長い間の思い違い
- 2015/02/01
- 00:01
長い間思い違いをしていることはよくあることだ。
以前ブログにも書いた”上意下達“の正しい読み方とかも、それにあたるかもしれない。
“未来予想図Ⅱ“の歌詞のなかに、以下のくだりがある。
きっと何年たっても こうしてかわらぬ気持ちで
過ごしてゆけるのね あなたとだから
ずっと心に描く 未来予想図は
ほら 思ったとおりに かなえられてく
ここの最後の行。
思ったとおり というところが、カラオケの画面の歌詞では、思ったとうり と書かれていることがある。
歌っている途中で、思わず、“あっ、間違えている”と歌うのを忘れて、画面に突っ込んでしまう。そのときは、横にいる同僚から“そんなことはどうでもええ。ちゃんと歌わんかい”とつっこみがえし(?)にあう。
このとおりというのは、漢字で書くと、“通り”である。
それを教えられたのは、仕事を始めてから10年以上経ってからだった。
20代の若い,小生意気な女性秘書から、それを指摘された。
この”通り“は、ビジネス文書や、仕事でのメールでもよく使う言葉であり、今思えば、よくぞ、指摘していただいてありがとう、というのが正しい反応であるが、当時は、素直にお礼が言えなかった。
若いのである。
ただ、この通りは、当時の僕よりももっと年齢を重ねた人が、仕事で間違った使い方をしているのは、今でもよく目にする。
このようなよくある間違いというのは、他にもいろいろある。
享年という言葉の使い方で、80歳で亡くなられた方を、享年80歳と書くのは間違いで、享年80が正しい。
年賀状でも、上司には”迎春“ではなく、”謹賀新年“や”恭賀新年“を使うのが正しいとか、”新年明けましておめでとうございます“は、正しい使い方でないとか、例をあげるときりがない。
これらのよくある間違いは、説明を聞くと、なるほどそうなのかと納得できるものである。
以前、ある機内誌で読んだ記事のなかで、その記事を書いている作家が、長い間勘違いをしていたことを文章にしていた。その内容は、中国の古い漢詩を調べていくうちに間違いに気がついたというようなものだった。
それを読んでも、なるほどそういうことか、と理解することが全くできなかった。
さすがに高名な作家となると、間違いのレベルがこうも違うのかと、へんなところで関心したものである。
その記事は、たまたま出張で乗った飛行機の中の機内誌に掲載されていたもので、飛行機を降りるときに機内誌を持っておりれば、もう一度じっくりと読むこともできたのだが、それをしなかったのである。
機内誌は持って行ってもよいとあるので、全然問題ではなかったのに、それをしなかった。
1年近く後になって、そのときのことが随分引っかかり始めた。
時間が経っていたので、いつ乗った便なのかも定かでなくなっていた。
JALかANAのいずれかであったが、機内誌を手に入れようと考えたのである。
調べると機内誌のバックナンバーは、ANAは入手する手立てが見つからず、JALであれば注文することができた。
機内誌は月刊号であるので、自分が乗ったと思われる月の機内誌をJALに連絡して、自宅へ送ってもらった。
当時JALには作家の浅田次郎さんのエッセイが連載されていて、内容としては、そこに載っていてもおかしくないものだったが、届いた機内誌には、僕の探している記事はなかった。
今調べると、そのときの浅田次郎さんのエッセイ集が”つばさよつばさ”という名前で文庫本で出版されている。
あれからまた随分時間が経ったのであるが、またまた気になり始めている。
もう一度探してみようと思う。
まずは”つばさよつばさ”をもう一度調べなおそう。
飛行機の中から撮った富士山。これは先輩にいただいた。
ちょっと分かりにくいけど。

以前ブログにも書いた”上意下達“の正しい読み方とかも、それにあたるかもしれない。
“未来予想図Ⅱ“の歌詞のなかに、以下のくだりがある。
きっと何年たっても こうしてかわらぬ気持ちで
過ごしてゆけるのね あなたとだから
ずっと心に描く 未来予想図は
ほら 思ったとおりに かなえられてく
ここの最後の行。
思ったとおり というところが、カラオケの画面の歌詞では、思ったとうり と書かれていることがある。
歌っている途中で、思わず、“あっ、間違えている”と歌うのを忘れて、画面に突っ込んでしまう。そのときは、横にいる同僚から“そんなことはどうでもええ。ちゃんと歌わんかい”とつっこみがえし(?)にあう。
このとおりというのは、漢字で書くと、“通り”である。
それを教えられたのは、仕事を始めてから10年以上経ってからだった。
20代の若い,小生意気な女性秘書から、それを指摘された。
この”通り“は、ビジネス文書や、仕事でのメールでもよく使う言葉であり、今思えば、よくぞ、指摘していただいてありがとう、というのが正しい反応であるが、当時は、素直にお礼が言えなかった。
若いのである。
ただ、この通りは、当時の僕よりももっと年齢を重ねた人が、仕事で間違った使い方をしているのは、今でもよく目にする。
このようなよくある間違いというのは、他にもいろいろある。
享年という言葉の使い方で、80歳で亡くなられた方を、享年80歳と書くのは間違いで、享年80が正しい。
年賀状でも、上司には”迎春“ではなく、”謹賀新年“や”恭賀新年“を使うのが正しいとか、”新年明けましておめでとうございます“は、正しい使い方でないとか、例をあげるときりがない。
これらのよくある間違いは、説明を聞くと、なるほどそうなのかと納得できるものである。
以前、ある機内誌で読んだ記事のなかで、その記事を書いている作家が、長い間勘違いをしていたことを文章にしていた。その内容は、中国の古い漢詩を調べていくうちに間違いに気がついたというようなものだった。
それを読んでも、なるほどそういうことか、と理解することが全くできなかった。
さすがに高名な作家となると、間違いのレベルがこうも違うのかと、へんなところで関心したものである。
その記事は、たまたま出張で乗った飛行機の中の機内誌に掲載されていたもので、飛行機を降りるときに機内誌を持っておりれば、もう一度じっくりと読むこともできたのだが、それをしなかったのである。
機内誌は持って行ってもよいとあるので、全然問題ではなかったのに、それをしなかった。
1年近く後になって、そのときのことが随分引っかかり始めた。
時間が経っていたので、いつ乗った便なのかも定かでなくなっていた。
JALかANAのいずれかであったが、機内誌を手に入れようと考えたのである。
調べると機内誌のバックナンバーは、ANAは入手する手立てが見つからず、JALであれば注文することができた。
機内誌は月刊号であるので、自分が乗ったと思われる月の機内誌をJALに連絡して、自宅へ送ってもらった。
当時JALには作家の浅田次郎さんのエッセイが連載されていて、内容としては、そこに載っていてもおかしくないものだったが、届いた機内誌には、僕の探している記事はなかった。
今調べると、そのときの浅田次郎さんのエッセイ集が”つばさよつばさ”という名前で文庫本で出版されている。
あれからまた随分時間が経ったのであるが、またまた気になり始めている。
もう一度探してみようと思う。
まずは”つばさよつばさ”をもう一度調べなおそう。
飛行機の中から撮った富士山。これは先輩にいただいた。
ちょっと分かりにくいけど。
