弘前にて(4)
- 2016/11/07
- 00:00
今回の講演会では県との折衝を担当されたUさんに、翌日車で送っていただくことをお願いしていた。
初めは旅館から弘前駅までということだったのだが、弘前城の紅葉を見る予定ということを話したところ、飛行機の時間も考えて、車でいくつか他の場所も案内していただいた。そして、最後は弘前城まで車を回してもらったのである。
弘前城に入る前には、空港まで乗るバスのことを考えてバスターミナルに一旦寄って、荷物をロッカーに預けることまでご配慮いただいた。本当にありがたいおもてなしを受けたのである。
旅館を出ると、しばらくは自然のなかを車は走る。
まわりの木々は、まだ紅葉には少し時間がかかりそうだ。
今年は寒さが来るのが例年よりも遅いのだろう。

途中、酒造りの店を通る。大吟醸 稲村屋文四郎 金賞受賞という看板がある。
以前秋田に行ったときにも、地元の酒作りの店を紹介してもらい、そのときは試飲をした。普段日本酒を飲まないのであるが、それでもそのお酒のおいしさは分かった。きっとここのお酒もおいしいに違いない。


車は黒石市役所の近くを通り、Uさんのオフィスにも立ち寄ってもらった。
Uさんは風力発電と太陽光発電のハイブリッド型の発電機を作っておられる。
風力は風がなければ発電できない、太陽は陽がでていなければ、発電できない、それを相互に補完するところがハイブリッド型発電機の特長である。

自然エネルギーの研究開発には、もっと予算を投入して、加速するのが日本の取るべき道であることは、誰もが認めるところであるが、いざ予算配分になると、原子力関係への予算を切ることができず、いまだに大きな予算が原子力にまわされる。日本中地震はどこであっても不思議ではない。こんな国でいまだに原子力を捨てきれないところが、日本の弱いところだ。多くのお偉いさん達は、自分の生きている時間だけがうまくまわればいいと思っているのだろう。自分はそのような災害には合わないと思っているのだろう。
Uさんは、道の駅に車を入れてくれた。
道の駅いなかだて「弥生の里」と言う。
一緒に行ったGさんは荷物が少なく、リンゴを買い込む。
リンゴは確かに安いのだが、送ってもらうとなると、送料のほうが高くなってしまう。
よほど大量に買わないと割が合わない。
となると手で持って帰ることができる範囲ということになるが、僕の場合、コロコロにはもう物を入れる余裕がない。リンゴを別の袋に入れて持つことも考えて、考えて悩んだが、結局今回はリンゴはなしとなった。


道の駅は、地方での観光拠点にもなる。
車でここを離れるときに、外国人の集団がバスで入って生きた。
見るからに体格のいい欧米人である。家族連れで、小学生くらいの子供もいる。
近くの米軍基地から来ているのではないかとUさんは言う。
一般の観光客とは、確かに雰囲気が違う。
道の駅のまわりには、レストランやパターゴルフ場、子供が遊べる遊具施設が揃えられている。
少し行くと田んぼアートというものがある。車の中から見ただけであるが、石原裕次郎の大きな顔が地上に書いてある。
これは遠くの小高い場所から見れば顔全体が見えるのだろう。


ようやく空の雲の間から陽が差し始めてきた。
青空も見え始めてきた。
いよいよ弘前城へ向かって車は進んで行く。

初めは旅館から弘前駅までということだったのだが、弘前城の紅葉を見る予定ということを話したところ、飛行機の時間も考えて、車でいくつか他の場所も案内していただいた。そして、最後は弘前城まで車を回してもらったのである。
弘前城に入る前には、空港まで乗るバスのことを考えてバスターミナルに一旦寄って、荷物をロッカーに預けることまでご配慮いただいた。本当にありがたいおもてなしを受けたのである。
旅館を出ると、しばらくは自然のなかを車は走る。
まわりの木々は、まだ紅葉には少し時間がかかりそうだ。
今年は寒さが来るのが例年よりも遅いのだろう。

途中、酒造りの店を通る。大吟醸 稲村屋文四郎 金賞受賞という看板がある。
以前秋田に行ったときにも、地元の酒作りの店を紹介してもらい、そのときは試飲をした。普段日本酒を飲まないのであるが、それでもそのお酒のおいしさは分かった。きっとここのお酒もおいしいに違いない。


車は黒石市役所の近くを通り、Uさんのオフィスにも立ち寄ってもらった。
Uさんは風力発電と太陽光発電のハイブリッド型の発電機を作っておられる。
風力は風がなければ発電できない、太陽は陽がでていなければ、発電できない、それを相互に補完するところがハイブリッド型発電機の特長である。

自然エネルギーの研究開発には、もっと予算を投入して、加速するのが日本の取るべき道であることは、誰もが認めるところであるが、いざ予算配分になると、原子力関係への予算を切ることができず、いまだに大きな予算が原子力にまわされる。日本中地震はどこであっても不思議ではない。こんな国でいまだに原子力を捨てきれないところが、日本の弱いところだ。多くのお偉いさん達は、自分の生きている時間だけがうまくまわればいいと思っているのだろう。自分はそのような災害には合わないと思っているのだろう。
Uさんは、道の駅に車を入れてくれた。
道の駅いなかだて「弥生の里」と言う。
一緒に行ったGさんは荷物が少なく、リンゴを買い込む。
リンゴは確かに安いのだが、送ってもらうとなると、送料のほうが高くなってしまう。
よほど大量に買わないと割が合わない。
となると手で持って帰ることができる範囲ということになるが、僕の場合、コロコロにはもう物を入れる余裕がない。リンゴを別の袋に入れて持つことも考えて、考えて悩んだが、結局今回はリンゴはなしとなった。


道の駅は、地方での観光拠点にもなる。
車でここを離れるときに、外国人の集団がバスで入って生きた。
見るからに体格のいい欧米人である。家族連れで、小学生くらいの子供もいる。
近くの米軍基地から来ているのではないかとUさんは言う。
一般の観光客とは、確かに雰囲気が違う。
道の駅のまわりには、レストランやパターゴルフ場、子供が遊べる遊具施設が揃えられている。
少し行くと田んぼアートというものがある。車の中から見ただけであるが、石原裕次郎の大きな顔が地上に書いてある。
これは遠くの小高い場所から見れば顔全体が見えるのだろう。


ようやく空の雲の間から陽が差し始めてきた。
青空も見え始めてきた。
いよいよ弘前城へ向かって車は進んで行く。
