的を得る?
- 2016/01/06
- 00:00
刑事物のドラマの中のシーンだ。
真犯人が、誰かになりすましている。
刑事があることを思い出して、真犯人が分かるというくだりがある。
そのあることとは、真犯人が話した言葉である。
“的を得る”という言葉だ。
刑事が、真犯人がなりすました男、そのときは覆面をしていて、顔が分からないのだが、そのなりすました男も“的を得る”という言葉を言っていたことを思い出す。
刑事はそのことから、二人ともが同じ間違った言い方をしていることに気づき、二人を同一人物ではないかと推理するのだ。
“的を得る”という言葉は正しくは、”的を射る“ということをドラマの中では話していたが、あまり使う場面に出くわしたことがないので、僕自身が、どちらを使っていたか、記憶がはっきりしていない。
“的を射る”という言い方が正しいのか、調べてみることにした。
調べてみると、面白いことに、ある時期、”的を得る”という言い方が間違いで、”的を射る”というのが正しい言い方であると、ある辞書に書いてあったという。
ところが、その後、その辞書に、実はそれが間違いで、“的を得る”という言い方も正しいと言う訂正が書かれていたというではないか。
そのような経緯があったことは全く知らなかったのだが、辞書に書いてあれば、多くの人は、それが正しい説明だと思うだろう。
僕の見たドラマの作者もそのときの情報だけを使って書いたのであろうが、”的を得る“というのは間違いであることは、すでに否定されていたのである。
正しい言い方が、時間とともに初めは間違った言い方と言われていたものが、世の中でより多く使われていくうちに、優位性を失うだけではなく、間違った言い方が市民権を得てしまうようなこともよくある話だ。
そのことは、以前、調べたのであるが、“的を得る”というのは、単にどちらが使われているかによって判断されたのではなく、出典があると思っていた。
ところが、どうもそういう語源にあたるものもないようだ。
言葉というのは、常に変化して行くというのが正しい見方かもしれない。

真犯人が、誰かになりすましている。
刑事があることを思い出して、真犯人が分かるというくだりがある。
そのあることとは、真犯人が話した言葉である。
“的を得る”という言葉だ。
刑事が、真犯人がなりすました男、そのときは覆面をしていて、顔が分からないのだが、そのなりすました男も“的を得る”という言葉を言っていたことを思い出す。
刑事はそのことから、二人ともが同じ間違った言い方をしていることに気づき、二人を同一人物ではないかと推理するのだ。
“的を得る”という言葉は正しくは、”的を射る“ということをドラマの中では話していたが、あまり使う場面に出くわしたことがないので、僕自身が、どちらを使っていたか、記憶がはっきりしていない。
“的を射る”という言い方が正しいのか、調べてみることにした。
調べてみると、面白いことに、ある時期、”的を得る”という言い方が間違いで、”的を射る”というのが正しい言い方であると、ある辞書に書いてあったという。
ところが、その後、その辞書に、実はそれが間違いで、“的を得る”という言い方も正しいと言う訂正が書かれていたというではないか。
そのような経緯があったことは全く知らなかったのだが、辞書に書いてあれば、多くの人は、それが正しい説明だと思うだろう。
僕の見たドラマの作者もそのときの情報だけを使って書いたのであろうが、”的を得る“というのは間違いであることは、すでに否定されていたのである。
正しい言い方が、時間とともに初めは間違った言い方と言われていたものが、世の中でより多く使われていくうちに、優位性を失うだけではなく、間違った言い方が市民権を得てしまうようなこともよくある話だ。
そのことは、以前、調べたのであるが、“的を得る”というのは、単にどちらが使われているかによって判断されたのではなく、出典があると思っていた。
ところが、どうもそういう語源にあたるものもないようだ。
言葉というのは、常に変化して行くというのが正しい見方かもしれない。
