E君のこと
- 2016/03/09
- 00:00
大学時代のクラスの同級生で、一番うまがあったのは、E君だ。
E君のことは、このブログでも何回か書いている。
試験のときの失敗談、古英語の試験で、机の中から辞書を出して見ていたら、担当の先生が背後から歩いてきて、“その辞書には載っていないぞ”と言われたこと。
専門課程に進んでからは、試験中に教室を抜け出して、実習室で一緒に抜け出した悪友と囲碁を打っていたこと。
およそまじめな学生とは程遠かったE君であった。
E君とは、就職も同じ造船会社だった。
くされ縁が就職してからも続いていたのだ。
ただ、就職してからは、E君は現場に配属され、僕は設計部門だった。
かなり離れた所属である。
だんだん疎遠になっていった。
僕が転職してからは、確か1回会ったきりだ。
そのとき、E君も転職して、ヨーロッパの企業の日本支社に勤めていた。
引き続き造船関係の仕事をしていた。
その1回だけ会ったときは、ちょうどE君が転職して、中途入社ではあるが、ヨーロッパに研修を受けに行き、帰国したころだった。
オートバイ好きなE君からドイツのアウトバーンを走ったときの話を聞いたことを覚えている。
学生のころは、随分破天荒なところがあったのだが、就職してから25年以上経つと、さすがにE君も丸くなっていた。
昔の面影がすっかりなくなり、妙におとなしく見えたのが寂しい気がした。
E君は、大学受験に現役では失敗したというが、その結果を聞いた夜は、くやしくて、ビールを36本飲んだという。
18歳のときだ。
酒が大好きだった。
結婚も早く、学生のころには、すでに長女が生まれていた。
転職してから会ったころには、孫がすでにできていた。
E君が丸くなったのは、そのせいもあるだろう。
最近来たクラス会の名簿には、E君の連絡先も当然書いてある。
驚いたのは、その住所が全く知らないところだったことだ。
もともと兵庫県の出身で、就職後は実家の近くに住んでいたはずだ。
それが最近の住所を見ると、九州は大分県になっている。
E君とは、年賀状のやりとりは卒業後数年でやめてしまっていた。
名簿には、メールアドレスも書かれている。
同窓会の出欠蘭は、僕と同じくブランクである。
僕の場合は、案内メールが届いていなかったので、出欠の返事のだしようがなかった。
E君はどうなのだろう。
メールアドレスは有効だったのだろうか。
メールを送って、近況を聞けば、すぐに状況が分かるだろう。
でも、なにかすぐには連絡を取りにくいような気がするのだ。
それは住所が変ったことも大きな理由である。
僕のこころのなかで、どこかで引っかかっているのだが、仕事モードでメールを送ることができない。
名前をGOOGLEで検索してみた。
姓と名の4文字を入力する。
するといくつかのWEBサイトがでてきた。
それは、E君が造船会社に在籍したときに、いくつかの論文を共著で書いていたのだが、その抄録であった。
いまごろになって、E君がまじめに仕事をしていたのだなぁと感慨深く思ったりする。
住所をGOOGLE MAPで検索してみた。
どうやら随分田舎のようだ。
住所にも大字という文字がある。
何丁目何番何号という表記ではない。
単に三桁の数字が並ぶ。
もちろんストリートビューはない。
懐かしいのだが、一歩先に進もうとしない、躊躇している自分自身がいる。
E君のことは、学生時代のことを思い出して、懐かしむだけなのだろうか。
もう会うこともないのかもしれない。
でもなにかの機会にもう一度ばったり出会ったら、おう!と言いあって、学生時代に戻っていくような気もするのだ。

E君のことは、このブログでも何回か書いている。
試験のときの失敗談、古英語の試験で、机の中から辞書を出して見ていたら、担当の先生が背後から歩いてきて、“その辞書には載っていないぞ”と言われたこと。
専門課程に進んでからは、試験中に教室を抜け出して、実習室で一緒に抜け出した悪友と囲碁を打っていたこと。
およそまじめな学生とは程遠かったE君であった。
E君とは、就職も同じ造船会社だった。
くされ縁が就職してからも続いていたのだ。
ただ、就職してからは、E君は現場に配属され、僕は設計部門だった。
かなり離れた所属である。
だんだん疎遠になっていった。
僕が転職してからは、確か1回会ったきりだ。
そのとき、E君も転職して、ヨーロッパの企業の日本支社に勤めていた。
引き続き造船関係の仕事をしていた。
その1回だけ会ったときは、ちょうどE君が転職して、中途入社ではあるが、ヨーロッパに研修を受けに行き、帰国したころだった。
オートバイ好きなE君からドイツのアウトバーンを走ったときの話を聞いたことを覚えている。
学生のころは、随分破天荒なところがあったのだが、就職してから25年以上経つと、さすがにE君も丸くなっていた。
昔の面影がすっかりなくなり、妙におとなしく見えたのが寂しい気がした。
E君は、大学受験に現役では失敗したというが、その結果を聞いた夜は、くやしくて、ビールを36本飲んだという。
18歳のときだ。
酒が大好きだった。
結婚も早く、学生のころには、すでに長女が生まれていた。
転職してから会ったころには、孫がすでにできていた。
E君が丸くなったのは、そのせいもあるだろう。
最近来たクラス会の名簿には、E君の連絡先も当然書いてある。
驚いたのは、その住所が全く知らないところだったことだ。
もともと兵庫県の出身で、就職後は実家の近くに住んでいたはずだ。
それが最近の住所を見ると、九州は大分県になっている。
E君とは、年賀状のやりとりは卒業後数年でやめてしまっていた。
名簿には、メールアドレスも書かれている。
同窓会の出欠蘭は、僕と同じくブランクである。
僕の場合は、案内メールが届いていなかったので、出欠の返事のだしようがなかった。
E君はどうなのだろう。
メールアドレスは有効だったのだろうか。
メールを送って、近況を聞けば、すぐに状況が分かるだろう。
でも、なにかすぐには連絡を取りにくいような気がするのだ。
それは住所が変ったことも大きな理由である。
僕のこころのなかで、どこかで引っかかっているのだが、仕事モードでメールを送ることができない。
名前をGOOGLEで検索してみた。
姓と名の4文字を入力する。
するといくつかのWEBサイトがでてきた。
それは、E君が造船会社に在籍したときに、いくつかの論文を共著で書いていたのだが、その抄録であった。
いまごろになって、E君がまじめに仕事をしていたのだなぁと感慨深く思ったりする。
住所をGOOGLE MAPで検索してみた。
どうやら随分田舎のようだ。
住所にも大字という文字がある。
何丁目何番何号という表記ではない。
単に三桁の数字が並ぶ。
もちろんストリートビューはない。
懐かしいのだが、一歩先に進もうとしない、躊躇している自分自身がいる。
E君のことは、学生時代のことを思い出して、懐かしむだけなのだろうか。
もう会うこともないのかもしれない。
でもなにかの機会にもう一度ばったり出会ったら、おう!と言いあって、学生時代に戻っていくような気もするのだ。
