名古屋へ行く(3)
- 2016/09/30
- 00:00
今回の名古屋での学会の参加には、大きな目的があった。
学会の中身の話とは別に、毎年年1回開催されるこの会合で、お会いする先生がおられる。
Y先生であるが、この分野では世界的に著名な方で、国際的な学会の会長も経験されている。
日本では、先駆者であり、この分野をまさにリードされている方である。
僕よりは戸籍上の年齢は、かなり上なのであるが、お元気だ。
1年前の横浜で開催された学会の懇親会で、先生とお話する機会があった。
先生には、顔と名前はなんとなく覚えていただけるようになっていた。
先生とお話しているうちに、永平寺の慕古心(もこしん)のことを思い出した。
先生にはいつまでもお元気にやっていただきたいという思いが強くなり、僕にできることとして思い出したのだ。
“人生に定年はない”というメッセージが書かれた慕古心を、先生に差し上げたいと思ったのだ。
慕古心は、永平寺に行かないと手に入らない。
もしかするとどこかで売っているかもしれないが、やはり永平寺に行って、手に入れないと意味がない。
そのとき、Y先生に、慕古心の話をして、今度永平寺に行って、手に入れますので、待っていてください、と宣言したのだ。
これは自分自身に対するコミットメントのようなものだ。永平寺にいかなければいけないように自分を追い込んだのである。
永平寺の話は、このブログにも書いたが、横浜での宣言から大分時間が経ったが、今年の夏に行くことができた。
そして、今回の名古屋の学会である。
Y先生が来られるかどうかは、分からない。
先生くらいになると招待でもないと参加しないと言うケースもよくあることだ。
お会いできないのではないかと思いながらも、名古屋に出かけるときには、しっかりと慕古心の冊子を封筒にいれ、鞄のなかに収めた。
初日、会場でY先生を探すが、お姿は見えない。
3日間の開催であるが、メインは2日目である。
夜には懇親会、昼には、授与式や基調講演がある。
2日目になる。
昼の授与式の会場には主だった先生方が集まる。
そこでもY先生の姿がない。
もし会場に来られていたら、この場には必ず来られるはずである。
だが、おられない。
今回はお会いできないと思った。
夕方から懇親会が始まる。
早めに会場に入り、生演奏を聴いていた。
司会の先生が開会を宣言し、ゲストの挨拶、乾杯へと進む。
乾杯は、この場におられる先生かたのなかで長老の方がされるのが習慣だ。
そこにもY先生のお姿はない。
乾杯が終わり、しばしの歓談と会食ということになる。
場が段々と盛り上がり、初めは静かだった会場が次第に騒がしくなる。
気がつくと学会初参加のような学生集団の姿も見える。
やはり若い人が増えると場は活気づくものだ。
グループごとに集まりができ、一つのグループは少ないところは2~3名、多いところは10人くらいでにぎやかだ。
部屋の反対側の料理が並んでいるテーブルの先を見た。
おられた。
Y先生である。
カジュアルな格好で来ておられる。
僕は、3人くらいで話をされているY先生のグループに近づいて行った。
Y先生に話しかけると、一緒にいた他の2人の方は、いいタイミングと思ったのか、それではと言う感じで、ここから離れていった。
Y先生にご挨拶をして、先生に差し上げたいものがありますと、切り出した。
昨年の横浜の時の話は覚えておられなかったが、永平寺には行かれたことがあり、話をきいていただけた。
慕古心を入れた封筒をお渡しした。
胸のつかえが下りたようで、すっきりできた。
懇親会の夜は進む。
会場の音量はどんどん上がっていく。
いい頃合いに、司会役の先生が、来賓に当たる方に挨拶をお願いする。
当然、Y先生が壇上に呼ばれる。
Y先生が、本会が始まった当時の話、30年以上前の話をされる。
小脇にはしっかりと僕がさしあげた慕古心の入った封筒をかかえておられる。
ちゃんと大切にもっておられるのだ。
うれしかった。
その日の夜に僕は関西に帰ったのであるが、翌日Y先生からメールをいただいた。
一昨日は名古屋大学でお会いした時に、永平寺のカードいただきどうも有り難うございました。私も以前一度訪問したことがあります。素晴らしいお寺ですね。
ご丁寧なメールにまたうれしくなった。
僕もしっかりやらないといけないね。

学会の中身の話とは別に、毎年年1回開催されるこの会合で、お会いする先生がおられる。
Y先生であるが、この分野では世界的に著名な方で、国際的な学会の会長も経験されている。
日本では、先駆者であり、この分野をまさにリードされている方である。
僕よりは戸籍上の年齢は、かなり上なのであるが、お元気だ。
1年前の横浜で開催された学会の懇親会で、先生とお話する機会があった。
先生には、顔と名前はなんとなく覚えていただけるようになっていた。
先生とお話しているうちに、永平寺の慕古心(もこしん)のことを思い出した。
先生にはいつまでもお元気にやっていただきたいという思いが強くなり、僕にできることとして思い出したのだ。
“人生に定年はない”というメッセージが書かれた慕古心を、先生に差し上げたいと思ったのだ。
慕古心は、永平寺に行かないと手に入らない。
もしかするとどこかで売っているかもしれないが、やはり永平寺に行って、手に入れないと意味がない。
そのとき、Y先生に、慕古心の話をして、今度永平寺に行って、手に入れますので、待っていてください、と宣言したのだ。
これは自分自身に対するコミットメントのようなものだ。永平寺にいかなければいけないように自分を追い込んだのである。
永平寺の話は、このブログにも書いたが、横浜での宣言から大分時間が経ったが、今年の夏に行くことができた。
そして、今回の名古屋の学会である。
Y先生が来られるかどうかは、分からない。
先生くらいになると招待でもないと参加しないと言うケースもよくあることだ。
お会いできないのではないかと思いながらも、名古屋に出かけるときには、しっかりと慕古心の冊子を封筒にいれ、鞄のなかに収めた。
初日、会場でY先生を探すが、お姿は見えない。
3日間の開催であるが、メインは2日目である。
夜には懇親会、昼には、授与式や基調講演がある。
2日目になる。
昼の授与式の会場には主だった先生方が集まる。
そこでもY先生の姿がない。
もし会場に来られていたら、この場には必ず来られるはずである。
だが、おられない。
今回はお会いできないと思った。
夕方から懇親会が始まる。
早めに会場に入り、生演奏を聴いていた。
司会の先生が開会を宣言し、ゲストの挨拶、乾杯へと進む。
乾杯は、この場におられる先生かたのなかで長老の方がされるのが習慣だ。
そこにもY先生のお姿はない。
乾杯が終わり、しばしの歓談と会食ということになる。
場が段々と盛り上がり、初めは静かだった会場が次第に騒がしくなる。
気がつくと学会初参加のような学生集団の姿も見える。
やはり若い人が増えると場は活気づくものだ。
グループごとに集まりができ、一つのグループは少ないところは2~3名、多いところは10人くらいでにぎやかだ。
部屋の反対側の料理が並んでいるテーブルの先を見た。
おられた。
Y先生である。
カジュアルな格好で来ておられる。
僕は、3人くらいで話をされているY先生のグループに近づいて行った。
Y先生に話しかけると、一緒にいた他の2人の方は、いいタイミングと思ったのか、それではと言う感じで、ここから離れていった。
Y先生にご挨拶をして、先生に差し上げたいものがありますと、切り出した。
昨年の横浜の時の話は覚えておられなかったが、永平寺には行かれたことがあり、話をきいていただけた。
慕古心を入れた封筒をお渡しした。
胸のつかえが下りたようで、すっきりできた。
懇親会の夜は進む。
会場の音量はどんどん上がっていく。
いい頃合いに、司会役の先生が、来賓に当たる方に挨拶をお願いする。
当然、Y先生が壇上に呼ばれる。
Y先生が、本会が始まった当時の話、30年以上前の話をされる。
小脇にはしっかりと僕がさしあげた慕古心の入った封筒をかかえておられる。
ちゃんと大切にもっておられるのだ。
うれしかった。
その日の夜に僕は関西に帰ったのであるが、翌日Y先生からメールをいただいた。
一昨日は名古屋大学でお会いした時に、永平寺のカードいただきどうも有り難うございました。私も以前一度訪問したことがあります。素晴らしいお寺ですね。
ご丁寧なメールにまたうれしくなった。
僕もしっかりやらないといけないね。
