水があわない
- 2015/11/21
- 00:00
IT系の会社にいたときは、四国へも何度か出張へ行った。四国へ初めて行ったのは、その前の会社のときだったが、そのときは、香川県がほとんどで、香川県以外には、車で走った事が2回ほどあっただけだ。
本州から四国へ行くときは、当時は本州と四国を結ぶ橋はなかったので、船で行くことになる。
連絡橋がないと、時間もかかり随分不便そうだが、今思うと時間に余裕があれば、船での移動はゆったりしている分だけ、よいところもあった。
車を走らせて、フェリーに乗り込むこともあれば、電車を乗り継いで徒歩で乗船するときもあるが、JRの支線にもなっていた宇野―高松間を結ぶ宇高連絡船を使うときは、必ず船内でうどんを食べていた。
甲板に出るには寒いようなときには、まさに熱いうどんが身体も心も暖めてくれる。
四国への出張で初めて行ったのは、四国4県のなかの愛媛県である。
訪問するお客様は製造業のお客様が多かったので、四国の場合、西側の愛媛、高知が多くなるのだ。
当時は、仕事の流れも今に比べるとゆったりとしている。
日帰りでの出張というのは、比較的少なく、ほとんどが泊まりだった。前泊して翌日の朝からお客様を訪問するというパターンだ。
愛媛県の造船会社には何度も通った。
造船会社というのは、比較的へんぴなところにある。
広い敷地、最寄り駅は、ローカル線の普通電車しか止まらないという場合が多い。
愛媛県でも松山に近い場合は、大阪から飛行機で松山空港まで飛び、そこで地元の担当営業と合流して、車でお客様へ入るということが多かった。
車であれば、道の混み具合で時間が読みにくい場合もあるが、四国の場合は、市内の中心部以外ではその心配がいらない。
一度だけ最寄り駅の近くのホテルに泊まったことがある。
このときは間が差したとしか、後になると思えないのだが、一人で部屋の中にいると背筋が寒くなるような部屋だった。それ以後は、決してそのホテルに泊まることはなかった。
昔、この部屋で自殺者が出たと言われても、信じてしまいそうな雰囲気の部屋だった。
それからは、多少遠くても、松山市内のホテルに泊まることにした。
当時は、お客様の事務所も随分古いつくりで、昔の小学校の校舎を使っていた。
完全な木造である。
階段を上ると、ぎしぎし木のこすれるような音がした。
機器を導入した2階の部屋から窓の外を見ると、渡り廊下が見える。
渡り廊下の先には、大きなトイレがある。
トイレと言うより便所だ。
男子の小便所が溝型のものである。昔、英語の仕様書を読んでいてその呼び名を覚えた。
Urinal gutter (ユーニナル ガター)という。 urinal は、小便器だ。 gutter はボーリングのガターと同じ、溝だ。
最近ではほとんど見ることもないタイプだが、そういえば、昔の広島市民球場の男性トイレには同じものがあった。
あのときは、小便をするときに、トイレに入るときに、息をとめて入っていったような記憶がある。
とにかく臭かった。
現在ではもちろん、広島の野球場も四国のお客様にも、このようなトイレはない。
スタジアムもオフィスの建屋も見違える程、きれいになっている。
四国には、愛媛県、高知県の西側2県に行くことが多かったが、以前からなじみのある香川県のほうが僕は親しみがある。
確かに製造業の企業数では、香川県、徳島県の東側2県は数が少ない。
四国のお客様を訪問したときに、一緒に同行訪問した担当営業の動きを見ていると、関西の担当営業とは違うのである。時間の進み方とか慌ただしさが違うのだが、関西では狩猟をやっているような感じだが、四国では、農耕なのだ。
種をまき、水を入れ、肥料を与えて、じっくり育てるという農耕民族のやり方が四国だとすると、関西では、時間に追われて、締め日にあわせて、どんどん狩りに行く狩猟民族のやり方だ。
いまでは、狩猟民族のやり方が、地方まで広がっていて、毎期の締め毎にせわしく数字に追われているようになっている。
当時、高松で営業をやっている若い営業がいた。
彼は、出身も香川県で、入社して3年間を高松で過ごした。
そして4年目に大阪の営業所に転勤となった。高松である程度の実績を上げ、実直な性格も認められて、関西で新しいビジネスにチャレンジすることになった。
ところが、1年間の大阪勤務の後、本人の希望で再び高松に戻ることになった。
水があわなかったのである。
農耕民族からいきなり狩猟民族になることができなかったのだが、彼の場合は、完全に体調を崩してしまった。
大阪の水が本当にあわなかったのである。
大阪の水を飲むとお腹をくだしたという。
確かに、当時の大阪の水道の水は、そのままで飲むと美味しくはなかった。
彼の場合は、美味しくないというレベルではなく、お腹にあわなかったのである。
これが本当の水があわないということだね。

本州から四国へ行くときは、当時は本州と四国を結ぶ橋はなかったので、船で行くことになる。
連絡橋がないと、時間もかかり随分不便そうだが、今思うと時間に余裕があれば、船での移動はゆったりしている分だけ、よいところもあった。
車を走らせて、フェリーに乗り込むこともあれば、電車を乗り継いで徒歩で乗船するときもあるが、JRの支線にもなっていた宇野―高松間を結ぶ宇高連絡船を使うときは、必ず船内でうどんを食べていた。
甲板に出るには寒いようなときには、まさに熱いうどんが身体も心も暖めてくれる。
四国への出張で初めて行ったのは、四国4県のなかの愛媛県である。
訪問するお客様は製造業のお客様が多かったので、四国の場合、西側の愛媛、高知が多くなるのだ。
当時は、仕事の流れも今に比べるとゆったりとしている。
日帰りでの出張というのは、比較的少なく、ほとんどが泊まりだった。前泊して翌日の朝からお客様を訪問するというパターンだ。
愛媛県の造船会社には何度も通った。
造船会社というのは、比較的へんぴなところにある。
広い敷地、最寄り駅は、ローカル線の普通電車しか止まらないという場合が多い。
愛媛県でも松山に近い場合は、大阪から飛行機で松山空港まで飛び、そこで地元の担当営業と合流して、車でお客様へ入るということが多かった。
車であれば、道の混み具合で時間が読みにくい場合もあるが、四国の場合は、市内の中心部以外ではその心配がいらない。
一度だけ最寄り駅の近くのホテルに泊まったことがある。
このときは間が差したとしか、後になると思えないのだが、一人で部屋の中にいると背筋が寒くなるような部屋だった。それ以後は、決してそのホテルに泊まることはなかった。
昔、この部屋で自殺者が出たと言われても、信じてしまいそうな雰囲気の部屋だった。
それからは、多少遠くても、松山市内のホテルに泊まることにした。
当時は、お客様の事務所も随分古いつくりで、昔の小学校の校舎を使っていた。
完全な木造である。
階段を上ると、ぎしぎし木のこすれるような音がした。
機器を導入した2階の部屋から窓の外を見ると、渡り廊下が見える。
渡り廊下の先には、大きなトイレがある。
トイレと言うより便所だ。
男子の小便所が溝型のものである。昔、英語の仕様書を読んでいてその呼び名を覚えた。
Urinal gutter (ユーニナル ガター)という。 urinal は、小便器だ。 gutter はボーリングのガターと同じ、溝だ。
最近ではほとんど見ることもないタイプだが、そういえば、昔の広島市民球場の男性トイレには同じものがあった。
あのときは、小便をするときに、トイレに入るときに、息をとめて入っていったような記憶がある。
とにかく臭かった。
現在ではもちろん、広島の野球場も四国のお客様にも、このようなトイレはない。
スタジアムもオフィスの建屋も見違える程、きれいになっている。
四国には、愛媛県、高知県の西側2県に行くことが多かったが、以前からなじみのある香川県のほうが僕は親しみがある。
確かに製造業の企業数では、香川県、徳島県の東側2県は数が少ない。
四国のお客様を訪問したときに、一緒に同行訪問した担当営業の動きを見ていると、関西の担当営業とは違うのである。時間の進み方とか慌ただしさが違うのだが、関西では狩猟をやっているような感じだが、四国では、農耕なのだ。
種をまき、水を入れ、肥料を与えて、じっくり育てるという農耕民族のやり方が四国だとすると、関西では、時間に追われて、締め日にあわせて、どんどん狩りに行く狩猟民族のやり方だ。
いまでは、狩猟民族のやり方が、地方まで広がっていて、毎期の締め毎にせわしく数字に追われているようになっている。
当時、高松で営業をやっている若い営業がいた。
彼は、出身も香川県で、入社して3年間を高松で過ごした。
そして4年目に大阪の営業所に転勤となった。高松である程度の実績を上げ、実直な性格も認められて、関西で新しいビジネスにチャレンジすることになった。
ところが、1年間の大阪勤務の後、本人の希望で再び高松に戻ることになった。
水があわなかったのである。
農耕民族からいきなり狩猟民族になることができなかったのだが、彼の場合は、完全に体調を崩してしまった。
大阪の水が本当にあわなかったのである。
大阪の水を飲むとお腹をくだしたという。
確かに、当時の大阪の水道の水は、そのままで飲むと美味しくはなかった。
彼の場合は、美味しくないというレベルではなく、お腹にあわなかったのである。
これが本当の水があわないということだね。
