福島を訪れる(1)
- 2015/10/02
- 00:00
いわきで講演会があった日のことは、何回かにわけて、このブログにも書いて来た。
講演会の翌日は、願正寺へ行ったり、恐竜の化石を見に行ったりしたのだが、実はその日の午前中が、そのときの福島行きでは、最も大きな意味があったのだ。
その企画は、東北地方の震災に遭ったいわき在住の人が提案したものだった。
その方はYさん。
Yさんは、製造業に勤めている。そこで製品の開発業務を担当されている。
リーダーシップを何事にも発揮される方である。
本業以外でも、町の消防団員の仕事、お子さんの小学校のPTAの会長としての仕事。
それらの仕事を忙しい本業の間に、休日ももちろん使って、こなされている。
特に消防団員としては、今回の震災のときには、とても重要な役割を担っておられた。
本業をこなしながら、それだけの仕事を率先してされることには頭が下がる思いだ。
Yさんが講演会の翌日の土曜日に震災後の町を見ることを提案されたのは、いろいろな風評が県外で流れるなかで、自分の目で現実を見て欲しい、という気持からだと言われた。
Yさん自身が自分の思いを長々と話されたわけではない。
ただ、僕たちの眼で見て欲しいと言われただけである。
僕たちは10人くらのグループだったが、午前の3時間くらいで、いわきから国道を北上し、立入が許可されているところまで、車で移動した。
復興が進んでいる地域では、町の人達の生きる力、ともに助け合って生きていこうという意気込みのようなものを感じた。
Yさんはその代表のような方である。


海岸沿いにある神社を訪ねた。
まわりは、津波にさらわれて、全てが流されたと思われる。
今は、復興工事のための機材が運び込まれ、建設機械が動いている。
そのなかで、津波にも耐えて残っている鳥居があった。
鳥居の横には、神社の祠(ほこら)も残っている。
もっと大きく頑健な建物も、津波前には建っていたに違いない。
それらがすべて津波に流されたにもかかわらず、構造的には、これほど弱い鳥居と祠が残っているのを見ると、自然科学では説明できないものが、きっとあるのだろう。
神仏の力というものが、津波から鳥居や祠を守ったのだと思う。




その先には、港があり、操業できない漁船がむなしさの中で、岸壁につながれている。

(つづく)
講演会の翌日は、願正寺へ行ったり、恐竜の化石を見に行ったりしたのだが、実はその日の午前中が、そのときの福島行きでは、最も大きな意味があったのだ。
その企画は、東北地方の震災に遭ったいわき在住の人が提案したものだった。
その方はYさん。
Yさんは、製造業に勤めている。そこで製品の開発業務を担当されている。
リーダーシップを何事にも発揮される方である。
本業以外でも、町の消防団員の仕事、お子さんの小学校のPTAの会長としての仕事。
それらの仕事を忙しい本業の間に、休日ももちろん使って、こなされている。
特に消防団員としては、今回の震災のときには、とても重要な役割を担っておられた。
本業をこなしながら、それだけの仕事を率先してされることには頭が下がる思いだ。
Yさんが講演会の翌日の土曜日に震災後の町を見ることを提案されたのは、いろいろな風評が県外で流れるなかで、自分の目で現実を見て欲しい、という気持からだと言われた。
Yさん自身が自分の思いを長々と話されたわけではない。
ただ、僕たちの眼で見て欲しいと言われただけである。
僕たちは10人くらのグループだったが、午前の3時間くらいで、いわきから国道を北上し、立入が許可されているところまで、車で移動した。
復興が進んでいる地域では、町の人達の生きる力、ともに助け合って生きていこうという意気込みのようなものを感じた。
Yさんはその代表のような方である。


海岸沿いにある神社を訪ねた。
まわりは、津波にさらわれて、全てが流されたと思われる。
今は、復興工事のための機材が運び込まれ、建設機械が動いている。
そのなかで、津波にも耐えて残っている鳥居があった。
鳥居の横には、神社の祠(ほこら)も残っている。
もっと大きく頑健な建物も、津波前には建っていたに違いない。
それらがすべて津波に流されたにもかかわらず、構造的には、これほど弱い鳥居と祠が残っているのを見ると、自然科学では説明できないものが、きっとあるのだろう。
神仏の力というものが、津波から鳥居や祠を守ったのだと思う。




その先には、港があり、操業できない漁船がむなしさの中で、岸壁につながれている。

(つづく)