名探偵モンク、おっかけ(3)
- 2016/09/08
- 00:00
僕のなかで一番ひっかかったブログは、これだ。
http://doteki2.blog.jp/2015062935593058.html
ブログのタイトルは「とはいえ、わからないでもない」だ。
モンクの項は、2015年6月29日に書かれている。
この項のタイトルは、「すべての物語には終わりがある~「名探偵モンク」ファイナル・シーズンを観終えて」
ブログの筆者がDVDで最終回を見た後に書かれたものだ。
他のブログに比べ、長文である。
中身が深い。
画像ファイルも見ることができる。
最終回の最後に流れる歌、これは気に入っている人が多いのだけど、このブログが書かれたのが最終回の放送日から時間が経過しているせいか、これだけの画像が出てくるのだろう。
このランディ・ニューマンの歌は、モンクの最終回にふさわしい歌だ。
歌詞がいい。
ストットルマイヤー警部のモンクの評価についても、丁寧に引用している。
このとき、モンクは毒を盛られて、解毒剤が見つからず、死ぬものと周囲の人たちが思っていた。
そういうなかでストットルマイヤー警部が言葉をひねりだす。
あいつを誤解していた。
やっと分かった。
ずっとモンクは不完全だと思っていた。
何かが欠けていて、人間的にはちょっと足りないと。
でも何も欠けてなかった。
誰よりもものが見えていて、誰よりも多くを感じてた。
人間的すぎて、それが仇になってた。
爪の垢を煎じて飲まんとな。
そしてラストシーンの映像が貼りつけてある。
場所は、モンクの部屋。
電話がかかってくる。
電話に出るナタリー。
殺人事件の連絡だ。
モンクがナタリーと一緒に出かける。
出かける前のキッチンのレンジをチェックするモンク。
脅迫観念症は治っていないなぁと思ってしまう。
でも、これは正常な人間でもやることだ。
そして良く見ると、身につけているシャツがいつもと違うのだね。
いままではクリーニング屋に、もう来るなと文句を言われながらも、ピチッと糊のきいたワイシャツを着ていたが、今着ているのはセーターのようなラフなスタイルだ。
このことには、僕は、気がつかなかった。
このブログを見て、教えてもらったのだ。
そして、この後、過去の映像が流れる。
(つづく)
http://doteki2.blog.jp/2015062935593058.html
ブログのタイトルは「とはいえ、わからないでもない」だ。
モンクの項は、2015年6月29日に書かれている。
この項のタイトルは、「すべての物語には終わりがある~「名探偵モンク」ファイナル・シーズンを観終えて」
ブログの筆者がDVDで最終回を見た後に書かれたものだ。
他のブログに比べ、長文である。
中身が深い。
画像ファイルも見ることができる。
最終回の最後に流れる歌、これは気に入っている人が多いのだけど、このブログが書かれたのが最終回の放送日から時間が経過しているせいか、これだけの画像が出てくるのだろう。
このランディ・ニューマンの歌は、モンクの最終回にふさわしい歌だ。
歌詞がいい。
ストットルマイヤー警部のモンクの評価についても、丁寧に引用している。
このとき、モンクは毒を盛られて、解毒剤が見つからず、死ぬものと周囲の人たちが思っていた。
そういうなかでストットルマイヤー警部が言葉をひねりだす。
あいつを誤解していた。
やっと分かった。
ずっとモンクは不完全だと思っていた。
何かが欠けていて、人間的にはちょっと足りないと。
でも何も欠けてなかった。
誰よりもものが見えていて、誰よりも多くを感じてた。
人間的すぎて、それが仇になってた。
爪の垢を煎じて飲まんとな。
そしてラストシーンの映像が貼りつけてある。
場所は、モンクの部屋。
電話がかかってくる。
電話に出るナタリー。
殺人事件の連絡だ。
モンクがナタリーと一緒に出かける。
出かける前のキッチンのレンジをチェックするモンク。
脅迫観念症は治っていないなぁと思ってしまう。
でも、これは正常な人間でもやることだ。
そして良く見ると、身につけているシャツがいつもと違うのだね。
いままではクリーニング屋に、もう来るなと文句を言われながらも、ピチッと糊のきいたワイシャツを着ていたが、今着ているのはセーターのようなラフなスタイルだ。
このことには、僕は、気がつかなかった。
このブログを見て、教えてもらったのだ。
そして、この後、過去の映像が流れる。
(つづく)