北見から女満別空港へ
- 2015/01/31
- 16:30
数年前に北海道の北見で仕事があった。
北見までは関西からだと飛行機になる。というか、関西以外からでも列車で行く人は、北海道の人くらいだろう。
空港は女満別(めまんべつ)空港という。北見は北海道の東部にあるが、女満別空港はさらに東側、より海岸に近くなる。
北見からの移動には、レンタカーを借りることにした。
一人で走ったのであるが、時間も十分あった。8時ごろに北見を出発。飛行機の出発時間は午後の遅い時間。
半日のドライブだったが、 きままに走ることにした。
北向きに進路を取る。能取(のとろ)湖に向かう。
市街地を出ると、視界がとたんに広くなる。
人家はあるが、周りの広さのなかで、圧倒的に自然の占める割合が大きくなる。
見渡す限りの畑と草原が広がっている感じだ。
車も少なく、走っているだけで気持ちがいい。
ラジオもつけず、音は風だけ。自然の中を走る。


能取湖に到着。
湖の際に駐車場がある。
駐車場には車も止まっていない。海のような湖が広がる。


さらに西に進み、サロマ湖に着く。
北緯44度07分とある。日本国内では僕自身が到達した最北端の地になるのは間違いない。
普段、自分がいる場所の緯度は気にしたことがない。
経度であれば、明石が東経135度の日本の標準時子午線の場所にあることを知識としては知っているが、と言っても、明石に行くたびに、それを意識するわけではない。
改めてサロマ湖の標識に書いてある緯度を見て、それほど北のほうに来たのかということを再認識する。
サロマ湖も雄大である。
波は立たないが、こちらも海のような大きな湖である。
時期は9月の下旬で、天気もよく、ぶらりとまわるには絶好の季節だった。




サロマ湖の近くに“ところ遺跡の森”があり、入っていく。
ここも人はほとんどいない。
”ところ遺跡の館”がある
久しぶりに歴史の勉強をした。
古代の歴史というと縄文と弥生しか知らないのであるが、それ以外に擦文(さつぶん)時代というのがあることを初めて知る。本州では奈良、平安、鎌倉時代に相当するらしい。縄文は1万年以上前の時代であるので、縄文とは遠く離れた時代である。
時代の流れの速さが、当然現代とは、比べものにならないくらい、遅い。
北海道と本州とは、気候風土が違うので、どうやら歴史の時代区分も違うということだ。
北海道では、縄文時代の後、続縄文時代、擦文時代と続く。
アイヌ文化がさらにその後に続くことになる。
歴史は嫌いではないが、個人名が出てきて、いわゆる歴史上の英雄や叡智の人が活躍する時代は楽しく、興味がつきない。だがそれ以前のまだ個人の名前が出てこない時代というのは、退屈になってしまう。
遺跡から出てくる土器や様々な出土品を通じて、その時代の人を見るということは、たくましい想像力と深い知識がないと、興味を持つという段階に入れないのだろう。
”ところ遺跡の館”は、展示館なので、関係者の方が常駐しておられる。
森の中に立っている。入口には、開館中の札をつっている。札がないと、閉館しているのかと思われるくらいの静けさだ。
中に入る。
展示を見て回る。
この時代には詳しくないのだが、歴史の線表を見ているのは楽しい。
たまたま地元の人が子供を連れて入って来た。小学生の低学年の男の子を連れた若い奥さんである。
地元の遠い歴史を勉強するために来たのだろうか。熱心である。


”ところ遺跡の館”を出て、擦文の村へ入っていく。
中には、竪穴住居を再現した展示がある。
その住居のなかにも入ることができる。
人影は全く見えない。
突然人の気配がして、驚いて振り返ると、ここを管理をしている清掃の人だった。
手にほうきを持っているのと、作業服のような服装で、それが分かる。
森の中は静かだ。
さらに奧に行くと縄文の村があったのだが、すこし遠いことと、時間を考えて、引き返した。
縄文文化に熱心な方を思い出す。
きっとその方と一緒だったら、入っていっただろうなと考えたりする。
こういうときは、一人は気楽だ。
僕自身のこの時代に対する知識が浅いこと、興味が少ないことが、僕の足を先に進ませなかったのである。
さぁ、そろそろお昼を食べて、次は網走だ。



北見までは関西からだと飛行機になる。というか、関西以外からでも列車で行く人は、北海道の人くらいだろう。
空港は女満別(めまんべつ)空港という。北見は北海道の東部にあるが、女満別空港はさらに東側、より海岸に近くなる。
北見からの移動には、レンタカーを借りることにした。
一人で走ったのであるが、時間も十分あった。8時ごろに北見を出発。飛行機の出発時間は午後の遅い時間。
半日のドライブだったが、 きままに走ることにした。
北向きに進路を取る。能取(のとろ)湖に向かう。
市街地を出ると、視界がとたんに広くなる。
人家はあるが、周りの広さのなかで、圧倒的に自然の占める割合が大きくなる。
見渡す限りの畑と草原が広がっている感じだ。
車も少なく、走っているだけで気持ちがいい。
ラジオもつけず、音は風だけ。自然の中を走る。


能取湖に到着。
湖の際に駐車場がある。
駐車場には車も止まっていない。海のような湖が広がる。


さらに西に進み、サロマ湖に着く。
北緯44度07分とある。日本国内では僕自身が到達した最北端の地になるのは間違いない。
普段、自分がいる場所の緯度は気にしたことがない。
経度であれば、明石が東経135度の日本の標準時子午線の場所にあることを知識としては知っているが、と言っても、明石に行くたびに、それを意識するわけではない。
改めてサロマ湖の標識に書いてある緯度を見て、それほど北のほうに来たのかということを再認識する。
サロマ湖も雄大である。
波は立たないが、こちらも海のような大きな湖である。
時期は9月の下旬で、天気もよく、ぶらりとまわるには絶好の季節だった。




サロマ湖の近くに“ところ遺跡の森”があり、入っていく。
ここも人はほとんどいない。
”ところ遺跡の館”がある
久しぶりに歴史の勉強をした。
古代の歴史というと縄文と弥生しか知らないのであるが、それ以外に擦文(さつぶん)時代というのがあることを初めて知る。本州では奈良、平安、鎌倉時代に相当するらしい。縄文は1万年以上前の時代であるので、縄文とは遠く離れた時代である。
時代の流れの速さが、当然現代とは、比べものにならないくらい、遅い。
北海道と本州とは、気候風土が違うので、どうやら歴史の時代区分も違うということだ。
北海道では、縄文時代の後、続縄文時代、擦文時代と続く。
アイヌ文化がさらにその後に続くことになる。
歴史は嫌いではないが、個人名が出てきて、いわゆる歴史上の英雄や叡智の人が活躍する時代は楽しく、興味がつきない。だがそれ以前のまだ個人の名前が出てこない時代というのは、退屈になってしまう。
遺跡から出てくる土器や様々な出土品を通じて、その時代の人を見るということは、たくましい想像力と深い知識がないと、興味を持つという段階に入れないのだろう。
”ところ遺跡の館”は、展示館なので、関係者の方が常駐しておられる。
森の中に立っている。入口には、開館中の札をつっている。札がないと、閉館しているのかと思われるくらいの静けさだ。
中に入る。
展示を見て回る。
この時代には詳しくないのだが、歴史の線表を見ているのは楽しい。
たまたま地元の人が子供を連れて入って来た。小学生の低学年の男の子を連れた若い奥さんである。
地元の遠い歴史を勉強するために来たのだろうか。熱心である。


”ところ遺跡の館”を出て、擦文の村へ入っていく。
中には、竪穴住居を再現した展示がある。
その住居のなかにも入ることができる。
人影は全く見えない。
突然人の気配がして、驚いて振り返ると、ここを管理をしている清掃の人だった。
手にほうきを持っているのと、作業服のような服装で、それが分かる。
森の中は静かだ。
さらに奧に行くと縄文の村があったのだが、すこし遠いことと、時間を考えて、引き返した。
縄文文化に熱心な方を思い出す。
きっとその方と一緒だったら、入っていっただろうなと考えたりする。
こういうときは、一人は気楽だ。
僕自身のこの時代に対する知識が浅いこと、興味が少ないことが、僕の足を先に進ませなかったのである。
さぁ、そろそろお昼を食べて、次は網走だ。


