How the West was won
- 2015/02/03
- 00:01
「西部開拓史」という映画を見たのは、英語を習い始めたころなので、中学生に入ったときだ。その頃は、映画を見に行くというのは、おでかけのひとつである。中学生と言っても、まだまだ子供であり、一人で行くには早かったので、ちょうど僕の家に来ていた従兄弟と一緒に行くことになった。
従兄弟は僕よりも3歳上で、高校生になっていた。勉強もよくできた、3人の男兄弟の末弟であった。今はすでにリタイアしているが、お母さんの面倒を見ているのは、彼だ。
梅田のロードショウの封切り映画館に行った。
ちょうど中学生くらいの男の子には、兄に憧れるところがある。
僕には兄がいなかったので、たまにしか会わないのだが、年上の従兄弟を自然と慕っていたところがあった。
彼が一番僕に年齢は近かった。
英語の映画を見るときは、字幕を読むわけであるが、ちょうど英語を習い始めた頃で、洋画を見ることは、うきうきするようなところがあった。
そういう彼と一緒に映画を見に行くことは、僕にとっての、いつもの楽しい時間とも、違う特別の時間だった。
映画の原題は、「How the West was won」である。短い英語であるが、直訳しても、英語を習ってまだ数ヶ月の僕には,読めない単語がある。文法的にも理解できていない。
従兄弟は英語も得意であることを両親から聞いていたので、「won は、どういう意味?」と従兄弟に聞いた。
その質問を受けて彼は、しばらく考えていた。答えは彼の頭の中では、すぐに出ていたのだが、英語の知識が少ない中学1年生に、どのように説明すればいいのだろうかと、彼なりに考えていたのだ。
wonは、winという動詞の過去分詞であるという説明をしてくれた。過去分詞と言っても、僕に分かる訳がない。この文章が受動態を使った文章であること、受動態とはどういうものかを説明しないといけないのだが、それをするのは、中学1年生には難しすぎると、彼は短時間のうちに考えたに違いない。
そういうやりとりは、今でも覚えているくらいなので、僕がその後、英語を勉強していくなかで、受動態を知ったとき、それは2年後くらいだったはずだが、そのときには、彼がどのように説明すればよいのか、考えていたことも、思い出していた。
映画のストーリーは、実はほとんど覚えていない。西部開拓時代のまさに西部劇で、原住民であるインディアンともぶつかりながら、白人が西へ西へと進んでいく。そのなかで恋愛もあり、西部劇の戦闘シーンもあるという内容だ。
今は、簡単にネットで検索すれば、映画の内容、出演していた俳優や全ての情報が瞬時に分かる。
今、ストーリーを読み直して、まさに「西部開拓史」という題名がふさわしいものであることが分かった。その部分の記憶は全部飛んでいたのである。
従兄弟との原題に関する、英語のやりとり以外に、覚えていることがある。それはその映画の中で流れていた曲だ。「グリーンスリーブズ(Green Sleeves)」というきれいなメロディの歌である。
この曲を当時は、映画のために作られたものだと思っていた。
当時は映画の主題歌がよくはやっていた時代である。映画の中の歌を、映画のために作られた曲と勘違いしても、おかしくない。
それがイギリスに古くからある歌であることを、僕に教えてくれたのは、中学の美術の先生である。なぜ音楽の先生ではなく、美術の先生だったか、考えてみれば不思議である。そのシーンだけを今でも思い出す。
教室で友人と僕が話をしている。そのなかで「グリーンスリーブズ」の話題がでた。そのときたまたま近くにいた美術の先生が,友人と僕の会話の中に入ってきたのである。その先生は、30代の若い先生だった。
それは、映画を見てから2年後くらいのことだったと思う。真実を知るまでに2年間を要している。
当時の時間の進み方が、やはり今と比べると、随分遅いということだろう。
ただ、ゆったりと時が流れることで、その分、人の気持ちも穏やかだったのかもしれない。
そのときは、そのまっただなかでは、それなりにあくせくと走り回っていたかもしれないが、今から振り返ると、のんびりしていたと思ってしまう。
たまにはそういうゆったりと時間が流れる場に自分を置くことも必要なのだろう。
これは映画とは全く関係のない、東北の風景。
ゆったりとしている場所。

従兄弟は僕よりも3歳上で、高校生になっていた。勉強もよくできた、3人の男兄弟の末弟であった。今はすでにリタイアしているが、お母さんの面倒を見ているのは、彼だ。
梅田のロードショウの封切り映画館に行った。
ちょうど中学生くらいの男の子には、兄に憧れるところがある。
僕には兄がいなかったので、たまにしか会わないのだが、年上の従兄弟を自然と慕っていたところがあった。
彼が一番僕に年齢は近かった。
英語の映画を見るときは、字幕を読むわけであるが、ちょうど英語を習い始めた頃で、洋画を見ることは、うきうきするようなところがあった。
そういう彼と一緒に映画を見に行くことは、僕にとっての、いつもの楽しい時間とも、違う特別の時間だった。
映画の原題は、「How the West was won」である。短い英語であるが、直訳しても、英語を習ってまだ数ヶ月の僕には,読めない単語がある。文法的にも理解できていない。
従兄弟は英語も得意であることを両親から聞いていたので、「won は、どういう意味?」と従兄弟に聞いた。
その質問を受けて彼は、しばらく考えていた。答えは彼の頭の中では、すぐに出ていたのだが、英語の知識が少ない中学1年生に、どのように説明すればいいのだろうかと、彼なりに考えていたのだ。
wonは、winという動詞の過去分詞であるという説明をしてくれた。過去分詞と言っても、僕に分かる訳がない。この文章が受動態を使った文章であること、受動態とはどういうものかを説明しないといけないのだが、それをするのは、中学1年生には難しすぎると、彼は短時間のうちに考えたに違いない。
そういうやりとりは、今でも覚えているくらいなので、僕がその後、英語を勉強していくなかで、受動態を知ったとき、それは2年後くらいだったはずだが、そのときには、彼がどのように説明すればよいのか、考えていたことも、思い出していた。
映画のストーリーは、実はほとんど覚えていない。西部開拓時代のまさに西部劇で、原住民であるインディアンともぶつかりながら、白人が西へ西へと進んでいく。そのなかで恋愛もあり、西部劇の戦闘シーンもあるという内容だ。
今は、簡単にネットで検索すれば、映画の内容、出演していた俳優や全ての情報が瞬時に分かる。
今、ストーリーを読み直して、まさに「西部開拓史」という題名がふさわしいものであることが分かった。その部分の記憶は全部飛んでいたのである。
従兄弟との原題に関する、英語のやりとり以外に、覚えていることがある。それはその映画の中で流れていた曲だ。「グリーンスリーブズ(Green Sleeves)」というきれいなメロディの歌である。
この曲を当時は、映画のために作られたものだと思っていた。
当時は映画の主題歌がよくはやっていた時代である。映画の中の歌を、映画のために作られた曲と勘違いしても、おかしくない。
それがイギリスに古くからある歌であることを、僕に教えてくれたのは、中学の美術の先生である。なぜ音楽の先生ではなく、美術の先生だったか、考えてみれば不思議である。そのシーンだけを今でも思い出す。
教室で友人と僕が話をしている。そのなかで「グリーンスリーブズ」の話題がでた。そのときたまたま近くにいた美術の先生が,友人と僕の会話の中に入ってきたのである。その先生は、30代の若い先生だった。
それは、映画を見てから2年後くらいのことだったと思う。真実を知るまでに2年間を要している。
当時の時間の進み方が、やはり今と比べると、随分遅いということだろう。
ただ、ゆったりと時が流れることで、その分、人の気持ちも穏やかだったのかもしれない。
そのときは、そのまっただなかでは、それなりにあくせくと走り回っていたかもしれないが、今から振り返ると、のんびりしていたと思ってしまう。
たまにはそういうゆったりと時間が流れる場に自分を置くことも必要なのだろう。
これは映画とは全く関係のない、東北の風景。
ゆったりとしている場所。
