ソフトウェアのプロジェクト(8)
- 2016/04/22
- 00:00
カリフォルニアの研究所に10日程滞在した後も、何度か同じ研究所を訪問した。
そのときは、Tさんたちのプロジェクトのための訪問ではなかった。
ソフトウェアのプロジェクトは、一部の日本のお客様でも処理速度が速いことを売りにして、また3次元CADとの連携の部分が強かったことを評価され、導入が進んだ。
ただ、世界全体としても、目標を高くおく会社の方針にあわなかったこともあり、数年後にプロジェクトには社内で予算が付かない状況となった。
すでにソフトウェアを使用しているお客様はおられるので、いきなりソフトウェアのサポートを止めますということは言えない。
会社が取った選択肢は、プロジェクト毎、開発メンバーもソフトウェアも外に出す、売りに出すというやりかただった。
TさんもMさんも別の会社へ転籍していった。
仕事の内容は変わらないのだが、いままでとは随分と環境は変わったはずだ。
別会社での開発は継続されていたが、ソフトウェアはなかなか売れなくなった。
結局は、プロジェクト自体が中止となる。
Tさんは1年後にそのプロジェクトを離れ、また元の会社へ戻ってきた。
アメリカでは実力があれば、会社を変わることは、それほど難しくはないのだろう。
元の会社へ戻って、データベースの仕事をやっているという連絡が入った。
また、僕と同じ会社になったわけだ。
実はTさんの奥さんは、もともと同じ会社にいて、別の研究所におられた。
その研究所が、データベースの研究をやっているところで、結局、ご夫婦で同じ研究所で働くことになった、ということである。
Tさんが新しい研究所での仕事を始めた後、僕はアメリカ出張のときに、Tさんを訪問することができた。
比較的自分で時間を作ることができる出張だったので、アメリカに着いた後に、レンタカーを走らせて、Tさんの研究所へ向かった。
アメリカの郊外を車で走るのは、難しいことではない。
カーナビのない時代だが、出口さえ間違えなければ、道に迷うことはない。
そのときもフリーウェイを降りた後、多少道を余分に走ったが、ほぼ予定通りの時間にTさんのいる研究所へ到着した。
以前と変わらないTさんが迎えに来てくれる。
アメリカの研究所は、全員が個室なのだろうか。
Tさんの個室に案内される。
データベースは僕にはあまりなじみの深い分野ではない。
Tさんのやっておられる仕事をお聞きする。
もともとTさんは数学科出身のはずだ。
以前のプロジェクトでも有限要素法の高速処理のために、解析部分の一番のコアにあたるところのプログラムを書かれていた。
ひととおりTさんの話を聞いた後、奥さんが部屋に入ってくる。
奥さんを紹介される。
お若い方ではないが、静かな方だ。
年齢はTさんと同じだろうか。
夕食の時間が来る。
一緒に食事をしましょうかと、Tさんに誘われる。
もちろん、僕の答えはYESだ。
どこのお店に行くかは決まっていないようだ。
Tさんが奥さんに言われる。
「どこに行こうか」
奥さんが少し考えて言われる。
「そうですね。どこに行きましょうか」
答えになっていないが、言葉のなかに行く店の名前はでてこないが、二人の間では、言葉にない会話があるのだろう。
Tさんの車の後を、僕はレンタカーで付いていく。
10分くらいで店に到着。
中華のレストランだ。
ゆったりした食事の後、僕はお礼を言って、Tさん夫婦に別れを告げる。
体力的には、日本からアメリカに到着した後の、睡眠不足の状態でのきつい移動だったが、Tさんに再会できたことがうれしかった。
そのときは、Tさんたちのプロジェクトのための訪問ではなかった。
ソフトウェアのプロジェクトは、一部の日本のお客様でも処理速度が速いことを売りにして、また3次元CADとの連携の部分が強かったことを評価され、導入が進んだ。
ただ、世界全体としても、目標を高くおく会社の方針にあわなかったこともあり、数年後にプロジェクトには社内で予算が付かない状況となった。
すでにソフトウェアを使用しているお客様はおられるので、いきなりソフトウェアのサポートを止めますということは言えない。
会社が取った選択肢は、プロジェクト毎、開発メンバーもソフトウェアも外に出す、売りに出すというやりかただった。
TさんもMさんも別の会社へ転籍していった。
仕事の内容は変わらないのだが、いままでとは随分と環境は変わったはずだ。
別会社での開発は継続されていたが、ソフトウェアはなかなか売れなくなった。
結局は、プロジェクト自体が中止となる。
Tさんは1年後にそのプロジェクトを離れ、また元の会社へ戻ってきた。
アメリカでは実力があれば、会社を変わることは、それほど難しくはないのだろう。
元の会社へ戻って、データベースの仕事をやっているという連絡が入った。
また、僕と同じ会社になったわけだ。
実はTさんの奥さんは、もともと同じ会社にいて、別の研究所におられた。
その研究所が、データベースの研究をやっているところで、結局、ご夫婦で同じ研究所で働くことになった、ということである。
Tさんが新しい研究所での仕事を始めた後、僕はアメリカ出張のときに、Tさんを訪問することができた。
比較的自分で時間を作ることができる出張だったので、アメリカに着いた後に、レンタカーを走らせて、Tさんの研究所へ向かった。
アメリカの郊外を車で走るのは、難しいことではない。
カーナビのない時代だが、出口さえ間違えなければ、道に迷うことはない。
そのときもフリーウェイを降りた後、多少道を余分に走ったが、ほぼ予定通りの時間にTさんのいる研究所へ到着した。
以前と変わらないTさんが迎えに来てくれる。
アメリカの研究所は、全員が個室なのだろうか。
Tさんの個室に案内される。
データベースは僕にはあまりなじみの深い分野ではない。
Tさんのやっておられる仕事をお聞きする。
もともとTさんは数学科出身のはずだ。
以前のプロジェクトでも有限要素法の高速処理のために、解析部分の一番のコアにあたるところのプログラムを書かれていた。
ひととおりTさんの話を聞いた後、奥さんが部屋に入ってくる。
奥さんを紹介される。
お若い方ではないが、静かな方だ。
年齢はTさんと同じだろうか。
夕食の時間が来る。
一緒に食事をしましょうかと、Tさんに誘われる。
もちろん、僕の答えはYESだ。
どこのお店に行くかは決まっていないようだ。
Tさんが奥さんに言われる。
「どこに行こうか」
奥さんが少し考えて言われる。
「そうですね。どこに行きましょうか」
答えになっていないが、言葉のなかに行く店の名前はでてこないが、二人の間では、言葉にない会話があるのだろう。
Tさんの車の後を、僕はレンタカーで付いていく。
10分くらいで店に到着。
中華のレストランだ。
ゆったりした食事の後、僕はお礼を言って、Tさん夫婦に別れを告げる。
体力的には、日本からアメリカに到着した後の、睡眠不足の状態でのきつい移動だったが、Tさんに再会できたことがうれしかった。