出てこないこと
- 2016/01/13
- 00:00
ブログには、面白い話をたくさん書きたいと思っているのだが、なかなかそれは簡単なことではない。
話して面白い話と文章に書いたときに面白い話というのは、どうも違うようだ。
漫才のネタのような話は、話しているのを聞くと面白いが、文章にしてしまうと全然面白くない、ということはよくあることだ。
そもそもそれほど面白い話が毎日毎日出てくるということがないのだ。
テレビやラジオで聞いた話がヒントになることもあるが、たいていは、自分の周りで起こったことのほうがリアルで、文章に書いていても面白い。
過去に起こった出来事を思い出しながら、書くことも多い。
思い出したときは、すぐに何かにメモするようにしている。
面白い話というのは、軽い話が多く、時間が経つと記憶から消えてしまう。
しばらくするとまた脳裏に戻ってくることもあるが、またしばらくすると思い出せなくなる。
要は、出てこないのだ。
それ自身はなにかに紐付いているので、その紐付いている元の話が出てこないと、その先にある話も出てこないのである。
実は今、そういう状態にある。
思い出した話が、記憶の水のなかで上下動している。
あるときは、水面近くまで浮いてきて、はっきりと思い出す。
ところが、そのときにメモしていないと、再びその話は、記憶の湖の底深くに沈んで行ってしまうのだ。
面白い話は、自分の周りに起こった出来事から書くこともあるが、僕の友人から仕入れた話も結構ある。
中学、高校同期のI君から聞いた話は、何度か書いている。
今年のI君の年賀状には、面白い話があったら、また話す、と書いてあった。
こういうネタを提供できる人というのは、僕と波長が合っているのだと思う。
悲しい話を見たり聞いたりして、一緒に悲しむということは簡単だが、同じ話を見たり聞いたりして、一緒に笑えるというのは、誰にでも共通するものではないという。
笑いの感性というのが人によって違うのだろう。
そろそろ記憶の湖を覗き込んで、あの忘れた話を引き上げよう。

話して面白い話と文章に書いたときに面白い話というのは、どうも違うようだ。
漫才のネタのような話は、話しているのを聞くと面白いが、文章にしてしまうと全然面白くない、ということはよくあることだ。
そもそもそれほど面白い話が毎日毎日出てくるということがないのだ。
テレビやラジオで聞いた話がヒントになることもあるが、たいていは、自分の周りで起こったことのほうがリアルで、文章に書いていても面白い。
過去に起こった出来事を思い出しながら、書くことも多い。
思い出したときは、すぐに何かにメモするようにしている。
面白い話というのは、軽い話が多く、時間が経つと記憶から消えてしまう。
しばらくするとまた脳裏に戻ってくることもあるが、またしばらくすると思い出せなくなる。
要は、出てこないのだ。
それ自身はなにかに紐付いているので、その紐付いている元の話が出てこないと、その先にある話も出てこないのである。
実は今、そういう状態にある。
思い出した話が、記憶の水のなかで上下動している。
あるときは、水面近くまで浮いてきて、はっきりと思い出す。
ところが、そのときにメモしていないと、再びその話は、記憶の湖の底深くに沈んで行ってしまうのだ。
面白い話は、自分の周りに起こった出来事から書くこともあるが、僕の友人から仕入れた話も結構ある。
中学、高校同期のI君から聞いた話は、何度か書いている。
今年のI君の年賀状には、面白い話があったら、また話す、と書いてあった。
こういうネタを提供できる人というのは、僕と波長が合っているのだと思う。
悲しい話を見たり聞いたりして、一緒に悲しむということは簡単だが、同じ話を見たり聞いたりして、一緒に笑えるというのは、誰にでも共通するものではないという。
笑いの感性というのが人によって違うのだろう。
そろそろ記憶の湖を覗き込んで、あの忘れた話を引き上げよう。
