死者よ、来たりて我が退路を断て
- 2015/10/15
- 00:00
学生の頃、学生運動が盛んだった。
そのときに全共闘というグループがあった。
既存の学生運動の派閥に属さない新しい集まりだった。
ノンセク集団とも言われていたが、その中で言われていた、“死者よ、来たりて我が退路を断て”という言葉がある。
言葉に酔っていたようなところがあるが、ぎりぎりのところまで自分自身を追い詰めて、そこから前進するという意味の、いわば捨て身の一か八か的にガムシャラに突き進むという意味だ。
冷静に考えると、このような戦いに、勝利がある可能性は小さい。
だが、当時の学生運動には、そのような醒めた目で見るような動きは、少なくとも学生の中にはなかった。
ただ、若気のいたりで、猪突猛進するのみ。
それだけ純情で、純粋に物事を見ていたのだろう。
きっと冷えた目で見ている大人からは、一時のはやり病のように思っていた人も多かったに違いない。
こういう気持で突き進むことは、若いときではなく、むしろ経験を積み、実力を付けてきたときこそ、意味があるように思う。
年を重ねるに従い、計算ができてしまうことが多いので、行動する前から、やっても無駄だからやめようと行動を起こさない。
だが、そういう年代に入ってから、行動を起こすことができれば、それは若いときにはない、瞬発力はなくても、底力や周囲を動かす力を持っているので、成果を生み出すことがあるのではないだろうか。
君は、再び前進することができるのだろうか。

そのときに全共闘というグループがあった。
既存の学生運動の派閥に属さない新しい集まりだった。
ノンセク集団とも言われていたが、その中で言われていた、“死者よ、来たりて我が退路を断て”という言葉がある。
言葉に酔っていたようなところがあるが、ぎりぎりのところまで自分自身を追い詰めて、そこから前進するという意味の、いわば捨て身の一か八か的にガムシャラに突き進むという意味だ。
冷静に考えると、このような戦いに、勝利がある可能性は小さい。
だが、当時の学生運動には、そのような醒めた目で見るような動きは、少なくとも学生の中にはなかった。
ただ、若気のいたりで、猪突猛進するのみ。
それだけ純情で、純粋に物事を見ていたのだろう。
きっと冷えた目で見ている大人からは、一時のはやり病のように思っていた人も多かったに違いない。
こういう気持で突き進むことは、若いときではなく、むしろ経験を積み、実力を付けてきたときこそ、意味があるように思う。
年を重ねるに従い、計算ができてしまうことが多いので、行動する前から、やっても無駄だからやめようと行動を起こさない。
だが、そういう年代に入ってから、行動を起こすことができれば、それは若いときにはない、瞬発力はなくても、底力や周囲を動かす力を持っているので、成果を生み出すことがあるのではないだろうか。
君は、再び前進することができるのだろうか。
