
- 00:00
札幌の最終日。今日は、こちらでの大きな仕事は片付いたので、40年ぶりの札幌の街を歩くことにした。
学生時代にクラブの試合で来たことがある札幌だったが、当時の記憶はなにも残っていない。
大通公園にクラブの同期のメンバーと一緒に出かけたことが、かすかに脳の片隅にあるくらいだ。
ホテルの近くの植物園はよかったよ、と昨日まで同じフォーラムを企画したS先生が言われていた。
そのことを思い出し、まずは札幌駅に向かった。
途中で、喫茶店で、できれば電源がある店がよいのだけど、そこで仕事を片付けようと思った。
ホテルは札幌駅から徒歩10分程度。
一本道を、コロコロを引っ張りながら、一眼レフのカメラと、書類とPCの入った鞄を持って歩いて行く。
喫茶店は全くない。
そのうち、駅に到達。
この日は、まさに雲ひとつない快晴だ。
札幌駅前は大都市の駅前である。
人は東京や大阪ほど多くはない。
それがいい。
地下街に店がいろいろありそうだ。
地下にエレベータで降りると、やはりあった。
喫茶店。
神戸にもあるコーヒー屋。
しかも電源のコンセントマークがある。
これはついている。
店は混んでいない。
電源のついたカウンター席に座る。
1時間でメールを処理する。
途中電話がひとつはいる。
周りに迷惑がかからない席だったので、席にいたまま会話する。
悩ましい仕事の内容だったが、なんとかなりそうだ。
コロコロを預けるのも面倒なので、引っ張っていくことにした。
札幌の市街図を見る。
北海道庁旧本庁舎と植物園に行くことにする。
と思ってよく見ると、近くに時計台がある。
テレビのサスペンスドラマとかによく出てくる定番の場所だ。
札幌の街は、碁盤の目のようにきちんとしたマス目になっている。
住所も北4西6とか、分かりやすく、間違えることがない。
おおよその方向を決めて、歩いて行けばいい。
コロコロ歩いて、時計台に到着。
10分くらいだったか。
天気が素晴らしくいい。
途中で何度も写真を撮る。
時計台の周りは、さすがに観光客が集まっている。
小さな建物だ。
外から写真をとる。
中に入るのは、もちろん有料だ。
折角だからと入館する。
入口のスロープを上がっていく。
小さなステップだけど、コロコロを引っ張っていく者には助かる。
入場券を買う。
200円。安いね。
荷物を見て、受付の人が預かりましょうかと声をかけてくれる。
親切だ。
横の事務室に預かってもらう。
コロコロと一番レフカメラを預ける。
中は木造の落ち着いた雰囲気だ。
展示がいろいろある。
時計台は愛称で、農学校の演武場だった。
時計台の名前のとおり,2階には機械式の時計があり、現在も動いている。
1階の展示場は、おきまりの定番的なものだ。
建物全体の模型がある。
当時、アメリカから来た教師の写真が飾られている。
初代教頭が、あの“少年よ、大志をいだけ”で有名なクラーク博士である。
クラーク博士は、滞在期間は、他の教師に比べ短い、1年間だ。
後で調べてみると8ヶ月だった。
日本に来る前は、マサチューセッツ農科大学の校長だったというから、それなりの地位にいたわけで、日本に来たのは、腰掛け的な意味あいだったかもしれない。
その短期間ではあったが、残した言葉は、日本人なら誰でも知っているような有名なものであり、そのような才はあったのだろう。
アメリカ帰国後は、あまりよい晩年ではなかったようだ。
その写真の並びに、卒業生の写真がある。
見つけたのが、渡瀬寅次郎だ。
名前に惹きつけられた。
そう、寅次郎。
車寅次郎に、吉田寅次郎。
僕のなかの3人目の寅次郎だ。
いまではこのような名前を子供につける親はまずいないだろう。
でも少なくとも幕末のころは、人気のある名前だったのかもしれない。
渡瀬寅次郎は、農学校の一期生だ。
バッタの撃滅を指揮し、20世紀梨の命名者だという。
この時代に高い教育を受けた人達というのは、なにがしかの名前が残る仕事をしているのだ。
その横を見ると、新渡戸稲造の写真がある。
農学校の2期生だという。
きっとそのことは、どこかで読んでいたはずなのだが、すっかり僕の記憶の中からは消えていた。
新渡戸稲造。
お札に写真が擦られていたり、明治の偉人のなかで名前が、教科書で出てきたり、そのような形では、知っていたが、もっと深く知ったのは、岩手に行ったときだ。
(つづく)
札幌駅

札幌駅前の広場

時計台は、ビルに囲まれた小さな木立の中にある。

定番の時計台


時計台の解説文

学生時代にクラブの試合で来たことがある札幌だったが、当時の記憶はなにも残っていない。
大通公園にクラブの同期のメンバーと一緒に出かけたことが、かすかに脳の片隅にあるくらいだ。
ホテルの近くの植物園はよかったよ、と昨日まで同じフォーラムを企画したS先生が言われていた。
そのことを思い出し、まずは札幌駅に向かった。
途中で、喫茶店で、できれば電源がある店がよいのだけど、そこで仕事を片付けようと思った。
ホテルは札幌駅から徒歩10分程度。
一本道を、コロコロを引っ張りながら、一眼レフのカメラと、書類とPCの入った鞄を持って歩いて行く。
喫茶店は全くない。
そのうち、駅に到達。
この日は、まさに雲ひとつない快晴だ。
札幌駅前は大都市の駅前である。
人は東京や大阪ほど多くはない。
それがいい。
地下街に店がいろいろありそうだ。
地下にエレベータで降りると、やはりあった。
喫茶店。
神戸にもあるコーヒー屋。
しかも電源のコンセントマークがある。
これはついている。
店は混んでいない。
電源のついたカウンター席に座る。
1時間でメールを処理する。
途中電話がひとつはいる。
周りに迷惑がかからない席だったので、席にいたまま会話する。
悩ましい仕事の内容だったが、なんとかなりそうだ。
コロコロを預けるのも面倒なので、引っ張っていくことにした。
札幌の市街図を見る。
北海道庁旧本庁舎と植物園に行くことにする。
と思ってよく見ると、近くに時計台がある。
テレビのサスペンスドラマとかによく出てくる定番の場所だ。
札幌の街は、碁盤の目のようにきちんとしたマス目になっている。
住所も北4西6とか、分かりやすく、間違えることがない。
おおよその方向を決めて、歩いて行けばいい。
コロコロ歩いて、時計台に到着。
10分くらいだったか。
天気が素晴らしくいい。
途中で何度も写真を撮る。
時計台の周りは、さすがに観光客が集まっている。
小さな建物だ。
外から写真をとる。
中に入るのは、もちろん有料だ。
折角だからと入館する。
入口のスロープを上がっていく。
小さなステップだけど、コロコロを引っ張っていく者には助かる。
入場券を買う。
200円。安いね。
荷物を見て、受付の人が預かりましょうかと声をかけてくれる。
親切だ。
横の事務室に預かってもらう。
コロコロと一番レフカメラを預ける。
中は木造の落ち着いた雰囲気だ。
展示がいろいろある。
時計台は愛称で、農学校の演武場だった。
時計台の名前のとおり,2階には機械式の時計があり、現在も動いている。
1階の展示場は、おきまりの定番的なものだ。
建物全体の模型がある。
当時、アメリカから来た教師の写真が飾られている。
初代教頭が、あの“少年よ、大志をいだけ”で有名なクラーク博士である。
クラーク博士は、滞在期間は、他の教師に比べ短い、1年間だ。
後で調べてみると8ヶ月だった。
日本に来る前は、マサチューセッツ農科大学の校長だったというから、それなりの地位にいたわけで、日本に来たのは、腰掛け的な意味あいだったかもしれない。
その短期間ではあったが、残した言葉は、日本人なら誰でも知っているような有名なものであり、そのような才はあったのだろう。
アメリカ帰国後は、あまりよい晩年ではなかったようだ。
その写真の並びに、卒業生の写真がある。
見つけたのが、渡瀬寅次郎だ。
名前に惹きつけられた。
そう、寅次郎。
車寅次郎に、吉田寅次郎。
僕のなかの3人目の寅次郎だ。
いまではこのような名前を子供につける親はまずいないだろう。
でも少なくとも幕末のころは、人気のある名前だったのかもしれない。
渡瀬寅次郎は、農学校の一期生だ。
バッタの撃滅を指揮し、20世紀梨の命名者だという。
この時代に高い教育を受けた人達というのは、なにがしかの名前が残る仕事をしているのだ。
その横を見ると、新渡戸稲造の写真がある。
農学校の2期生だという。
きっとそのことは、どこかで読んでいたはずなのだが、すっかり僕の記憶の中からは消えていた。
新渡戸稲造。
お札に写真が擦られていたり、明治の偉人のなかで名前が、教科書で出てきたり、そのような形では、知っていたが、もっと深く知ったのは、岩手に行ったときだ。
(つづく)
札幌駅

札幌駅前の広場

時計台は、ビルに囲まれた小さな木立の中にある。

定番の時計台


時計台の解説文
