優しさと力と
- 2015/10/08
- 00:00
学生の頃は、随分弱々しかった。
すねっかじりの女々しさだろう。
そういうときに、“優しくなければ男ではない”なんて言葉を読むと、そうだ、そうだとまますますつけあがる。
所詮、なにも実力はない若造だ。
そのような学生生活の中で、アメリカに行った。
それは単に夏休みの旅行のような、里帰りだった。
当時は、日本の産業がどんどん力をつけて、アメリカに追いつこうとしていた。
僕の親戚は、日系一世としてアメリカに渡り、戦時中は大変な苦労を味わっていたが、そのときは、すっかりアメリカ社会の中で、生活を確立させていた。
子供も孫も出来て、彼らは日系二世や三世となるが、日本語を聞いたときは、その言葉は分かっても、話すことはできない。
僕の叔母は、はっきりと“戦争には負けたけど、経済戦争には勝った”と言っていた。
でも、僕の目には、日本はつま先で立って、ようやくアメリカに追いつけるかどうかというような印象だった。
ニューヨークに行くとハーレムと言われる、低所得者の黒人街があったり、生活の大きな格差の中で生きている人達がいた。
でも、生活基盤、例えば空調であったり、セントラルヒーティングのような設備については、当時の日本と比べると、遙か先を行っていた。
日本ではまだまだ歯が立たないという印象を持った。
力を持っていないと勝てるわけがない。実力を持っていないと、かなうわけがない。
自分自身も甘い言葉に酔っているのではなく、生きるための力をつけないとだめだという強い気持を持たせるものだった。
だが、学生の思うところはたかが知れている。
そのような思いは、一時のもので、日本に帰ると日が経つとともに忘れてしまうのである。
多少はアメリカでの体験は、心の底に澱のように残っていたが、結局そこで受けた経験が僕のなかで、具体的に動き出すまでには、とんでもなく長い時間が必要だった。
社会の中で働き始める。
自分の実力のなさをますます実感する。
そこでなんとかしようと学び始める。
それを繰り返すことで自然と生きていく力がついていく。
その方向には際限がない。
やればやるほど、目的地が遠くなる。
でも、進み続けるのだ。

すねっかじりの女々しさだろう。
そういうときに、“優しくなければ男ではない”なんて言葉を読むと、そうだ、そうだとまますますつけあがる。
所詮、なにも実力はない若造だ。
そのような学生生活の中で、アメリカに行った。
それは単に夏休みの旅行のような、里帰りだった。
当時は、日本の産業がどんどん力をつけて、アメリカに追いつこうとしていた。
僕の親戚は、日系一世としてアメリカに渡り、戦時中は大変な苦労を味わっていたが、そのときは、すっかりアメリカ社会の中で、生活を確立させていた。
子供も孫も出来て、彼らは日系二世や三世となるが、日本語を聞いたときは、その言葉は分かっても、話すことはできない。
僕の叔母は、はっきりと“戦争には負けたけど、経済戦争には勝った”と言っていた。
でも、僕の目には、日本はつま先で立って、ようやくアメリカに追いつけるかどうかというような印象だった。
ニューヨークに行くとハーレムと言われる、低所得者の黒人街があったり、生活の大きな格差の中で生きている人達がいた。
でも、生活基盤、例えば空調であったり、セントラルヒーティングのような設備については、当時の日本と比べると、遙か先を行っていた。
日本ではまだまだ歯が立たないという印象を持った。
力を持っていないと勝てるわけがない。実力を持っていないと、かなうわけがない。
自分自身も甘い言葉に酔っているのではなく、生きるための力をつけないとだめだという強い気持を持たせるものだった。
だが、学生の思うところはたかが知れている。
そのような思いは、一時のもので、日本に帰ると日が経つとともに忘れてしまうのである。
多少はアメリカでの体験は、心の底に澱のように残っていたが、結局そこで受けた経験が僕のなかで、具体的に動き出すまでには、とんでもなく長い時間が必要だった。
社会の中で働き始める。
自分の実力のなさをますます実感する。
そこでなんとかしようと学び始める。
それを繰り返すことで自然と生きていく力がついていく。
その方向には際限がない。
やればやるほど、目的地が遠くなる。
でも、進み続けるのだ。
