ラクロスのこと(2)
- 2016/09/21
- 00:00
九州から帰ってきて、バスのなかで隣に座っていた女子ラクロス部の女の子のことを思い出していた。
きっとWEBに情報があるだろうと検索してみると、やはりすぐに出てきた。
ホームページ、ブログ、Facebook, Twitterと、ひと通り揃っている。
更新状況を見ていると、ホームページやブログというのは人気がないのだろうか、更新があまりされていない。
FacebookとTwitterはそれに比べると更新がまめである。
そのなかの記事で気になったのが、昨年の試合の話だ。
「七大学戦」というのがある。
これは、昔は、「七帝戦」と言っていたものだ。
七帝というのは、戦前の七つの帝国大学のことである。
東京、京都、東北、九州、北海道、大阪、名古屋の七つの帝国大学である。
この七つの大学で対抗戦をやっていたのを、七帝戦と呼んでいた。
戦前の旧制高等学校に番号がついていたが、その一番から七番と、これらの七つの帝国大学が一致しているわけではない。
調べて見ると、
第一高等学校は、東京、第二高等学校は仙台(東北)、第三高等学校は、京都。ここまでは七つの帝国大学と一致するが、第四高等学校は、金沢、第五高等学校は熊本、第六高等学校は岡山、第七高等学校造士館は鹿児島と、これらは七帝国大学と一致していない。
第八高等学校の名古屋は七帝国大学と一致する。
昔は七帝戦となると、開催地が順番に回っていくので、七回に六回は他の地区に行けるわけだ。
試合になるので、真剣にやらないといけないが、そうは言ってもやはり、普段いけないところに行けるのは、楽しい気分になる。
僕の時は、クラブに所属して活動していたのは初めの2年間だけだったが、京都、北海道に行った。
北海道のときは、学生としては、半分は楽しい旅行気分である。
七帝戦というのは、名前にも重みがあったわけだ。
それが、ラクロスのWEBサイトでは、七大学戦と書いてあるのではないか。
やはり、最近は、帝国大学なんていう名前は、若いひとにはなじまないので、あえて七大学戦と書いてあるのかと思った。
僕と同世代で、やはり大学時代は、体操部に属していた人に、その話をしたら、同じことを言っていた。
「七大学戦では、どこの七つの大学か、分からないではないですか。やはり、七帝戦と呼ばないといけませんよ」
と大いに共感したのである。
ところが調べて見ると、僕の考え方が古かったようである。
まず、七帝戦の正式名は、現在は、「全国七大学総合体育大会」と呼ぶとある。
始まったのは、1962年で、そのときは「国立七大学総合体育大会」と呼んでいた。
2004年に国立大学の国立大学法人化により、名称が現在のように変わった。
第1回が1962年であるから、当然僕の時代でも、七帝戦というのは、通称であり、正式名称は、七大学戦とでも言ったほうがよかったのだろう。
いまごろ、こんなことを知ったとは、思いがけないことであったが、ラクロスのお陰とも言える。
もっとも、落ち着いて考えれば、七帝戦と戦後も呼ぶことはあり得ないということは、すぐに気付くはずなのだけどね。
昨年行った北海道大学。

きっとWEBに情報があるだろうと検索してみると、やはりすぐに出てきた。
ホームページ、ブログ、Facebook, Twitterと、ひと通り揃っている。
更新状況を見ていると、ホームページやブログというのは人気がないのだろうか、更新があまりされていない。
FacebookとTwitterはそれに比べると更新がまめである。
そのなかの記事で気になったのが、昨年の試合の話だ。
「七大学戦」というのがある。
これは、昔は、「七帝戦」と言っていたものだ。
七帝というのは、戦前の七つの帝国大学のことである。
東京、京都、東北、九州、北海道、大阪、名古屋の七つの帝国大学である。
この七つの大学で対抗戦をやっていたのを、七帝戦と呼んでいた。
戦前の旧制高等学校に番号がついていたが、その一番から七番と、これらの七つの帝国大学が一致しているわけではない。
調べて見ると、
第一高等学校は、東京、第二高等学校は仙台(東北)、第三高等学校は、京都。ここまでは七つの帝国大学と一致するが、第四高等学校は、金沢、第五高等学校は熊本、第六高等学校は岡山、第七高等学校造士館は鹿児島と、これらは七帝国大学と一致していない。
第八高等学校の名古屋は七帝国大学と一致する。
昔は七帝戦となると、開催地が順番に回っていくので、七回に六回は他の地区に行けるわけだ。
試合になるので、真剣にやらないといけないが、そうは言ってもやはり、普段いけないところに行けるのは、楽しい気分になる。
僕の時は、クラブに所属して活動していたのは初めの2年間だけだったが、京都、北海道に行った。
北海道のときは、学生としては、半分は楽しい旅行気分である。
七帝戦というのは、名前にも重みがあったわけだ。
それが、ラクロスのWEBサイトでは、七大学戦と書いてあるのではないか。
やはり、最近は、帝国大学なんていう名前は、若いひとにはなじまないので、あえて七大学戦と書いてあるのかと思った。
僕と同世代で、やはり大学時代は、体操部に属していた人に、その話をしたら、同じことを言っていた。
「七大学戦では、どこの七つの大学か、分からないではないですか。やはり、七帝戦と呼ばないといけませんよ」
と大いに共感したのである。
ところが調べて見ると、僕の考え方が古かったようである。
まず、七帝戦の正式名は、現在は、「全国七大学総合体育大会」と呼ぶとある。
始まったのは、1962年で、そのときは「国立七大学総合体育大会」と呼んでいた。
2004年に国立大学の国立大学法人化により、名称が現在のように変わった。
第1回が1962年であるから、当然僕の時代でも、七帝戦というのは、通称であり、正式名称は、七大学戦とでも言ったほうがよかったのだろう。
いまごろ、こんなことを知ったとは、思いがけないことであったが、ラクロスのお陰とも言える。
もっとも、落ち着いて考えれば、七帝戦と戦後も呼ぶことはあり得ないということは、すぐに気付くはずなのだけどね。
昨年行った北海道大学。
