子供のときの鮮烈な記憶
- 2016/01/03
- 00:00
女性の体へ興味を持つというのは、男性としては当然のことだ。
それがいくつくらいから始まるのか、と問われると、それは人それぞれ異なる。
なにも機会がなければ、随分奥手の奴もいるだろう。
早くから異性の体を見る機会があれば、平均以上に早くなることもあるだろう。
僕の記憶では、小学校4年生のときに、同級生の友人の家に遊びに行ったときがそれにあたるかもしれない。
その友人はクラスでも一番成績の良い男の子だった。
ちょうど僕が友人の家に行ったとき、両親は不在だった。父親は、サラリーマンだったので、昼間の時間に家に居ないのは当たり前だが、母親は学校行事で出かけていたのだ。
一人っ子の友人の家で、僕と友人の二人だけだ。
ひとしきり友人と遊んだ後だった。
その頃は、パソコンもなければ、ゲーム機もない時代だ。
家の中での遊びというと、トランプやゲーム盤になる。
友人が面白いものを見せてあげると言った。
なにを見せてもらえるか、全く想像はつかなかったが、友人は、父親が趣味で絵を描いているという。
絵と言っても、油絵だったのか、水彩画だったのか、覚えていないが、父親のデッサン帳を見せてくれるというのだ。
友人が、いつもと違う笑いを見せながら、隣の部屋に僕を誘い入れた。
妙ににやにやした大人びた笑いだ。
デッサン帳は、本棚のなかにしまってあった。
それを出してきて、広げて見せてくれる。
そこには女性モデルの全裸が描かれていたのだ。
絵の練習のためのデッサンであるので、いやらしさは、もちろんないのだが、なにものにも隠されることのない女性のヌードがそこに描かれていた。
僕にとっては、初めての経験だった。
現在のようにどこにでも女性の肌が露出されている時代ではない。
とても新鮮で衝撃的だったことを覚えている。
今でもそのときのことを記憶している。
それだけでも、僕にとっては強烈な印象を与えるものだったことが分かる。
その後も、その友人とは何度も家を行き来して、遊んでいた。
でもそのデッサン帳を見たのは、そのとき一回限りだった。
きっと当時の少年には、他の遊びのほうが、楽しかったのだ。

それがいくつくらいから始まるのか、と問われると、それは人それぞれ異なる。
なにも機会がなければ、随分奥手の奴もいるだろう。
早くから異性の体を見る機会があれば、平均以上に早くなることもあるだろう。
僕の記憶では、小学校4年生のときに、同級生の友人の家に遊びに行ったときがそれにあたるかもしれない。
その友人はクラスでも一番成績の良い男の子だった。
ちょうど僕が友人の家に行ったとき、両親は不在だった。父親は、サラリーマンだったので、昼間の時間に家に居ないのは当たり前だが、母親は学校行事で出かけていたのだ。
一人っ子の友人の家で、僕と友人の二人だけだ。
ひとしきり友人と遊んだ後だった。
その頃は、パソコンもなければ、ゲーム機もない時代だ。
家の中での遊びというと、トランプやゲーム盤になる。
友人が面白いものを見せてあげると言った。
なにを見せてもらえるか、全く想像はつかなかったが、友人は、父親が趣味で絵を描いているという。
絵と言っても、油絵だったのか、水彩画だったのか、覚えていないが、父親のデッサン帳を見せてくれるというのだ。
友人が、いつもと違う笑いを見せながら、隣の部屋に僕を誘い入れた。
妙ににやにやした大人びた笑いだ。
デッサン帳は、本棚のなかにしまってあった。
それを出してきて、広げて見せてくれる。
そこには女性モデルの全裸が描かれていたのだ。
絵の練習のためのデッサンであるので、いやらしさは、もちろんないのだが、なにものにも隠されることのない女性のヌードがそこに描かれていた。
僕にとっては、初めての経験だった。
現在のようにどこにでも女性の肌が露出されている時代ではない。
とても新鮮で衝撃的だったことを覚えている。
今でもそのときのことを記憶している。
それだけでも、僕にとっては強烈な印象を与えるものだったことが分かる。
その後も、その友人とは何度も家を行き来して、遊んでいた。
でもそのデッサン帳を見たのは、そのとき一回限りだった。
きっと当時の少年には、他の遊びのほうが、楽しかったのだ。
