インターネットはからっぽの洞窟(1)
- 2015/02/21
- 00:00
「インターネットはからっぽの洞窟」という題名の本がある。
この本は、アメリカで1996年に出版され、日本語版も1997年には出ている。ただ、僕がこの本を知ったのは、それから3年くらい経ったときだ。その頃に一緒にプロジェクトをやっていた大学のT先生から教えてもらったのである。
結構な厚さの本で、内容は、インターネットの普及によって、失われるものに警鐘を鳴らすようなことが書かれている。新しい物が世の中に出てきたときに、その便利さに振りまわされて、物事の本質や大事なことを忘れてしまうことが、しばしばある。それに対する警告を発する本、というような内容を書いた書評が多い。
ただ、T先生は僕に、本の内容はとりたてて言うことはない、この本は、内容ではなく、それをどうやって書くかによって、内容がどう変わるかを検証するための実験であると話された。
それは本書の中にも書いてあるが、この本を著者が書くときに、筆記具を3日おきに変えたという。
初めは、手書きで書き、次に、英文タイプライターを使い、三番目は、ワードプロセッサを使うという方法である。
今では、英文タイプライターというものに、お目にかかることはまずないが、昔は、日本でも、英文を書くときは、英文タイプライターを使ったものだ。電動でない場合は、一文字を打つのに、結構指に力が入る。打ち間違えたときは、バックスペースをしながら、消していくという機械もあったが、打ち間違いの修正には、結構な労力が必要となる。
3番目のワードプロセッサは、今ではパソコンのワープロに吸収されてしまっているが、昔は、専用ワープロ機に随分お世話になったものだ。それ以前は、日本語を打つときは、日本語タイプライターを使っていた。
と言っても、僕自身が使ったことはない。これは、とてつもなく長い経験とスキルを必要とする機械だ。社内でも一人しか使える人がいないという機械だった。
日本語タイプライターを使える、年輩の女性社員は、神様のような存在だった。神様の機嫌を損ねると、期日までに原稿が仕上がらないのである。
「インターネットはからっぽの洞窟」の著者は、手書き、タイプライター、ワープロという3つの筆記具を繰り返し使って、本書を書き上げた。
そこで著者はなにをしたかったのか。
僕にこの本を紹介してくれたT先生は、専門がヒューマンインターフェイスに関する研究ということもあり、この3つの方法で書いた内容に明らかに違いがあり、それを著者は証明したかったのだと言われていた。
僕はそういう予備知識で本を買って、読んだ。
書いてある内容よりも、書く方法によって、どのように内容が変わるかのほうに興味を持って読んだのだ。
もちろん読んだのは、日本語訳である。
結論は、どうなのか。

この本は、アメリカで1996年に出版され、日本語版も1997年には出ている。ただ、僕がこの本を知ったのは、それから3年くらい経ったときだ。その頃に一緒にプロジェクトをやっていた大学のT先生から教えてもらったのである。
結構な厚さの本で、内容は、インターネットの普及によって、失われるものに警鐘を鳴らすようなことが書かれている。新しい物が世の中に出てきたときに、その便利さに振りまわされて、物事の本質や大事なことを忘れてしまうことが、しばしばある。それに対する警告を発する本、というような内容を書いた書評が多い。
ただ、T先生は僕に、本の内容はとりたてて言うことはない、この本は、内容ではなく、それをどうやって書くかによって、内容がどう変わるかを検証するための実験であると話された。
それは本書の中にも書いてあるが、この本を著者が書くときに、筆記具を3日おきに変えたという。
初めは、手書きで書き、次に、英文タイプライターを使い、三番目は、ワードプロセッサを使うという方法である。
今では、英文タイプライターというものに、お目にかかることはまずないが、昔は、日本でも、英文を書くときは、英文タイプライターを使ったものだ。電動でない場合は、一文字を打つのに、結構指に力が入る。打ち間違えたときは、バックスペースをしながら、消していくという機械もあったが、打ち間違いの修正には、結構な労力が必要となる。
3番目のワードプロセッサは、今ではパソコンのワープロに吸収されてしまっているが、昔は、専用ワープロ機に随分お世話になったものだ。それ以前は、日本語を打つときは、日本語タイプライターを使っていた。
と言っても、僕自身が使ったことはない。これは、とてつもなく長い経験とスキルを必要とする機械だ。社内でも一人しか使える人がいないという機械だった。
日本語タイプライターを使える、年輩の女性社員は、神様のような存在だった。神様の機嫌を損ねると、期日までに原稿が仕上がらないのである。
「インターネットはからっぽの洞窟」の著者は、手書き、タイプライター、ワープロという3つの筆記具を繰り返し使って、本書を書き上げた。
そこで著者はなにをしたかったのか。
僕にこの本を紹介してくれたT先生は、専門がヒューマンインターフェイスに関する研究ということもあり、この3つの方法で書いた内容に明らかに違いがあり、それを著者は証明したかったのだと言われていた。
僕はそういう予備知識で本を買って、読んだ。
書いてある内容よりも、書く方法によって、どのように内容が変わるかのほうに興味を持って読んだのだ。
もちろん読んだのは、日本語訳である。
結論は、どうなのか。
