3月11日
- 2016/03/13
- 00:00
5年前の3月11日は、日本人にとって、永遠に忘れられない日となっている。
あの日は、ちょうど千葉県で講演会を開催していた。
午後の講演の時間、教室が揺れた。
大きな揺れがあり、その後、しばらくは静かになった。
講演者が講演に慣れていないので、自分が動揺していたせいで体が揺れたと思っていました、と再開した講演で話を始めると、再び大きな揺れが来た。
同じころ、大阪のオフィスでも、揺れを感じたということを後で聞いた。
5年経ったいまでも、まだ元に戻らない地域がある。
福島では、地震、津波、原発と3つの大きな災害が重なっている。
人災でもある。
1995年1月に関西でも大きな地震を経験した。
そのときも多くの人が亡くなった。
だが、関西では津波と原発はなかった。地震だけである。
亡くなった人が戻ることはないが、都市は形の上では復興している。
東北の地には、毎年2回行っている。
それまでは、東北6県という名前は分かっていても、位置関係がきっちりと理解できていなかった。
訪れる回数が増えていくと、点だけの位置関係が、線で結ばれていく。
岩手、宮城が多いが、福島、山形、秋田、青森にも行く。
岩手県の宮古に行ったことがある。
岩手県は東西にも南北にも広い県だ。
天気予報が県内に6つくらい表示される。
兵庫県と似ている。
宮古は、京都からの人が多く住んでいて、それで名前をみやこというと聞いた。
言葉も東北としては、分かりやすいと地元の方が言っている。
そのときは、宮古で講演会を開催した。
県庁所在地の盛岡からは、随分時間がかかる。
盛岡から宮古までの鉄道はあるのだが、車で移動するほうが早い。
それでも1時間半くらいかかっただろうか。
宮古の海岸にある、海産物を販売している建物があり、そこの会議室を借りての講演会だ。
会場の名前は“シートピアなあど“という。
シートピアというのは、よく耳にする言葉だが、“なあど“というのは、初めて聞く名前だ。
会場の件で地元の方とメールで相談していたときに、“シートピアなあど”と書いてあるのを、会場候補としては、“シートビアなど”があると書くところを、タイプミスで“シートピアなあど”と書かれたのだと思った。
念のためと、WEBを調べてみると、確かに”シートピアなあど“というものがある。
珍しい名前である。
忘れることはない。
“シートピアなあど”には、座敷の部屋もあり、そこで実習付きの講習会もやった。
実習のコースは参加者も数名で、寺小屋的な雰囲気だった。
翌日は、浄土ヶ浜という、きれいな海岸沿いを歩いた。
まだ観光客が到着する前の時間だったせいか、一緒に参加した仲間とゆっくりとした時間を過ごすことができた。
幕末のころ、宮古湾で海戦があったという看板がある。
東郷平八郎の名前も書いてある。
土方歳三も出てくる。
地震の1年半くらい前のことだ。
地震と津波で海岸近くの建物はすっかり流されてしまったに違いない。
あのきれいな浄土ヶ浜も変ってしまったのだろう。
久しぶりに、WEBで見てみると、”シートピアなあど“は復活していた。
道の駅と書いてある。
確かに、地元で取れた海産物を販売しているというのは、道の駅だ。
なかなか訪問する機会はないかもしれないが、いつかあの浄土ヶ浜をもう一度歩いてみたい。
シートピアなあどの入口。

シートピアなあどの屋上から海を見る図。

浄土ヶ浜の美しい海。



宮古湾海戦。

魚菜市場には地元の人が買い物に来ている。

魚菜市場の中。


あの日は、ちょうど千葉県で講演会を開催していた。
午後の講演の時間、教室が揺れた。
大きな揺れがあり、その後、しばらくは静かになった。
講演者が講演に慣れていないので、自分が動揺していたせいで体が揺れたと思っていました、と再開した講演で話を始めると、再び大きな揺れが来た。
同じころ、大阪のオフィスでも、揺れを感じたということを後で聞いた。
5年経ったいまでも、まだ元に戻らない地域がある。
福島では、地震、津波、原発と3つの大きな災害が重なっている。
人災でもある。
1995年1月に関西でも大きな地震を経験した。
そのときも多くの人が亡くなった。
だが、関西では津波と原発はなかった。地震だけである。
亡くなった人が戻ることはないが、都市は形の上では復興している。
東北の地には、毎年2回行っている。
それまでは、東北6県という名前は分かっていても、位置関係がきっちりと理解できていなかった。
訪れる回数が増えていくと、点だけの位置関係が、線で結ばれていく。
岩手、宮城が多いが、福島、山形、秋田、青森にも行く。
岩手県の宮古に行ったことがある。
岩手県は東西にも南北にも広い県だ。
天気予報が県内に6つくらい表示される。
兵庫県と似ている。
宮古は、京都からの人が多く住んでいて、それで名前をみやこというと聞いた。
言葉も東北としては、分かりやすいと地元の方が言っている。
そのときは、宮古で講演会を開催した。
県庁所在地の盛岡からは、随分時間がかかる。
盛岡から宮古までの鉄道はあるのだが、車で移動するほうが早い。
それでも1時間半くらいかかっただろうか。
宮古の海岸にある、海産物を販売している建物があり、そこの会議室を借りての講演会だ。
会場の名前は“シートピアなあど“という。
シートピアというのは、よく耳にする言葉だが、“なあど“というのは、初めて聞く名前だ。
会場の件で地元の方とメールで相談していたときに、“シートピアなあど”と書いてあるのを、会場候補としては、“シートビアなど”があると書くところを、タイプミスで“シートピアなあど”と書かれたのだと思った。
念のためと、WEBを調べてみると、確かに”シートピアなあど“というものがある。
珍しい名前である。
忘れることはない。
“シートピアなあど”には、座敷の部屋もあり、そこで実習付きの講習会もやった。
実習のコースは参加者も数名で、寺小屋的な雰囲気だった。
翌日は、浄土ヶ浜という、きれいな海岸沿いを歩いた。
まだ観光客が到着する前の時間だったせいか、一緒に参加した仲間とゆっくりとした時間を過ごすことができた。
幕末のころ、宮古湾で海戦があったという看板がある。
東郷平八郎の名前も書いてある。
土方歳三も出てくる。
地震の1年半くらい前のことだ。
地震と津波で海岸近くの建物はすっかり流されてしまったに違いない。
あのきれいな浄土ヶ浜も変ってしまったのだろう。
久しぶりに、WEBで見てみると、”シートピアなあど“は復活していた。
道の駅と書いてある。
確かに、地元で取れた海産物を販売しているというのは、道の駅だ。
なかなか訪問する機会はないかもしれないが、いつかあの浄土ヶ浜をもう一度歩いてみたい。
シートピアなあどの入口。

シートピアなあどの屋上から海を見る図。

浄土ヶ浜の美しい海。



宮古湾海戦。

魚菜市場には地元の人が買い物に来ている。

魚菜市場の中。

