存在価値
- 2016/02/03
- 00:00
初めて会社に入り、仕事を始めた頃は、自分自身の能力には、全く自信がなかった。
当時は、学生時代に現場実習という形で企業のなかで仕事を体験する機会はあったのだが、不運なことというか、僕の年から,その実習が必修ではなく、選択になってしまった。
不真面目な学生だった僕は、これ幸いと実習を選択しなかった。
実習を体験しても企業の中での実際の仕事がどれほど分かるか、あやしいところではあるが、雰囲気は多少なりとも分かったかもしれない。
なにしろ当時の実習は1ヶ月間もあり、しかもそれは、夏休みの間に設定されていたのだ。
実習場所は選択できるので、北のほうにある涼しい場所が学生の人気ではあった。
そんな半分旅行気分の実習でも1ヶ月も現場にいれば、会社とはどういうものかが多少なりとも分かるだろう。
実習も経験していない僕は、初めて企業の門をくぐって、仕事を始める。
技術分野であるので、大学でやってきたことが使えるところはもちろんあるのだが、それも持ち合わせていない、ひよっこにとっては、どうやれば仕事ができるだろうかと、戸惑うところが多かった。
仕事について、指示がでる。
これをいつまでにやっておけ、という具合だ。
その仕事が、自分ひとりでできる場合は、うれしくなる。
これだったら、ひとりでできる。
その与えられた時間は、安心できる時だ。
頭で考えろ、頭で考えられない奴は、体で仕事をやれ、ということをよく言われた。
体には若い分だけ自信がある。
ここでは先輩にも負けないだろう。
体を使える仕事が来たときは、むしろ安心したくらいだ。
頭で考えて仕事をするには、とてもじゃないが、先輩と同等のことはできない。
今、思うと入社1年目、2年目というときは、自分がここにいて、それでもって給料をもらっていいのだろうかと考えることがしばしばあった。
要は、自分が役に立っているのだろうかということだ。
そのような考え方は、会社の仕事を続けるうちに、自然と消えていく。
それは消えるというより、もう一段と前に進んだところに入るのだろう。
どうやれば今、目の前にある仕事をうまくやることができるだろうか、という事を考えるようになる。
前向きに仕事に取り組んでいく。
入社2年目くらいまでのことは、人によって考え方が随分と違うはずだ。
会社には席に座っていて、なんぼだ。できるできないなんて関係ないと考えるやつもいるだろう。
逆に自分が役に立つかどうかを悩むことなく、どんどん先に進んで行く、優秀なやつもいるだろう。
こんなことを今さら思い出したように書いたのには、訳がある。
最近、まわりで入社して数年以内に辞めていく人が結構いるのだ。
理由を聞くと、いろいろある。
ただ、その理由を聞いて、よく考えてみると、根本にある理由は同じように思うのだ。
結局は、自分自身がここにいて役に立っているかどうか、認められているかどうかだということだ。
このことは、入社数年間の話だけではなく、永遠についてまわることかもしれないが、特に若いときは、経験が少なく、あまり業績が上がらないときは、自分自身がここにいても居づらいとか、認めてもらっていないと思い込むことになる。
その結果、なにか別のもっともらしい理由を言って、辞めていく。
そのように思う。
若い人には、自分が認められている状況を出来るだけ早くまわりが作ってあげないといけないということだ。
それは僕の若いときの経験からきている。
若いときにどのような形でまわりの人が助けてくれたかを思い出してみる。
僕も若い人には、自分がまわりの人からされたように、手をさしのべるようにしなければと思う。

当時は、学生時代に現場実習という形で企業のなかで仕事を体験する機会はあったのだが、不運なことというか、僕の年から,その実習が必修ではなく、選択になってしまった。
不真面目な学生だった僕は、これ幸いと実習を選択しなかった。
実習を体験しても企業の中での実際の仕事がどれほど分かるか、あやしいところではあるが、雰囲気は多少なりとも分かったかもしれない。
なにしろ当時の実習は1ヶ月間もあり、しかもそれは、夏休みの間に設定されていたのだ。
実習場所は選択できるので、北のほうにある涼しい場所が学生の人気ではあった。
そんな半分旅行気分の実習でも1ヶ月も現場にいれば、会社とはどういうものかが多少なりとも分かるだろう。
実習も経験していない僕は、初めて企業の門をくぐって、仕事を始める。
技術分野であるので、大学でやってきたことが使えるところはもちろんあるのだが、それも持ち合わせていない、ひよっこにとっては、どうやれば仕事ができるだろうかと、戸惑うところが多かった。
仕事について、指示がでる。
これをいつまでにやっておけ、という具合だ。
その仕事が、自分ひとりでできる場合は、うれしくなる。
これだったら、ひとりでできる。
その与えられた時間は、安心できる時だ。
頭で考えろ、頭で考えられない奴は、体で仕事をやれ、ということをよく言われた。
体には若い分だけ自信がある。
ここでは先輩にも負けないだろう。
体を使える仕事が来たときは、むしろ安心したくらいだ。
頭で考えて仕事をするには、とてもじゃないが、先輩と同等のことはできない。
今、思うと入社1年目、2年目というときは、自分がここにいて、それでもって給料をもらっていいのだろうかと考えることがしばしばあった。
要は、自分が役に立っているのだろうかということだ。
そのような考え方は、会社の仕事を続けるうちに、自然と消えていく。
それは消えるというより、もう一段と前に進んだところに入るのだろう。
どうやれば今、目の前にある仕事をうまくやることができるだろうか、という事を考えるようになる。
前向きに仕事に取り組んでいく。
入社2年目くらいまでのことは、人によって考え方が随分と違うはずだ。
会社には席に座っていて、なんぼだ。できるできないなんて関係ないと考えるやつもいるだろう。
逆に自分が役に立つかどうかを悩むことなく、どんどん先に進んで行く、優秀なやつもいるだろう。
こんなことを今さら思い出したように書いたのには、訳がある。
最近、まわりで入社して数年以内に辞めていく人が結構いるのだ。
理由を聞くと、いろいろある。
ただ、その理由を聞いて、よく考えてみると、根本にある理由は同じように思うのだ。
結局は、自分自身がここにいて役に立っているかどうか、認められているかどうかだということだ。
このことは、入社数年間の話だけではなく、永遠についてまわることかもしれないが、特に若いときは、経験が少なく、あまり業績が上がらないときは、自分自身がここにいても居づらいとか、認めてもらっていないと思い込むことになる。
その結果、なにか別のもっともらしい理由を言って、辞めていく。
そのように思う。
若い人には、自分が認められている状況を出来るだけ早くまわりが作ってあげないといけないということだ。
それは僕の若いときの経験からきている。
若いときにどのような形でまわりの人が助けてくれたかを思い出してみる。
僕も若い人には、自分がまわりの人からされたように、手をさしのべるようにしなければと思う。
