京都へ
- 2016/02/19
- 00:00
ひさしぶりに京都へ行く。
行先は京都大学である。
WEBを見ていると、総長のメッセージが載っている。
”英語は習熟する必要はあるが、たかが言葉だ。ツールの一つでしかない。
重要なのは、大学4年間で考える力をしっかり身につけることだ。
それには日本語で考えるのが一番だ。”
たしかに英語はツールであることには違いない。
英語を流暢にあやつることができても、それは所詮、インターフェイスに過ぎない。
だが、外資系で仕事をしてきた経験から考えると、海外とのやりとりは基本的に英語になる。
日本人にとって、英語の能力の点では、ネイティブスピーカーには、圧倒的に不利である。
発信しているメッセージでは、明らかに日本人のほうが優れていても、英語の能力が劣っているために、不利な経験をすることがある。
当たり前の取るに足りないことであっても、英語で発信していることだけで、高く評価されることがある。
英語が母国語であることだけで、内容はたいしたことがなくても、評価される、その意見が通ることが多い。
日本国内で、閉じているビジネスでは、英語なんて関係ないのだが、一歩日本を出ると英語の壁が大きな障害となる。
これからの日本を考えると、国際化への対応が必須だ。
それには、英語で考えられる、日本語と同じレベルで英語でも考えられることが必要である。
今の学生は、日本語でも自分で考えることができない。
まずは、日本語でも自分の頭で考えなさいということなのか。
そんなこともできない学生がいることが信じられない。
それはあまりにも寂しすぎることだ。
京大生へのメッセージの真意がそこにあるのなら、暗澹たる気持ちになってしまう。

行先は京都大学である。
WEBを見ていると、総長のメッセージが載っている。
”英語は習熟する必要はあるが、たかが言葉だ。ツールの一つでしかない。
重要なのは、大学4年間で考える力をしっかり身につけることだ。
それには日本語で考えるのが一番だ。”
たしかに英語はツールであることには違いない。
英語を流暢にあやつることができても、それは所詮、インターフェイスに過ぎない。
だが、外資系で仕事をしてきた経験から考えると、海外とのやりとりは基本的に英語になる。
日本人にとって、英語の能力の点では、ネイティブスピーカーには、圧倒的に不利である。
発信しているメッセージでは、明らかに日本人のほうが優れていても、英語の能力が劣っているために、不利な経験をすることがある。
当たり前の取るに足りないことであっても、英語で発信していることだけで、高く評価されることがある。
英語が母国語であることだけで、内容はたいしたことがなくても、評価される、その意見が通ることが多い。
日本国内で、閉じているビジネスでは、英語なんて関係ないのだが、一歩日本を出ると英語の壁が大きな障害となる。
これからの日本を考えると、国際化への対応が必須だ。
それには、英語で考えられる、日本語と同じレベルで英語でも考えられることが必要である。
今の学生は、日本語でも自分で考えることができない。
まずは、日本語でも自分の頭で考えなさいということなのか。
そんなこともできない学生がいることが信じられない。
それはあまりにも寂しすぎることだ。
京大生へのメッセージの真意がそこにあるのなら、暗澹たる気持ちになってしまう。
