江夏のノーヒットノーラン
- 2016/09/23
- 00:00
阪神タイガースの応援団の話をオフィスでしていたときだ。
江夏がノーヒットノーランをやったときの話になった。
その試合は、サンテレビで再放送された。
野球の試合の再放送というのも珍しいが、サンテレビでは時たまこういう企画がある。
過去の名試合を試合開始から終了まで、通常の実況放送と同じように放送するのである。その試合のみどころだけを放送するのではない。
江夏のノーヒットノーランという試合だからこそ放送されたのだ。
ノーヒットノーランはプロ野球で過去数十人の投手が完成させている。
ということからすると、それほど珍しいことではない。
もちろん毎年のようにできるわけではないが、平均すれば数年に1回はあるだろう。
ただ、江夏のノーヒットノーランのすごいところは、9回で決着がついていないことだ。
延長11回でやっと阪神タイガースがサヨナラ勝ちを収めた。
しかも、その決勝点が、延長11回の先頭打者の江夏のホームランである。
江夏の投球数は、そのとき140球を越えていた。
いまならピンチヒッターが登場していただろう。
ノーヒットノーランがかかっていたから、投手交代は打たれるまでなかったかもしれないが、江夏のすごいところは、中2日での登板だったことだ。
この年、阪神タイガースは、最後まで巨人と優勝を争い、最終試合の甲子園で巨人に負けて優勝を逸している。
それだけの大接戦の年だったのだ。
1973年だ。
他に信頼できる投手がいなかったので、中2日で監督の金田正泰から「頼むで」と言われたら断れなかったのだという。
この試合の対戦相手は,中日ドラゴンズである。
相手投手は松本という左腕投手だ。
驚くべきことに、松本も最後まで投げていることだ。
翌年、中日ドラゴンズが巨人の10連覇を阻んでセリーグ制覇したときには、20勝しているエース格になろうとしている投手である。
この試合は、完全な投手戦だったのだ。
江夏のノーヒットノーラン試合は、8月30日のことである。
この試合を放送したサンテレビの画面を見ると、客席には随分空席が目立っていたのを記憶している。
優勝を争ったなかで、こんな空席の多い甲子園というのは、いまでは想像ができない。
思えば、この年、僕は東京にいた。
めったに野球を球場で見ることはなかったが、10月11日の後楽園球場に巨人戦を見に行っている。
序盤で圧倒的に優勢だった試合が、最後は10対10の同点引き分けとなったのだが、この試合に勝っていれば、、、まあ野球にタラレバは言ってもしようがない。
いろいろなことがあった1973年の阪神タイガースだった。
写真は2001年の甲子園。
江夏がノーヒットノーランをやったときの話になった。
その試合は、サンテレビで再放送された。
野球の試合の再放送というのも珍しいが、サンテレビでは時たまこういう企画がある。
過去の名試合を試合開始から終了まで、通常の実況放送と同じように放送するのである。その試合のみどころだけを放送するのではない。
江夏のノーヒットノーランという試合だからこそ放送されたのだ。
ノーヒットノーランはプロ野球で過去数十人の投手が完成させている。
ということからすると、それほど珍しいことではない。
もちろん毎年のようにできるわけではないが、平均すれば数年に1回はあるだろう。
ただ、江夏のノーヒットノーランのすごいところは、9回で決着がついていないことだ。
延長11回でやっと阪神タイガースがサヨナラ勝ちを収めた。
しかも、その決勝点が、延長11回の先頭打者の江夏のホームランである。
江夏の投球数は、そのとき140球を越えていた。
いまならピンチヒッターが登場していただろう。
ノーヒットノーランがかかっていたから、投手交代は打たれるまでなかったかもしれないが、江夏のすごいところは、中2日での登板だったことだ。
この年、阪神タイガースは、最後まで巨人と優勝を争い、最終試合の甲子園で巨人に負けて優勝を逸している。
それだけの大接戦の年だったのだ。
1973年だ。
他に信頼できる投手がいなかったので、中2日で監督の金田正泰から「頼むで」と言われたら断れなかったのだという。
この試合の対戦相手は,中日ドラゴンズである。
相手投手は松本という左腕投手だ。
驚くべきことに、松本も最後まで投げていることだ。
翌年、中日ドラゴンズが巨人の10連覇を阻んでセリーグ制覇したときには、20勝しているエース格になろうとしている投手である。
この試合は、完全な投手戦だったのだ。
江夏のノーヒットノーラン試合は、8月30日のことである。
この試合を放送したサンテレビの画面を見ると、客席には随分空席が目立っていたのを記憶している。
優勝を争ったなかで、こんな空席の多い甲子園というのは、いまでは想像ができない。
思えば、この年、僕は東京にいた。
めったに野球を球場で見ることはなかったが、10月11日の後楽園球場に巨人戦を見に行っている。
序盤で圧倒的に優勢だった試合が、最後は10対10の同点引き分けとなったのだが、この試合に勝っていれば、、、まあ野球にタラレバは言ってもしようがない。
いろいろなことがあった1973年の阪神タイガースだった。
写真は2001年の甲子園。
