ボブ・ディランのこと(2)
- 2016/10/21
- 00:00
ボブ・ディランの皮肉たっぷりの歌「Positively 4 th Street」,日本語に訳すと、「きっと4丁目」というのだろうか。日本語題名は、「寂しき4番街」である。
以前、会社の連中とカラオケに行ったことがある。
いつもなら、会社の近くの本町の居酒屋から北に移動して、飲み屋のなかで歌うということが定番だったのだが、そのときは、全員が西のほうに帰るメンバーだった。
西宮と芦屋と神戸だった。
それじゃ、家の近くまで行こうということで、タクシーに乗り込むことにした。
問題は、メンバーの数が5人ということだ。
一人は若い女性の営業だった。4人が男性だ。
タクシーの定員は、普通は4人だ。
5人がどうやって乗るか。
女性は前の助手席に乗る。残りの野郎たち4人が後部座席に突っ込む。
本当は、こんなことをしてはいけない、明らかに法律違反、おそらく道交法違反のはずだ。
タクシーの運転手は、嫌がるが、外から見えないように乗れば、なんて言って、夜の早い時間の長距離が欲しいので、目をつぶる。
30分程のしんどいドライブの末に、たどり着いたのが西宮である。
阪神電車の西宮駅の近くのカラオケに入る。
店のなかに入ると、それぞれが勝手に好きな歌を歌い出す。
おおよそ人の歌を聞いてやろうなんて連中ではない。
僕は、僕でボブ・ディランを入れる。
そのときに、歌ったのが「Positively 4 th Street」だ。
英語の歌詞は、もちろん大型テレビに映し出される。
それまで自分の歌のことでカラオケ本に集中していた、紅一点の女性営業が画面を見ている。
そして、にやっと笑うのだ。
どうやら歌詞の意味が分かって笑っている、と僕は彼女を見て思った。
彼女は、営業としては、珍しく文学部出身である。
前から言葉については、良く知っているという印象を持っていた。
それは、僕がT先輩から教えられた「上意下達」の読みを正しく言えたからである。
このことは以前、このブログにも書いていた。
しかもそこに、彼女のことを”皮肉混じりのボブディランの歌を聞いて、笑ったのは彼女くらいである”と書いている。
よほど、そのことが印象に残っているのだろう。
本当に彼女が、歌詞の内容を理解して笑ったのか、そのときに確かめたわけではないので、真相は不明だ。
今度、彼女に会ったら、それはいつになるか分からないが、会うことができたら、聞いてみよう。
以前、会社の連中とカラオケに行ったことがある。
いつもなら、会社の近くの本町の居酒屋から北に移動して、飲み屋のなかで歌うということが定番だったのだが、そのときは、全員が西のほうに帰るメンバーだった。
西宮と芦屋と神戸だった。
それじゃ、家の近くまで行こうということで、タクシーに乗り込むことにした。
問題は、メンバーの数が5人ということだ。
一人は若い女性の営業だった。4人が男性だ。
タクシーの定員は、普通は4人だ。
5人がどうやって乗るか。
女性は前の助手席に乗る。残りの野郎たち4人が後部座席に突っ込む。
本当は、こんなことをしてはいけない、明らかに法律違反、おそらく道交法違反のはずだ。
タクシーの運転手は、嫌がるが、外から見えないように乗れば、なんて言って、夜の早い時間の長距離が欲しいので、目をつぶる。
30分程のしんどいドライブの末に、たどり着いたのが西宮である。
阪神電車の西宮駅の近くのカラオケに入る。
店のなかに入ると、それぞれが勝手に好きな歌を歌い出す。
おおよそ人の歌を聞いてやろうなんて連中ではない。
僕は、僕でボブ・ディランを入れる。
そのときに、歌ったのが「Positively 4 th Street」だ。
英語の歌詞は、もちろん大型テレビに映し出される。
それまで自分の歌のことでカラオケ本に集中していた、紅一点の女性営業が画面を見ている。
そして、にやっと笑うのだ。
どうやら歌詞の意味が分かって笑っている、と僕は彼女を見て思った。
彼女は、営業としては、珍しく文学部出身である。
前から言葉については、良く知っているという印象を持っていた。
それは、僕がT先輩から教えられた「上意下達」の読みを正しく言えたからである。
このことは以前、このブログにも書いていた。
しかもそこに、彼女のことを”皮肉混じりのボブディランの歌を聞いて、笑ったのは彼女くらいである”と書いている。
よほど、そのことが印象に残っているのだろう。
本当に彼女が、歌詞の内容を理解して笑ったのか、そのときに確かめたわけではないので、真相は不明だ。
今度、彼女に会ったら、それはいつになるか分からないが、会うことができたら、聞いてみよう。