夏目漱石のこと
- 2016/10/09
- 00:00
NHKで4回完結のドラマ、「夏目漱石の妻」が放送中である。
後1回で終わりだ。
夏目漱石の妻、夏目鏡子役は、NHKの連続テレビ小説で有名になった、尾野真千子である。
通説では、悪妻となっている夏目鏡子であるが、このドラマのなかでは、芯はしっかりしているが、悪妻として描くのではなく、漱石を一番理解している人として書かれている。
漱石は、胃潰瘍を患い、それが原因で亡くなるくらい神経質で、鬱病がいつもついてまわるようなところがある。
これは名探偵モンク以上である。
これほどの取り扱いにくい男の面倒を見るには、悪妻と言われるくらいの肝っ玉の据わったところがないとやっていけないのだろう。
漱石のことは、誰でも知っている。
「吾輩は猫である」、「坊っちゃん」は超定番である。
フランス人のナポレオン知らず、アメリカ人のワシントン知らずに対抗して、日本人の漱石知らずと言ってもいいかもしれない。
お札のなかにも登場している。千円札に登場したのは、昭和59年から平成19年の間に発行された札で、いまでも目にすることがあるらしい。
ところが、「吾輩は猫である」「坊っちゃん」の後はどうだろうか。
「草枕」に、3部作と言われる「三四郎」「それから」「門」。
「こゝろ」「道草」。このあたりは記憶の奥底から引っ張りだしてくれば出てきそうだ。
「虞美人草」や「彼岸過迄」というのもあった。
そして、絶筆となった「明暗」。
漱石は「吾輩は猫である」を世にだしたのが1905年。
そして「明暗」の連載は1916年12月で終わる。
その期間はわずかに12年である。
49歳10カ月の一生だった。
テレビのなかでは、大学の職を辞して、朝日新聞社に入社したときの月給が200円とある。
これはかなりの高給であるが、妻の鏡子は、月末には支払いのために、質屋に通わなければならなかったと描かれている。
確かに、そのときにすでに女の子が4人おり、鏡子のお腹のなかには、長男がいたのであるから、生活は厳しかったのかもしれない。
面倒をみないといけない書生も家には出入りし、当時は当たり前だったのだろうが、住み込みのお手伝いさんもいる。かなりの収入が必要になる。
こんな話は、いままでの学校での知識のなかだけからでは、出てこないものだ。
僕の高校時代の友人に、文学に詳しい奴がいた。
彼は、僕と同じ大学の文学部に進んだのであるが、あだ名を司馬遷とつけられていた。
中国の歴史や文学にも詳しかった。
当然、漱石のこともよく知っていて、定番の「吾輩は猫である」や「坊っちゃん」以外も読破していた。
3部作の名前は、彼から教えてもらった記憶がある。
漱石の長編小説は、正直高校生には難しいと思う。
初めに読む「吾輩は猫である」や「坊っちゃん」を読んだ調子でとりかかると、打ちのめされる。
とても難解だ。
僕自身、名前は知っていても、読み切った記憶がない。
家にはいくつかの著作は置いてあったが、開いたことはなかった。
書いたものの難解さが、テレビドラマで出てくる漱石の精神的な鬱状態を見ていると、理解できるのである。
来年は漱石生誕150年になる。
漱石記念館はどこにあるのだろう。
ひとつはロンドンにあったのだが、イギリスのEU離脱の影響で、閉館されたという。
こちらは漱石研究家の方が、自費で運営していたそうだ。
日本にもいくつかある。
ひとつは、「草枕」に登場する熊本だ。
「草枕交流館」という。
もうひとつは、来年の漱石生誕150年を記念して、新宿区に建設中の記念館だ。
「漱石山房」と呼ぶ。
漱石は生まれたのが新宿で、亡くなる前の9年間を過ごしたのが新宿にある「漱石山房」だそうだ。
こちらは東京なので、行く機会もでてくるだろう。
さらに、漱石が療養の時を過ごした修善寺温泉にも記念館がある。
修善寺 夏目漱石記念館という。
漱石は、ここで一時危篤という状態になったこともある。
生死の境をさまよったのだ。
漱石の名前を聞いて、高校大学時代の友人は、記憶のなかから出てきたのであるが、なぜか随分遠い存在のままである。
一向に僕の方に近づいてくることがない。
漱石記念館に足を運べば、何か新しいことを思い出すことができるのだろうか。
来年は、漱石150年になるというから、なにか動いてみることにしよう。

後1回で終わりだ。
夏目漱石の妻、夏目鏡子役は、NHKの連続テレビ小説で有名になった、尾野真千子である。
通説では、悪妻となっている夏目鏡子であるが、このドラマのなかでは、芯はしっかりしているが、悪妻として描くのではなく、漱石を一番理解している人として書かれている。
漱石は、胃潰瘍を患い、それが原因で亡くなるくらい神経質で、鬱病がいつもついてまわるようなところがある。
これは名探偵モンク以上である。
これほどの取り扱いにくい男の面倒を見るには、悪妻と言われるくらいの肝っ玉の据わったところがないとやっていけないのだろう。
漱石のことは、誰でも知っている。
「吾輩は猫である」、「坊っちゃん」は超定番である。
フランス人のナポレオン知らず、アメリカ人のワシントン知らずに対抗して、日本人の漱石知らずと言ってもいいかもしれない。
お札のなかにも登場している。千円札に登場したのは、昭和59年から平成19年の間に発行された札で、いまでも目にすることがあるらしい。
ところが、「吾輩は猫である」「坊っちゃん」の後はどうだろうか。
「草枕」に、3部作と言われる「三四郎」「それから」「門」。
「こゝろ」「道草」。このあたりは記憶の奥底から引っ張りだしてくれば出てきそうだ。
「虞美人草」や「彼岸過迄」というのもあった。
そして、絶筆となった「明暗」。
漱石は「吾輩は猫である」を世にだしたのが1905年。
そして「明暗」の連載は1916年12月で終わる。
その期間はわずかに12年である。
49歳10カ月の一生だった。
テレビのなかでは、大学の職を辞して、朝日新聞社に入社したときの月給が200円とある。
これはかなりの高給であるが、妻の鏡子は、月末には支払いのために、質屋に通わなければならなかったと描かれている。
確かに、そのときにすでに女の子が4人おり、鏡子のお腹のなかには、長男がいたのであるから、生活は厳しかったのかもしれない。
面倒をみないといけない書生も家には出入りし、当時は当たり前だったのだろうが、住み込みのお手伝いさんもいる。かなりの収入が必要になる。
こんな話は、いままでの学校での知識のなかだけからでは、出てこないものだ。
僕の高校時代の友人に、文学に詳しい奴がいた。
彼は、僕と同じ大学の文学部に進んだのであるが、あだ名を司馬遷とつけられていた。
中国の歴史や文学にも詳しかった。
当然、漱石のこともよく知っていて、定番の「吾輩は猫である」や「坊っちゃん」以外も読破していた。
3部作の名前は、彼から教えてもらった記憶がある。
漱石の長編小説は、正直高校生には難しいと思う。
初めに読む「吾輩は猫である」や「坊っちゃん」を読んだ調子でとりかかると、打ちのめされる。
とても難解だ。
僕自身、名前は知っていても、読み切った記憶がない。
家にはいくつかの著作は置いてあったが、開いたことはなかった。
書いたものの難解さが、テレビドラマで出てくる漱石の精神的な鬱状態を見ていると、理解できるのである。
来年は漱石生誕150年になる。
漱石記念館はどこにあるのだろう。
ひとつはロンドンにあったのだが、イギリスのEU離脱の影響で、閉館されたという。
こちらは漱石研究家の方が、自費で運営していたそうだ。
日本にもいくつかある。
ひとつは、「草枕」に登場する熊本だ。
「草枕交流館」という。
もうひとつは、来年の漱石生誕150年を記念して、新宿区に建設中の記念館だ。
「漱石山房」と呼ぶ。
漱石は生まれたのが新宿で、亡くなる前の9年間を過ごしたのが新宿にある「漱石山房」だそうだ。
こちらは東京なので、行く機会もでてくるだろう。
さらに、漱石が療養の時を過ごした修善寺温泉にも記念館がある。
修善寺 夏目漱石記念館という。
漱石は、ここで一時危篤という状態になったこともある。
生死の境をさまよったのだ。
漱石の名前を聞いて、高校大学時代の友人は、記憶のなかから出てきたのであるが、なぜか随分遠い存在のままである。
一向に僕の方に近づいてくることがない。
漱石記念館に足を運べば、何か新しいことを思い出すことができるのだろうか。
来年は、漱石150年になるというから、なにか動いてみることにしよう。
