久しぶりの九州(2)
- 2016/09/14
- 00:00
福岡の1日目の講演会が終わった後、市内で食事をすることになった。
まだ日も落ちない時間から飲むというのは気持ちのよいものだ。
メンバーは5人だったが、17時半くらいに店に入ることにした。
全員が博多の街は良くわかっていなかったが、泊まっているホテルが中洲の人が多いことから、川端中洲駅で、ひとまず降りる。
地下鉄の駅から地上に出たところで、一番先に目に入ったのが「俺の割烹」という居酒屋。
大阪では見たことのない名前の店だ。
歩き回ってもしようがないので、この店に決める。
窓際の席に通される。
席からは、まだ明るい中洲の街を散策する人たちが目に入る。
今日は日曜日である。
生ビールで乾杯。
今日は全員が生ビールだ。
先日、10人くらいで店に入って、店の人が初めの注文を聞くときに、「ビール以外の方は」と数えようとしたら、半数以上が手を上げたことがあった。
段々飲む人が減ってきているようだが、今日はしっかりと飲めそうだ。
外が明るいのが、やはり気分がいい。
まさに、申し訳ないが気分がいいだね。
メニューを見ると、特別メニューがある。
のどぐろの塩焼きとから揚げ(名前は違っていたが)を頼む。
値段が安い。
この大きさだったら、大阪で食べると3倍くらいの値段になる。
「のどぐろもどき」ではないかという異論が出る。
でも食べると、これはのどぐろの旨さだ。
とにかく旨い。
一人で一皿食べたいくらいだ。
今度来るときは、いつくるか分からないが、そうしよう。
段々話がはずむ。
2人は大学の先生。3人が僕を含め、企業の人間ということになる。
普段はこうやって話をすることがない大学の先生である。
その世界では著名な先生だ。
もちろんお名前は以前から知っていた。
他の講演会場の懇親会でご一緒したこともある。
だが、こうやってじっくりと時間を過ごすことはなかった。
いろいろな話をした。
先生もされたし、僕たちも話をした。
思ったのは、大学の先生は一般的に話をするのが職業でもあるので、話がうまい。
また、聴き手としても、やはり違う。
ちょうどよいタイミングで話がまわっていく。
先生が話をされたなかで、僕には随分、心に突き刺さった話がある。
先生は、あるとき地元の自然を守るという国際シンポジウムに参画された。
それはボランティアの活動であり、趣旨に賛同した人たちが集まり、手作りで国際シンポジウムを企画し、実行し、無事に終了したという。
参画した人たちは、ボランティアなので、無給である。
しかも国際シンポジウムなので、日本に限らず、海外からの参加者もあり、WEBでの交流も実現した。
国際会議とか国際シンポジウムとか、国際と名前がつくと、そのなかでは英語を使うことになる。
そのときは日本語も使っていたのだが、同時通訳で英語が聞けるようにし、しかもネット配信のときには、同時通訳をした英語あるいは日本語を字幕で流したというではないか。
これをすべてボランティアでやったということだから大したものである。
僕が以前仕事をしていたIT系の会社で、会社のイベントとしてこのような同時通訳をいれた会議を開催したことを思い出した。
準備には相当の時間がかかる。
当時通訳の人は最低二人が必要になる。
準備と本番の日を含めると数日間の拘束になり、費用は半端ではない。
この国際シンポジウムは、市の支援はあったにしても、そのほとんどをボランティアでやったこと、しかもその品質が通常のレベル以上だったことが素晴らしいのである。
人は、業務として仕事をおこなう。それは好きとか嫌いとか、やりたいとか、やりたくないということとは関係のないことだ。
その仕事にたいして対価としての給料がある。
ところが、ボランティアで参画する場合は、自分のやりたいことを好きでやる、ということになる。そしてそのときに出てくるパワーは、仕事として取り組む以上のパワーとなる。
それが人間というものだ。
火事場のくそ力ではないが、人はときとして、通常では想定できない力を発揮することができる。
好きなことをやる場合も同じだ。
先生はそのことを強調されていた。
僕にとって、そのことは初めて聞くことではないが、こうやって他の人から聞くと、思いが強くなる。
きっとこういう言葉を聞くことができたのは、たまたまではない。
これを聞いて、自分のやるべきことを、もう一度考えてみなさい、ということだろう。
僕にとって貴重な博多の夜の食事会だった。

まだ日も落ちない時間から飲むというのは気持ちのよいものだ。
メンバーは5人だったが、17時半くらいに店に入ることにした。
全員が博多の街は良くわかっていなかったが、泊まっているホテルが中洲の人が多いことから、川端中洲駅で、ひとまず降りる。
地下鉄の駅から地上に出たところで、一番先に目に入ったのが「俺の割烹」という居酒屋。
大阪では見たことのない名前の店だ。
歩き回ってもしようがないので、この店に決める。
窓際の席に通される。
席からは、まだ明るい中洲の街を散策する人たちが目に入る。
今日は日曜日である。
生ビールで乾杯。
今日は全員が生ビールだ。
先日、10人くらいで店に入って、店の人が初めの注文を聞くときに、「ビール以外の方は」と数えようとしたら、半数以上が手を上げたことがあった。
段々飲む人が減ってきているようだが、今日はしっかりと飲めそうだ。
外が明るいのが、やはり気分がいい。
まさに、申し訳ないが気分がいいだね。
メニューを見ると、特別メニューがある。
のどぐろの塩焼きとから揚げ(名前は違っていたが)を頼む。
値段が安い。
この大きさだったら、大阪で食べると3倍くらいの値段になる。
「のどぐろもどき」ではないかという異論が出る。
でも食べると、これはのどぐろの旨さだ。
とにかく旨い。
一人で一皿食べたいくらいだ。
今度来るときは、いつくるか分からないが、そうしよう。
段々話がはずむ。
2人は大学の先生。3人が僕を含め、企業の人間ということになる。
普段はこうやって話をすることがない大学の先生である。
その世界では著名な先生だ。
もちろんお名前は以前から知っていた。
他の講演会場の懇親会でご一緒したこともある。
だが、こうやってじっくりと時間を過ごすことはなかった。
いろいろな話をした。
先生もされたし、僕たちも話をした。
思ったのは、大学の先生は一般的に話をするのが職業でもあるので、話がうまい。
また、聴き手としても、やはり違う。
ちょうどよいタイミングで話がまわっていく。
先生が話をされたなかで、僕には随分、心に突き刺さった話がある。
先生は、あるとき地元の自然を守るという国際シンポジウムに参画された。
それはボランティアの活動であり、趣旨に賛同した人たちが集まり、手作りで国際シンポジウムを企画し、実行し、無事に終了したという。
参画した人たちは、ボランティアなので、無給である。
しかも国際シンポジウムなので、日本に限らず、海外からの参加者もあり、WEBでの交流も実現した。
国際会議とか国際シンポジウムとか、国際と名前がつくと、そのなかでは英語を使うことになる。
そのときは日本語も使っていたのだが、同時通訳で英語が聞けるようにし、しかもネット配信のときには、同時通訳をした英語あるいは日本語を字幕で流したというではないか。
これをすべてボランティアでやったということだから大したものである。
僕が以前仕事をしていたIT系の会社で、会社のイベントとしてこのような同時通訳をいれた会議を開催したことを思い出した。
準備には相当の時間がかかる。
当時通訳の人は最低二人が必要になる。
準備と本番の日を含めると数日間の拘束になり、費用は半端ではない。
この国際シンポジウムは、市の支援はあったにしても、そのほとんどをボランティアでやったこと、しかもその品質が通常のレベル以上だったことが素晴らしいのである。
人は、業務として仕事をおこなう。それは好きとか嫌いとか、やりたいとか、やりたくないということとは関係のないことだ。
その仕事にたいして対価としての給料がある。
ところが、ボランティアで参画する場合は、自分のやりたいことを好きでやる、ということになる。そしてそのときに出てくるパワーは、仕事として取り組む以上のパワーとなる。
それが人間というものだ。
火事場のくそ力ではないが、人はときとして、通常では想定できない力を発揮することができる。
好きなことをやる場合も同じだ。
先生はそのことを強調されていた。
僕にとって、そのことは初めて聞くことではないが、こうやって他の人から聞くと、思いが強くなる。
きっとこういう言葉を聞くことができたのは、たまたまではない。
これを聞いて、自分のやるべきことを、もう一度考えてみなさい、ということだろう。
僕にとって貴重な博多の夜の食事会だった。
