日本史のT先生(2)
- 2015/12/19
- 00:00
以前ブログにも日本史よりも世界史が好きだと書いている。
僕が世界史を好きになったのは、中学で受けた授業のせいかもしれない。
中学では世界史の授業はなかった。
日本史の授業があったのだが、それが不運にも古墳や石器で始まったのが、日本史にとっては不利になった。
もし、戦国時代くらいから日本史が始まっていたら、きっと僕は日本史のほうが好きになっていたに違いない。
歴史小説は、仕事を始めてからだけど、結構読んでいる。
二十巻くらいある文庫本を読み続けたこともあった。
最近の歴史小説では、やはり司馬遼太郎さんの作品だ。
若い頃は、なぜか司馬遼太郎さんの作品は読んでいなかった。
あまりにも数が多いので、尻込みをしていたのかもしれない。
読むきっかけとなったのは、部門のクリスマスでの集まりからだ。
そのときは、全員が1000円までの贈り物を買ってくることになっていた。
10人くらいが集まったが、お互いに持ち寄った贈り物を、誰かにプレゼントするのだ。
プレゼントの交換である。
ただし、あげた人ともらった人はばらばらである。
欲しいものがもらえるとも限らない。
これはあの人にあげたいと思っていても、自分の持って来たプレゼントが誰にあたるかは、くじ引きなので、くじを引くまでは分からない。
僕にあたったのは、司馬遼太郎さんの文庫本だった。翌年から大河ドラマが放映されることになっていた「功名が辻」である。
ところが、プレゼントの予算は1000円以下なので、全4巻のうち、1巻だけがプレゼントになっていた。
2巻目以降は、自分で買うことになった。
全4巻を読んだ後、すぐに司馬遼太郎さんの本を続けて読むことはなかった。
「功名が辻」そのものがあまり気に入らなかったのだ。
ただ、大河ドラマに関する歴史小説を読むことのきっかけになったのは、このときに読んだ「功名が辻」である。
その後、「龍馬伝」や「坂の上の雲」とテレビでの放映を受けて、司馬遼太郎さんを読み始めた。
全冊読破という思いを持ったこともあるが、いまは、小休止状態だ。
日本史のT先生だが、僕のなかでは、記憶に残ることは、はしごの話ともうひとつ。
それは武庫之荘だ。
T先生があるとき、阪急電車神戸線に乗っていたときのこと。
その電車の車掌さんが「次は、むこのしょう」とアナウンスしたという。
T先生のまわりの乗客は、それを聞いてくすくす笑っている。
車掌さんが、地方の出身で、”むこのそう”をうまく言えないのだと思っているわけだ。
それを見て、T先生は、笑っている乗客を睨んだそうだ。
T先生に言わせると、もともとは、そこに荘園(しょうえん)があったことから、武庫之荘という名前が出来たのである。
本来の言い方は、“むこのそう“ではなく、”むこのしょう“と呼ぶのが正しいと。
T先生には、車掌さんの発音が正しく、それを笑うとは、何事ぞ、ということになるのだ。
常に歴史が出てくるのは、さすが日本史の先生である。
でもT先生が縄文土器からではなく、戦国時代から授業を始めていれば、僕のその後もきっと変わっていたに違いない。
僕が世界史を好きになったのは、中学で受けた授業のせいかもしれない。
中学では世界史の授業はなかった。
日本史の授業があったのだが、それが不運にも古墳や石器で始まったのが、日本史にとっては不利になった。
もし、戦国時代くらいから日本史が始まっていたら、きっと僕は日本史のほうが好きになっていたに違いない。
歴史小説は、仕事を始めてからだけど、結構読んでいる。
二十巻くらいある文庫本を読み続けたこともあった。
最近の歴史小説では、やはり司馬遼太郎さんの作品だ。
若い頃は、なぜか司馬遼太郎さんの作品は読んでいなかった。
あまりにも数が多いので、尻込みをしていたのかもしれない。
読むきっかけとなったのは、部門のクリスマスでの集まりからだ。
そのときは、全員が1000円までの贈り物を買ってくることになっていた。
10人くらいが集まったが、お互いに持ち寄った贈り物を、誰かにプレゼントするのだ。
プレゼントの交換である。
ただし、あげた人ともらった人はばらばらである。
欲しいものがもらえるとも限らない。
これはあの人にあげたいと思っていても、自分の持って来たプレゼントが誰にあたるかは、くじ引きなので、くじを引くまでは分からない。
僕にあたったのは、司馬遼太郎さんの文庫本だった。翌年から大河ドラマが放映されることになっていた「功名が辻」である。
ところが、プレゼントの予算は1000円以下なので、全4巻のうち、1巻だけがプレゼントになっていた。
2巻目以降は、自分で買うことになった。
全4巻を読んだ後、すぐに司馬遼太郎さんの本を続けて読むことはなかった。
「功名が辻」そのものがあまり気に入らなかったのだ。
ただ、大河ドラマに関する歴史小説を読むことのきっかけになったのは、このときに読んだ「功名が辻」である。
その後、「龍馬伝」や「坂の上の雲」とテレビでの放映を受けて、司馬遼太郎さんを読み始めた。
全冊読破という思いを持ったこともあるが、いまは、小休止状態だ。
日本史のT先生だが、僕のなかでは、記憶に残ることは、はしごの話ともうひとつ。
それは武庫之荘だ。
T先生があるとき、阪急電車神戸線に乗っていたときのこと。
その電車の車掌さんが「次は、むこのしょう」とアナウンスしたという。
T先生のまわりの乗客は、それを聞いてくすくす笑っている。
車掌さんが、地方の出身で、”むこのそう”をうまく言えないのだと思っているわけだ。
それを見て、T先生は、笑っている乗客を睨んだそうだ。
T先生に言わせると、もともとは、そこに荘園(しょうえん)があったことから、武庫之荘という名前が出来たのである。
本来の言い方は、“むこのそう“ではなく、”むこのしょう“と呼ぶのが正しいと。
T先生には、車掌さんの発音が正しく、それを笑うとは、何事ぞ、ということになるのだ。
常に歴史が出てくるのは、さすが日本史の先生である。
でもT先生が縄文土器からではなく、戦国時代から授業を始めていれば、僕のその後もきっと変わっていたに違いない。
