阪急電車 15分の奇跡(1)
- 2015/11/17
- 00:00
“阪急電車 片道15分の奇跡”という映画がある。
これは阪急電車の今津線を舞台にした物語だ。
原作は、有川浩さんの短編小説集である。
阪急今津線は僕にとっては一番なじみのある路線だ。
中学から高校までの6年間、毎日通学で使っていた。
当時は、今のように宝塚から西宮北口までではなく、そのままもう2駅先の今津駅まで一本の線でつながっていた。
西宮北口には、今津線と直交する神戸線が走っていて、神戸線は阪急電車の中でも主要な看板の路線だったので、西宮北口での2つの路線を直交させるというのは、今思えば、とても大変な方式だったはずだ。
2つの直交する路線のレールが、まさに90度で交わっている、直交しているのだ。
時間調整ひとつとっても、対応が簡単ではなかっただろう。
いつの頃か、主要な路線の神戸線をそのまま通して、支線ともいうべき今津線を西宮北口で分けてしまった。
宝塚から今津まで乗っている人にとっては、一度電車を降りて、階段を上がって、もうひとつの今津線のプラットフォームまで歩かなければならなくなったのだ。
それは今津まで乗っていた乗客にとっては、不便な変更となったが、西宮北口と今津間の乗客数を考えると、それもやむを得なかったのだろう。
今では、西宮北口と今津間の車両はわずか3輌である。
宝塚と西宮北口間の車両は、その倍だったはずだ。
それでも十分ということは、西宮北口と今津の間の乗客は少ないということだ。
一方、神戸線の運行ダイヤは、今津線を途中で切ることで、時間調整がずっと楽になって、増便ができたに違いない。
僕にはなじみのある路線の”阪急電車の今津線“が主役となる映画だったので、映画が出来た頃から気になっていたのは確かだ。
と言っても、映画館に行ってすぐに見てやろうという程の思いがあったわけではない。
僕は映画館ではなく、ビデオを借りて見た。
ビデオを借りようと思った、一番の理由は、僕の中学、高校の同級生だったK君がエキストラで出ていたことを聞いたからだ。
電車の中のシーンが映画の半分くらいを占めている。
そうなると必ず乗客や、駅に電車が止まったときの乗降客が登場する。
そして、それらは全てエキストラである。
普段映画を見るときには、俳優や女優を見るものだ。
その周りの通行人やら、言ってみれば景色と同じ扱いのエキストラを注意をして見ることはない。
ところが、僕の大きな目的は、エキストラで出ているK君を探すことだ。
映画のなかの台詞を聞きながら、常に周りの人にも気を配らなければならない。
幸い、エキストラが出ている場面は、ゆったりと画面が進んでいる。
アクション映画や、カーレースのようなシーンがあるわけではない。
落ち着いたカメラーワークである。
エキストラをしっかりと見ていると、面白いもので、おかしなところに気がつく。
電車のなかで、玉山鉄二さんと宮本信子さんが話をするシーンがある。
玉山鉄二さんは、あの”マッサン”をやっていた俳優だ。
そのときは、名前も知らなかった。
宮本信子さんの席の隣に座っているエキストラが二人写っている。
玉山鉄二さんはつり革を持って、立っている。
二人の会話の間、ずっとカメラの中にふたりのエキストラが収まっているのだ。
一人は中年女性だ。
居眠りをしている。
でもその居眠りが不自然だ。
身体が全く動かない。
電車の中での居眠りだ。
電車の揺れにあわせて、身体が動く方が自然だ。
さらにその隣にいる男性乗客。
彼は寝ていない。
しっかりと目が開かれている。
しかもその視線は一点を見たまま動かない。
まるで目の前に、美女が座っていて、一瞬たりとも見逃すまいと凝視しているようだ。
きっと、ふたりのエキストラは緊張していたのだろう。
電車が西宮北口に着く。
プラットフォームに電車から乗客が降りてくる。
同じ方向に進んでいく。
駅の構造上、確かにその方向に向かって一斉に歩くのはよいのだが、なにか不自然だ。
みんな同じスピードだ。
実際は、次の電車に乗るために、走っている人もいるだろう。
反対に、のんびりぶらぶら、だべりながら歩いている人もいるだろう。
でも、なぜか均一的なのだ。
プラットフォームから電車に乗り込む乗客もなぜか不自然だ。
急いで席に乗り込む人もいるだろう。
また乗り込んだ電車のなかをさらに歩く人もいるだろう。
実際は、いろいろな動きをするはずなのに、みんな同じ動きをしているのだ。
エキストラはきっと指示通りに動いているはずだが、一人一人に細かい演技指導をすることはないのだろう。
映画はドンドン進んで行く。
だが肝心のK君が出てこない。
体格的には目だった特徴のある男性ではないが、顔も身体の雰囲気も分かっているので、見逃すはずがない。
これだったら、K君にどこにでていたか、聞いておけばよかったと思うが、後の祭りだ。
見逃したのだったら、ビデオだ。
初めから見直せばいい。
ビデオがさらに進んで行く。
(つづく)

これは阪急電車の今津線を舞台にした物語だ。
原作は、有川浩さんの短編小説集である。
阪急今津線は僕にとっては一番なじみのある路線だ。
中学から高校までの6年間、毎日通学で使っていた。
当時は、今のように宝塚から西宮北口までではなく、そのままもう2駅先の今津駅まで一本の線でつながっていた。
西宮北口には、今津線と直交する神戸線が走っていて、神戸線は阪急電車の中でも主要な看板の路線だったので、西宮北口での2つの路線を直交させるというのは、今思えば、とても大変な方式だったはずだ。
2つの直交する路線のレールが、まさに90度で交わっている、直交しているのだ。
時間調整ひとつとっても、対応が簡単ではなかっただろう。
いつの頃か、主要な路線の神戸線をそのまま通して、支線ともいうべき今津線を西宮北口で分けてしまった。
宝塚から今津まで乗っている人にとっては、一度電車を降りて、階段を上がって、もうひとつの今津線のプラットフォームまで歩かなければならなくなったのだ。
それは今津まで乗っていた乗客にとっては、不便な変更となったが、西宮北口と今津間の乗客数を考えると、それもやむを得なかったのだろう。
今では、西宮北口と今津間の車両はわずか3輌である。
宝塚と西宮北口間の車両は、その倍だったはずだ。
それでも十分ということは、西宮北口と今津の間の乗客は少ないということだ。
一方、神戸線の運行ダイヤは、今津線を途中で切ることで、時間調整がずっと楽になって、増便ができたに違いない。
僕にはなじみのある路線の”阪急電車の今津線“が主役となる映画だったので、映画が出来た頃から気になっていたのは確かだ。
と言っても、映画館に行ってすぐに見てやろうという程の思いがあったわけではない。
僕は映画館ではなく、ビデオを借りて見た。
ビデオを借りようと思った、一番の理由は、僕の中学、高校の同級生だったK君がエキストラで出ていたことを聞いたからだ。
電車の中のシーンが映画の半分くらいを占めている。
そうなると必ず乗客や、駅に電車が止まったときの乗降客が登場する。
そして、それらは全てエキストラである。
普段映画を見るときには、俳優や女優を見るものだ。
その周りの通行人やら、言ってみれば景色と同じ扱いのエキストラを注意をして見ることはない。
ところが、僕の大きな目的は、エキストラで出ているK君を探すことだ。
映画のなかの台詞を聞きながら、常に周りの人にも気を配らなければならない。
幸い、エキストラが出ている場面は、ゆったりと画面が進んでいる。
アクション映画や、カーレースのようなシーンがあるわけではない。
落ち着いたカメラーワークである。
エキストラをしっかりと見ていると、面白いもので、おかしなところに気がつく。
電車のなかで、玉山鉄二さんと宮本信子さんが話をするシーンがある。
玉山鉄二さんは、あの”マッサン”をやっていた俳優だ。
そのときは、名前も知らなかった。
宮本信子さんの席の隣に座っているエキストラが二人写っている。
玉山鉄二さんはつり革を持って、立っている。
二人の会話の間、ずっとカメラの中にふたりのエキストラが収まっているのだ。
一人は中年女性だ。
居眠りをしている。
でもその居眠りが不自然だ。
身体が全く動かない。
電車の中での居眠りだ。
電車の揺れにあわせて、身体が動く方が自然だ。
さらにその隣にいる男性乗客。
彼は寝ていない。
しっかりと目が開かれている。
しかもその視線は一点を見たまま動かない。
まるで目の前に、美女が座っていて、一瞬たりとも見逃すまいと凝視しているようだ。
きっと、ふたりのエキストラは緊張していたのだろう。
電車が西宮北口に着く。
プラットフォームに電車から乗客が降りてくる。
同じ方向に進んでいく。
駅の構造上、確かにその方向に向かって一斉に歩くのはよいのだが、なにか不自然だ。
みんな同じスピードだ。
実際は、次の電車に乗るために、走っている人もいるだろう。
反対に、のんびりぶらぶら、だべりながら歩いている人もいるだろう。
でも、なぜか均一的なのだ。
プラットフォームから電車に乗り込む乗客もなぜか不自然だ。
急いで席に乗り込む人もいるだろう。
また乗り込んだ電車のなかをさらに歩く人もいるだろう。
実際は、いろいろな動きをするはずなのに、みんな同じ動きをしているのだ。
エキストラはきっと指示通りに動いているはずだが、一人一人に細かい演技指導をすることはないのだろう。
映画はドンドン進んで行く。
だが肝心のK君が出てこない。
体格的には目だった特徴のある男性ではないが、顔も身体の雰囲気も分かっているので、見逃すはずがない。
これだったら、K君にどこにでていたか、聞いておけばよかったと思うが、後の祭りだ。
見逃したのだったら、ビデオだ。
初めから見直せばいい。
ビデオがさらに進んで行く。
(つづく)
